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【#花押づくし 展示史料紹介⑱】 #伊達政宗 が筑後国柳川藩主・田中忠政に対し、昨日の酒宴で亭主の自分が泥酔して、手紙での連絡となったことを侘びた書状。 この花押は一般的に「鶺鴒(セキレイ)の花押」と呼ばれる公用のもので、多少変化を加えながら長く使用されました。 pic.twitter.com/OmJuwZpg9T
#泰巖歴史美術館 は、事前予約なしでご来館いただけます。 7月の休館日:1日(月)、8日(月)、16日(火)、22日(月)、29日(月) ミニ企画展 #花押づくし は7月21日(日)まで、7月23日からは #信長以後の世界 を開催! buff.ly/44zl1Xd pic.twitter.com/OZjLQuyOn9
【#花押づくし 展示史料紹介⑯】 #羽柴秀吉 が三上次郎左衛門に宛て、急な来客のため急ぎ生魚を獲ってくるよう命じた書状。 秀吉の花押は「悉(ことごとく)」という字が元といわれ、「秀吉」を音読みにして、始めと終わりの言葉「し」と「つ」から、「悉(しつ)」の字を当てたといわれています。 pic.twitter.com/uSk4phk8Yc
【#花押づくし 展示史料紹介⑮】 #上杉謙信 が、神保長職の求めに応じて越中へ出陣したことを、能登畠山氏の重臣たちに伝えた元亀2年(1571)の書状。 謙信は、改年に伴った花押の変更や、内容・相手によって複数の花押を使い分けたようですが、永禄12年(1569)以降は基本的に本史料の花押を用いました。 pic.twitter.com/MB1ks5CY8U
元亀2年(1571)6月14日、 #毛利元就 が亡くなりました。 画像は、元就が船4艘を尼子氏が支配する出雲国林木の沖へ向かわせるよう命じた文書。 花押は伝統的な足利将軍の花押を模倣しながらも、上半部には「元」の字が含まれているといわれています。 開催中の #花押づくし にて展示しています。 pic.twitter.com/FFut121iKz
【#花押づくし 展示史料紹介⑬】 #上杉輝虎 (謙信)が下総栗橋城の野田景範に対し、自身の行軍状況を伝えた書状。 輝虎は、長尾氏が代々襲用した「長・久」、または「真・久」の二文字を合体して形象化した形を基本に、いくつかの花押を使用しました。 pic.twitter.com/ILTOZ9TNE2
【展示替えのお知らせ】 6月4日(火)より史料を一部展示替えしています。 また、ミニ企画展 #花押づくし も後期の展示内容となっています。 詳細はHPをご確認ください→buff.ly/46qS4hE #泰巖歴史美術館 #歴史 #戦国 pic.twitter.com/AuKTpsT9nH
#泰巖歴史美術館 は、事前予約なしでご来館いただけます。 6月の休館日:3日(月)、10日(月)、17日(月)、24日(月) ミニ企画展 #花押づくし も開催中! ホームページで開館状況や注意事項をご確認のうえ、ご来館ください。 buff.ly/44zl1Xd pic.twitter.com/tazBQBUuBS
【#花押づくし 展示史料紹介⑤】 #明智秀満 が配下・河上掃部介に対し、#明智光秀 の帰城までに諸事を済ますことなどを指示した天正9年(1581)のものと考えられる書状。… pic.twitter.com/ivvVaPMljE