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今さら読んでる。吉田松陰の章から特にひきつけられる。歴史の中で、個人的感情の揺れ動きに伴われるようになった〈僕〉に寄り添う著者に、読者も心を寄せたくなるのがこの本の魅力の核。僕らは常に垣根を越えたいのだ。 自称詞〈僕〉の歴史 :友田 健太郎 | 河出書房新社 kawade.co.jp/sp/isbn/978430…
誰よりも遠くを見据えながら幕末を熱く駆け抜けた天才思想家吉田松陰が残した言葉を現代人にもわかりやすく理解しやすく変換した人生哲学書である。世代を超えてこんなにも心に響くのは彼の言葉が日本史上類を見ないほどシンプルで力強く、そしてやさしさに満ちているから #ad amzn.to/3UQ2vYj
返信先:@sakuramori12建てられた年まで…そんなしっかり見られていたなんて、今更雑なことは書けないと緊張してきました(もう遅い) 吉田松陰の碑は門下生もしくは松蔭を尊敬する人が建てた気がします。一番左の碑に刻まれてる内容から、そう感じました。 pic.twitter.com/xABusbbvpc
返信先:@CoCo_hamham吉田松陰プロデュースによる9人組ユニット「choshU」ローニンやってるからわかる歌詞が満載で楽しかったですね。私も久しぶりに見て間部詮勝の名前が出てきてびっくりでした。鬼の顔しか思い浮かばんけどね。また他も一緒に見ましょう。そして締めに片割れと対戦ですね。
靖国神社 そもそも靖国神社は明治維新以降の殉国者の霊を祀る神社である. 古いところでは吉田松陰,坂本龍馬,中岡慎太郎,橋本左内,武市半平太らが祭神となっている. ところが,国のためとは言え,結果的に時の政府にたてついた者の霊は除外されている. pic.twitter.com/tYKlNi5FpL
シン・哲学カフェ「シリーズ/吉田松陰『留魂録』③-吉田松陰が後世に残した影響-」 -------- 日時】5月18日(土)11:00~13:00 場所】ロージナ茶房(国立) retty.me/area/PRE13/ARE… 参加費】ご自身の飲食代+1,000円 参加人数】先着10名まで。事前申込み優先 pic.twitter.com/22adcNVNRF
世田谷の山口県に行ってきた 松下村塾の再現と吉田松陰の墓を見て、松陰みくじを引く 学業:誘惑多く挫折の気あり 迷わず無言で勉強を積み重ねよ 松陰先生、最近の息子もよくご覧になっていたのですね😂さすがすぎる #行ったつもり日本一周 pic.twitter.com/EfZJGMzuS1
不測の事態から国民を守るのが国防であり農業・農村を守る事こそが一番の国防なのにそれが蔑ろにされ農業を破壊し外国におもねり一部のグローバル企業を贔屓し自身の地位にしがみつく政治家が多く「外に媚び、内を脅かす者は、天下の賊である」との吉田松陰んの言葉通り。 jacom.or.jp/column/2024/05…
吉田松陰終焉の地 吉田松陰が処刑された場所。碑には松蔭辞世の句が刻まれています。 「身はたとい 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」 この句は、松蔭が獄中で記した書籍「留魂録」の冒頭の文章だそうです。 #ローニン聖地巡礼 pic.twitter.com/oMFrkX5uqE
2024.5.11 子どもの部活遠征の合間に島原城に。 往時を偲びながら散策。坂本龍馬、吉田松陰も立ち寄っているようです。 先祖の棲家がわかったら嬉しいですよね。 (私の先祖とは関係無いです) pic.twitter.com/jIArx0h7iJ
2024年5月12日~今週の松陰先生のお言葉 リーダーというのはカッコ悪いことを引き受けられる人 ⇒ ameblo.jp/kyaorin-rin/en… #アメブロ @ameba_officialより #覚悟の磨き方 #吉田松陰 #今週の松陰先生のお言葉
久坂玄瑞 何をした人? 幕末,長州藩の尊攘派志士吉田松陰の門下で,高杉晋作と双璧をなした。 1862年藩論を公武合体から尊王攘夷に一変させた。 江戸のイギリス公使館焼打ち事件,下関の外国船砲撃(下関事件)に参加し,大和行幸奏請に尽力。 '64年禁門の変で藩兵を率いて上洛したが,負傷して自刃。 pic.twitter.com/9Bfsl3jxTO
井伊直弼の安政の大獄とは? 井伊直弼は、幕府に反対する人々の処罰に乗り出します。 吉田松陰のように、幕府の政策を批判した大名・公家・学者らを、大量に処罰したり、処刑したりしたのです。 1858年~1859年にかけて起きたこの弾圧を、 安政の大獄 といいます。 pic.twitter.com/2pyyoCAWeh
靖国神社 そもそも靖国神社は明治維新以降の殉国者の霊を祀る神社である. 古いところでは吉田松陰,坂本龍馬,中岡慎太郎,橋本左内,武市半平太らが祭神となっている. ところが,国のためとは言え,結果的に時の政府にたてついた者の霊は除外されている. pic.twitter.com/5BDSO1Gb9w
吉田松陰は何をした人なのか? 江戸時代末期(幕末)に活躍した思想家・教育者の吉田松陰(よしだ しょういん/1830-1859)。 長州藩(現在の山口県)で生まれ私塾「松下村塾」を設立。 のちの明治維新を支える高杉晋作・伊藤博文・久坂玄瑞といった要人を育てたことで知られています。 pic.twitter.com/aSATkkJdhJ
1859年 今回と同じ大規模な黒点が現れて、低緯度でもオーロラが発生 ja.m.wikipedia.org/wiki/1859%E5%B… この年、安政の大獄で吉田松陰が処刑されています この反発から次の年、桜田門外の変が起こってます 欧米に妥協的な政策がなし崩し的に行われて、それに反発する勢力が大規模に弾圧されたのがこの年
さて、6月から、政府は誤情報・偽情報を常時監視する、という。令和の治安維持法である。いまや「情報」は存在に取って代わるものだ。たとえば「遺伝情報」にまでこの語を広げれば、存在を抹消することも不可能ではなくなる。この種の施策には絶対反対すべきだが、リベラル・左派の批判は非常に鈍い。
返信先:@qaHGk8L8k7sYeJ3吉田松陰は確かに陽明学に感化されていましたが、彼の日本に就いての思想はまさしく復古主義的、保守主義的なものです。幕政が続く中で、古来からの天皇中心の尊皇思想をぶち上げ、後の明治政府の外交方針にも大きな影響を与えた彼は正しく日本古来の文化に拠る保守思想家の巨星でしょう。
吉田松陰、観測できた範囲で2度ほど漢詩の中で孔明の名を出しているけどどちらも天下三分の計についてなのが目下の新しい疑問で……。あの時代、孔明は忠臣的な意味しかないと思うのだけれどなぜあえて天下三分の計を挙げてるのか分からん
返信先:@c7AKuJAPajZUb28#これをみたフォロワーさんはアカウント名の由来を言う 中島は本名、市井の一般市民だから。漢字は吉田松陰先生の『至誠にして動かざるは未だこれ有らざる成り』から拝借。
返信先:@HigashimuraH吉田松陰は陽明学者で日本の伝統的価値観とは関係ない、むしろ革新派でしょう。特効も関係ありません。良いものを保つのが保守なんですから。明治政府の目標は欧米社会の植民地主義への対抗でしょう。アジア社会を守るためであり西欧思想なんか関係ない。まあ日本に興味ない人には分からない話ですよ。
返信先:@qaHGk8L8k7sYeJ3「日本的保守」って、要は吉田松陰的な尊皇主義的なものであり、それが特攻などの正当化に繋がるのは自明なんですよね。 日本に明治以前から政治思想や「保守すべきもの」なるものの価値観が根付いていた訳ではないので、日本政治を西欧思想の観点から語ることは必然では。