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『無名』の舞台の時期、第二次国共合作の時期であったことは教科書レベルの事実ですが、第二次国共合作の時期に一致団結していたわけではなく一時的に弾圧の手を緩めていただけで、実際には国共の対立は続いており、日本の敗戦により、第二次国共内戦が始まるという流れがあの緊張感を生んでいます。
『国共合作』というものについて『日本に対抗するために仲良く協力した』という理解をしていると、この作品でスパイとして暗躍した人々の潜入先、表向きの任務、それぞれの真の立場と目的というものを理解できなくなると思うので、作中の国民党と共産党が『仲間』だと思うのはやめた方がいいです。
返信先:@chuchuDow0310また第二次国共合作の時期においても、共産党の軍である八路軍が勝利を続けると、それを国民党が警戒し皖南事変が起きており、国共合作は単純な一枚岩ではないからこそ、汪兆銘政権の内部に国民党も共産党もスパイを送り込んでいた背景があります。
北伐は、1926~28年、蔣介石指揮下の国民革命軍による北京軍閥政府打倒の軍事行動。当初は国共合作の下で行われたが、次第に共産党排除の動きが強まり、1927年の上海クーデタで共産党が弾圧された。再開後は国民党単独で行い、1928年6月に北京に入城、軍閥を制圧して国民革命を達成。 pic.twitter.com/GyqmUtqXfZ
返信先:@iAOqbdzfFy7aFap他1人中国は対日戦争の時に共産党と国民党が合同して中華民国政府の元で統合した交戦権を持つ団体として存在して連合国に属してたんだから戦勝国だぞアホw 「国共合作」として教科書で習ったはずだろ?w 歴史勉強し直せ、低脳バカウヨ🤣
国共合作 を以ってしても、裕仁天皇配下と国民党総統配下のファシストによる侵掠が十九世紀以降の中国を今に至るまで憂慮すべき諸西側問題を引き寄せる #国際金融資本
林剣報道官(台湾の謝長廷驻日代表が20日に台湾で行われる「就任」式典に日本の国会議員37人が参加する予定だと明らかにしたことに対して):「世界には一つの中国しかない。台湾は中国の領土の不可分の一部であり、中華人民共和国は全中国を代表する唯一の合法政府である。台湾が国であったことはなく、…
#日本の現代史を1年刻みで把握 1924年(大正13年) ▶~1/7:山本権兵衛 首相 ▶1/7~6/11:清浦奎吾(きようら けいご)首相 1月 第2次護憲運動が開始。中国で第一次国共合作 ▶6/11~:加藤高明(かとう たかあき)首相 6月 護憲三派内閣が成立。小作調停法を公布
“「保釣運動」を組織したのは中国国民党を支持する馬英九(現中華民国総統)ら右派学生の「反共愛国連盟」であった。当時は現代版「国共合作」として民族派学生の支持を集めた。” kaiunmanzoku.hatenablog.com/entry/2013/05/…
『#映画無名』時代背景的に国共合作中だが国民党と共産党が反目しているような台詞があるのは○○○○○○○○○○○○○○○○○○○大山男爵のモデルは○○○○○○○○ fse.tw/0SjE8Yi4#all
「日本の軍国主義に対する中国人民の戦いにも言及した」とのこと。国共合作の下での「中国人民の戦い」という意味でしょうか。ちょっと気になりますね - プーチン氏「戦略部隊は常に戦闘準備態勢」、対独戦勝記念日演説 | ロイター jp.reuters.com/world/ukraine/…
返信先:@Akalieffen_Plan戦時は国共合作してるし、中華人民共和国が唯一の中国って事を日本含めて認めちゃってるからなぁ………😔 台湾のは亡命政府だけど、中国政府とは言えないし🤔
国民民主の玉木雄一郎代表、自民議席減へ立民と調整 次期衆院選巡り sankei.com/article/202405… @Sankei_newsから 国民民主党と立憲共産党の共闘って国共合作じゃん。
あたかも国共合作みたいな全面的な 選挙協力を行うかの様な報じられ方だが 飽くまでも候補者のいない選挙区において 候補者調整を行うとの事 まあ選挙後どうなることやら
立憲も国民も候補者のいない千葉2区、6区、11区の擁立方針を聞かれたので、県連や連合千葉とも調整して積極的に擁立していく旨答えたもの。自民党への不信が高まる中、現実的な政策を打ち出す国民民主党には期待しているとの声を多く聞くので、更に候補者を増やしていきます。 news.yahoo.co.jp/articles/f700e…
中国共産党は、国共合作した国民党を裏切り。 共産同盟したソ連を裏切り。 日中友好とか言って援助してもらった日本を裏切り。 アメリカ・イギリスを裏切った。 今、ロシアが中国と手を組んでいるのは、米中対立でロシアを裏切れない状況だから😦
返信先:@dai59_sidann国民党軍は援蔣物資でまだマシとは言え、中支・南支に飛び火してからは海上封鎖を喰らい、仏印・ビルマからの援蔣ルートも遮断され、八路軍は日本軍や国共合作前に国民党軍から分捕った武器が主体と言うのを考えると?ヒマラヤのハンプ越えでは限界があったでしょう…
『#無名』を見るにあたって 『追風者』用に1920年頃からの共産党、国民党、蒋介石、汪兆銘に関わる歴史をざっくり纏めたツリーを作りました『無名』時代の重慶国民党、南京国民党、共産党の関係を理解するには1920年頃からの前史を含め理解するのがお勧めです。(第一次国共合作崩壊まで纏めています)
『#长风破浪』 1920年代の上海租界及び周辺の歴史 1921年上海租界の里弄住宅で各地の共産主義組織の代表が集まって第一次全国代表大会を開催、共産党が結成される。 その前段階として1919年の五四運動は重要。 五四運動とは↓↓↓
第二次国共合作も対等な立場をとらせてもらえたわけではなく、国民党の軍の中にちょっと混ぜてもらえるみたいなそんな扱いで、だから戦後の国共内戦を戦う時、共の軍は大戦であんまり疲弊してなかったってのをなにかでみた
戦中、歴史的には第二次国共合作で協力して対日で戦うことで合意はしていたけれど、国と共はそもそも資本主義と社会主義で相容れないものであるので寝返ることはあっても仲間になることはないはず 無名の勢力図は国右派/国左派/汪兆銘/共 かな…🤔作中にも国共合作と取れるような描写はなかったとおも
返信先:@Motokiyo2000他1人汪兆銘は孫文の側近として、三民主義、国共合作の理念を忠実に守り、孫文の後継者として自認していました。孫文が死去して広州で広州国民政府が成立すると、汪兆銘は実質的な党主席として国民革命の中枢となりましたが、政府の軍事面を握った軍人・蔣介石と党の主導権をめぐって対立するようになりまし…