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返信先:@urakkun26まさにそれです。本来、かの御仁は織豊系という築城主体者に共通項を見出せる勢力限定で編年作業が可能である事を示したものですが(徳川および近世大名がそれに類するかの検討を続論でしてほしかったが)、いつの間にか時代進化論に転化されてしまっている学史を誰か認識の上、課題としてあげないと…
実はこう考えているのには理由がある。葛城地域の首長墓の編年はは室宮山古墳→掖上鑵子塚古墳→屋敷山古墳となるが、全長234㍍の室宮山古墳が最大で、後継古墳は全長150㍍前後と小さくなる。三宅古墳群など、同様の変遷を取る古墳群や地域はそれなりにある。一方で、馬見古墳群や佐紀古墳群では→
葛城氏の墓域とする説が有力だが、佐紀古墳群、馬見古墳群ともに一豪族の墓域とみなすには規模が大きすぎ、かつ交通の要衝に位置しているところから、大王の墓域に準ずるもの、おそらく后妃の墓域ではないかと考えたことがある。 どちらの古墳群も、規模もさることながら個々の古墳が大きすぎる。→
とりあえず中〜南インドはえらい古いとみなされている鉄の出土事例があることはわかった それをちゃんと編年の中に位置づけてくれんか(とりあえず一般的な鉄器利用についてはやっぱりあの本の説は極論でよさそうではある
上杉先生の総論の関連しそうなとこだけみたけど「南インドについては編年が確立されてないから難しいけど少なくとも前1200年のものが報告されてるし文化的変遷の傾向が見られる前1300年をとりあえず鉄器時代の画期にするけどもっと長く漸進的やったかもね」とある
『尊経閣古文書纂 編年雑纂文書 4』の詳細はこちらからご参照ください。近日中に収録文書の概要がわかる目次をPDF公開します。 catalogue.books-yagi.co.jp/books/view/2257
【印刷進行中】昨日から『尊経閣古文書纂 編年雑纂文書 4』の印刷を奈良の天理時報社で進めています。本冊には、異彩を放つ鮮やかな黄色の料紙の文書(外国文書10)等もあり、高精細カラー印刷でその様相をバッチリ再現しています。本日刷了、明後日から製本工程に入り、6月20日刊行予定です。 pic.twitter.com/WXjWIbHweG
考古学側のハラッパー編年の層序年代区分でしかないEarly, Mature, Late HarappanをすべてHarappan Civilization≒Indus Civilization と読み替える手法はよくやる手口… 古サラスヴァティ=Ghaggar-Hakra がBC3000年期には砂丘群に覆われていたとする地形学の所見も触れてはいけない😢
…この「初期」段階は紀元前2600年頃まで続きました次の段階はよく「ハラッパー成熟期」とよばれ…」 ワイ「その「成熟期」からが一般的なインダス文明期やろが」
考古学の出土物編年無視して「ヴェーダの内容がインダス文明の遺跡分布範囲に限られていること」「遺伝子プールは」「遺跡の聖火祭壇」「サラスヴァティー川が生きた川とされていること」で「この文書(ヴェーダ)がまさしく紀元前二千年以前、そしておそらくは紀元前二千六百年以前の、…
この展示では、陶邑の周辺地域(主に大庭寺遺跡から出土したものが中心か)で出土した須恵器が田辺編年の順に配置されています。 TG232型式のものがなかったこととTK23期から杯身の形状が見えなかったことが少し残念ですが、須恵器杯の時期的な変化をうまく表現している展示だと思いました。 pic.twitter.com/tff2hMuvdy
返信先:@Yoichiaka1106そうです。棗玉です。認識されているのですね。 平原は短い管玉で形状違いますが、徳永川ノ上もだいたい同じ時期(北部九州の終末期前半)、楯築は北部九州の後期後半新相(柳田編年後期5式古相)併行で、金海良洞里200号(北部九州終末期前半併行)などと繋がります。金海-伊都国-豊前-吉備ルート
吉久正見氏より、玉稿「岡山県下の石造五輪塔の編年的考察」(『古代吉備』第35集)を頂戴しました。 県下の作例を実相調査し、その編年案を提示されています。学ばせていただきます。 pic.twitter.com/MwjdiKZYeS
返信先:@starview1231他13人ここで皆さんが盛んに語っている土器の編年などについての話題と、柳田康雄氏の見方とはかなりの隔たりがあるように感じます。 勿論、どちらが妥当な考え方かを判定するチカラは私にはありませんが、中山平次郎~原田大六と続く北部九州考古学の系譜からは、そのような視点が生まれるのかも、、、
記念講演:伊藤 健氏 「 相模野と武蔵野は同じなのか-悉皆的石器石材情報から編年を読む-」 内 容:相模野台地と武蔵野台地の旧石器編年はほぼ同じであると考えられてきました。 本当に同じかどうか。相模野第Ⅱ・Ⅲ期、両台地の悉皆的石器組成の分析から、その共通性と異質性を考えます。
0414.林弘幸2023「畿内地域の人物埴輪の分類と編年」『埴輪論叢』12 数が多い巫女形埴輪の編年を組んで、共伴する人物埴輪の特徴をみるもの。研究史で畿内の分類が関東の人物埴輪が基礎になっているとの指摘があり驚く…。ここに問題点を見出だし検討が進められています。 pic.twitter.com/NhzaLgVaPE
地球科学系の新書は少ない上に、テーマが偏ってるような気がするのですがいかがでしょう…? 面白い研究はたくさんあるので、今後もっと増えてほしいです! 例えば↓ ・地質図を作る! -足下の岩石の正体を解き明かす- ・地球化学の目で過去の環境に迫る ・層序と年代 -地層の編年と地球史の解明-
pref.tokushima.lg.jp/sp/rekishiru/g… 畿内、畿内っていうけど 阿波・西山谷2号墳の位置付けは どう説明するんだろ? 当然ですがヒストリア絡みの論文には出ていない。前掲の鏡のには辛うじて西山谷2号墳は載ってるけど。 萩原1号墓包囲網〜 辻土坑2って何なのかなぁ〜 土器編年だけではドキドキさせられないよね〜 pic.twitter.com/lvU7t7xC4s
3年代記の情報ソース 百錬抄、台記、兵範記、帝王編年記、清獬眼抄、公卿補任、山槐記、玉葉、元亭釈書、安倍泰親朝臣日記、顕広王記、吾妻鏡、方丈記、吉記、愚管抄、平治物語、平家物語 このうち平治と平家ソースの分は、ほんの僅か。