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廃寺 あきる野市 大悲願寺から最寄りの駅へと歩いていたら「真言宗豊山派 摩尼山龍性寺」という案内板が方向を示す矢印付きで置かれていました。 こんな寂れた道にお寺なんてあるのかと思い矢印に従い歩いたところ、残念ながら廃寺のようで人の気配はありませんでした。 pic.twitter.com/QiGiCegWXk
伊達政宗と大悲願寺(続き)と伊達政宗 伊達政宗の弟とされる15代目住職の秀雄がいたとされている。政宗が訪れた折、庭の白萩の美しさに心奪われ株分けを希望した。 政宗の弟・小次郎は家中内乱を恐れ誅殺されたといわれているが実は政宗とその母・義姫で共謀した狂言で、住職秀雄は小次郎説もある pic.twitter.com/Gz71ebmZ8H
大悲願寺 真言宗豊山派 創建:伝1191年 山号:金色山 武蔵五日市駅より歩20分 開基は平安時代から続く地元有力豪族の平山季重が醍醐寺三宝院の僧を招いて開基 楼門(仁王門)は1613年建造、1859年二度目の再建。迫力十分でなんかありがたい気持ちになる。観音堂は1794年建立2005年解体修理 pic.twitter.com/UL36S1zdu5
やばい。。横沢入だ。大好きな場所。保全前ですが幼稚園の子どもたちをたくさん引き連れて毎年春にピクニック。ヤマアカガエルやアカハライモリを見て、セリ、クレソンを摘んで食べていました。今は田んぼも広がる美しい谷あいです。大悲願寺裏から里山を登り横沢入へ降りてくるコースがおすすめで、 x.com/renho_office/s…
あきる野市の横沢入里山保全地域をご案内いただきました。東京の貴重な生物や自然を守っていくために日々試行錯誤されているお話しを、じっくり伺いました。この大切な緑を守り、豊かな国際都市東京をめざしたいと改めて思います。#蓮舫と次の東京へ pic.twitter.com/Wf2NjxfVRg
2024/06/16あきる野市。駅からハイキング「秋川渓谷とあきる野市の街をめぐるハイキング」に参加。武蔵五日市駅を出発。大悲願寺、みつばちファーム、都立秋留台公園、二宮神社などを回って東秋留駅まで歩いてこの日のウォーキングは終了。この辺りの東京なのに地方の田舎っぽい感じが好き。 pic.twitter.com/4IynuOpUFA
2024年6月27日(木) 武蔵五日市駅→東秋留駅を駅からハイキングを参加しました。 武蔵五日市駅と武蔵増戸駅の中間にある大悲願寺の近くの踏切にて汽車マークの道路標識が残っていました。かなり年季が入っていますね! 来年2025年4月21日は,五日市線開業100周年を迎えますので貴重な鉄道遺産ですね! pic.twitter.com/IushoUROQm
返信先:@nukunuku_n他1人蛍では行ってないのですが、ここには何度もw ◾️大悲願寺 伊達政宗弟が居て、政宗が通った寺 鎌倉武将平山季重建立の日奉党中心地 ◾️里山周囲の山はいずれも戦国期山城 →唐松山城、伊那城、阿伎留城等 食事は五日市線より南の都道7号付近 ピザvita、蕎麦たか瀬・加賀屋
館庭で白萩の花が見頃を迎えています。 伊達政宗は大悲願寺(現東京都あきる野市所在)を訪れた際に、庭に咲く白萩の見事さに心をうたれ、後に手紙で所望したそうです。 そのご縁で五日市町(現あきる野市)から本市に贈られた白萩が、今年も可憐に咲いています。ぜひご覧ください。 #伊達政宗 pic.twitter.com/71zLwV9rfZ
大悲願寺は伊達政宗の末弟が住職をしていたこともあるそうです。こうした記録を読むと、五日市や青梅が中世~近世初めには江戸などより先進的な場所だったことがわかります。 pic.twitter.com/q4VkGpuZEr
大悲願寺の観音堂の欄間が見事! ここのお寺は萩が有名みたい。 伊達政宗が感動したらしいよ。 ぼちぼち、萩の季節だからまたいかないとね(^_−)−☆ pic.twitter.com/MpMzXD7ufh
後年に伊達政宗公は大悲願寺(東京都あきる野市)宛てに書状を出している。いわゆる「白萩状」である。本書状には伊藤左近重綱の副状が付属しており15世住職・秀雄(しゅうゆう)が輝宗公の末子(政宗公の弟)である旨が記されている。 #独眼竜政宗 pic.twitter.com/trYd68xoLQ