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東京土木遺産・飯田橋・1929(昭和4)年竣工、白鳥橋の都電遺構公開に行く途中に見つけたのですが、橋台部分は煉瓦造で、コンクリートの部分は近年補強された様ですが、1908(明治41)年に架設された先代の橋から引き継がれたものかも?知れませんね。 pic.x.com/3x032N55AL
橋のアスファルトの下に残っていた、都電のレールと敷石が出てきた dailyportalz.jp/kiji/asphalt-n… #DPZ 先日の白鳥橋見学会のレポート。かつて都電が走っていた橋の一覧などが面白い。
神田川白鳥橋、飯田橋駅から徒歩10分ほどの場所にあり都電の昔の線路跡が出て来た。一般公開された日に見に行きました。千代田区の五十稲荷神社や神田明神に行く事は多いのですが、その近くに、このようなものが残っているとは驚きました。#神田川 pic.x.com/hkGqjR8X98
白鳥橋のアスファルトに埋まっていた、都電江戸川線(39系統)の軌道を見学。 平日の昼なので、そこまで混まないだろうと思っていた時期が私にもありました。 路面電車特有の溝入りレールも記録できた……と思ったらISO感度を上げ忘れて真っ暗な写真になってしまいました。 pic.x.com/5lZTxhlsPP
みなさんこんにちは【4年N】です。 先日、神田川に架かる白鳥橋にて都電遺構が公開されるとのことで見学してきました! 現役当時、白鳥橋には15系統、39系統が通っていたようです。 畳石の軌道など当時の雰囲気を感じられる良い機会でした! 解体となるのは残念ですね… #都電 #白鳥橋 #都電遺構 pic.x.com/z5CBPzK4zI
都電富坂線が現役だった頃(1963年)の白鳥橋周辺の航空写真 1枚目の写真の左上の角にある交差点が江戸川橋で、都電の車両が停まっているのが見える そこから神田川に沿って走り急カーブする場所が白鳥橋 2枚目(拡大)に富坂線の安藤坂を登る都電が見える 右下には飯田町貨物駅、右端には後楽園球場 pic.x.com/fxGXrjSrUX
消える東京土木遺産・白鳥橋・1936(昭和11)年竣工と都電遺構・・・震災復興橋梁のモダンさを感じる橋柱も、都電の軌道敷共々間もなく見納めとなり、今後4年間をかけ新しい白鳥橋が完成する様ですが、新橋梁にも震災復興橋梁のモダンさと、都電が走っていた事を物語るものが受け継がれると良いですね。 pic.x.com/aQQEayZCJU
東京土木遺産・隆慶橋・1928(昭和3)年竣工、白鳥橋の都電遺構公開に行く途中で見つけたポニーワーレントラス型の橋で、幾多に渡る改修工事で交換された!?照明用ランタンやオリジナルの橋柱も失われている様ですが、繊細且つ強固に組まれたトラス部分に、かつての優雅さが感じられますね・・・ pic.x.com/ls1XW2kc0V
東京の神田川、白鳥橋で見つかった都電の遺構の見学会は行けなかったので別に見に行きました。白鳥橋南詰(新宿区側)は横断不可、朝倉書店前から線路がよく見えました(左の写真)。北詰(文京区側)は横断歩道から接近でき、こちらは全体(右の写真)が見えました。大曲バス停近くです。 pic.x.com/2ios52l0pP
そして厩(うまや)橋に到着 早稲田から白鳥橋を通って来た都電39系統の終点である 39系統はここまでだが、16系統は厩橋で隅田川を渡りさらに先の錦糸町駅へ向かい、また南千住・雷門から新橋に向かっていた22系統とここで直交していた pic.x.com/Zv9NIA3jfU
大曲で分岐した富坂線は白鳥橋を渡ると神田川の谷から安藤坂の急坂を登り、春日通りこと国道254号線(川越街道)で、 16系統(大塚駅前 ー 伝通院 ー 上野広小路 ー 厩橋 ー 錦糸町駅前)と、 17系統(池袋駅前ー水道橋ー大手町ー八重洲口ー数寄屋橋) に合流していた ここが富坂線唯一の独立区間である pic.x.com/mjsZ45w8gM
1968年9月28日 営業最終日の都電富坂線白鳥橋の写真 現在と違いホームはおろか安全地帯も停留所の標識すらも無い 1枚目の写真の橋の欄干に「大曲」という札があるのが目印か 3枚目の写真に富坂線と分かれる江戸川線の線路が見えるが江戸川線も同時に廃線となった 江戸川線と富坂線では敷石が違っている pic.x.com/C58Dussobj
次の都電の分岐点が今回公開された白鳥橋 上は首都高速池袋線の高架橋が架かっている 都電は3枚目写真奥の早稲田方面から来て分岐 15系統江戸川線はカーブに沿って飯田橋方面に向かい、39系統富坂線は手前の白鳥橋を渡っていた pic.x.com/lRUmJvXMeh
東京都心を縦横に走っていた“都電”、東京都交通局が運営する路面電車だ。道路を自動車と電車で混走していたが、ごく一部を除き1970年代初期までに廃止された。その遺構が、河川改修工事に伴い神田川白鳥橋で発見された。10月15日と16日に一般公開される。 ソース: レスポンス search.app/?link=https%3A…
都電の白鳥橋遺構、中学生の頃に見たペイヴメントとレールが剥き出しだった姿は1989年頃の路面工事で一時的に現れたものだったようだ。当時はプロレスで後楽園ホールへ通い始めた頃で、その際に自転車でここをよく通ったので昔からその状態だと勘違いしたが、実際は何か月かだけだったのだろう。 x.com/osumijet/statu…
白鳥橋の人集りはやはり都電の線路の遺構だったか。この39系統が走った富坂線の廃止は昭和43年だけど白鳥橋にはレールとペイヴメントがそのまま残され、昭和63年時点では橋はまだ石畳のこんな感じだった。平成初めにアスファルトになった記憶。当時は中坊で写ルンですで写真撮ったんだけどもうないわ。 x.com/gooitch/status…
ご報告が遅れましたが、先日開催されていた白鳥橋で発見された都電の遺構を見に行っていました。 こういうイベントは初めてだったのですが、わりかし民度も良く、終始楽しく撮影することができました。 今後ももしかしたらこういう遺構が見つかるかもなので、その時はまた見に行けたらなと思ってます。 pic.x.com/aNDKAMBgDt
こちらの記事が正しければ、今回の白鳥橋の「発見」は35年ぶりの「再発見」ということに。 むしろ路面の補修をする現場の人は下に何が埋まっているのか普通に知っていて、毎回粛々と埋め戻して現在に至る…ということかもしれません。 00m.in/aWXgb x.com/gooitch/status…
返信先:@osumijet白鳥橋の線路と敷石は平成初期までそのままだったのか、あるいは平成初期の路面工事で一旦出土したのか。いずれにしろ30数年前には表に出ていた時期があったわけで、都の建設局かどこかにその記録が残っていてもおかしくないのでは?と思います。謎が残る今回の「発見」