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確かにあった。三猿像でなしに、これぞ山王さまのお遣いだろうという石製猿像二対四体。ただね……ノーコメント。このご時世だし。お察しいただければ。 #今日のいしぶみ pic.twitter.com/C6kDVr5Ucy
あと先日つぶやいたこの件x.com/_mamehito_/sta…で。参拝して参りました。平沢の日吉神社さん。 #今日のいしぶみ pic.twitter.com/r7fEOX3b60
……本殿脇に石製猿像が安置されてるんですってね。「神猿(まさる)」と呼ばれ、夫婦円満・産育無事・家門繁栄にご利益があるのだという。宮城で石製猿像よ? 庚申塔でなくよ? 富谷の日吉神社さんと登米中田・弥勒寺さん境内の山王権現社さん以来三例目…… #今日のいしぶみ
中森山のお薬師さまもね。地図だと結構な山の中に位置されているように見えたから覚悟を決めたのだけれど。全然そんなことはなかった。むしろ、ここまで参道も堂宇も立派に整備されているお堂が何故知られていないんだろう?と思うほどだった。 #今日のいしぶみ pic.twitter.com/i3gU1q6l9M
っちゅーことで、先日来度々言及していた村田・蔵王、行ってまいりました。下掲はお参りした箇所。の一部。小泉の西應宮、沼辺の八幡神社、沼田の中森山薬師堂、矢附の観音堂。 #今日のいしぶみ pic.twitter.com/6YVd7wNQuS
湯殿山とか蔵王山なら分かる。蔵王町においても多い石塔だから。百歩譲って虎捕山とか刈田山とかならまだ分かる。何さ「齋溪山」って。二文字目は「溪」か、今でも若干怪しい。が、一文字目の「齋」は明瞭。齋が頭に付くお山ってとんと思い当たらん。 #今日のいしぶみ pic.twitter.com/UVS3Nq5Lid
今更ながら、『蔵王町史 民俗生活編』の石造物の項「道ばたの神々」に目を通してみた。齋溪山大神塔および同所所在の石塔石祠は未採録なのだけれど、似たものが載っていれば……と。結果、皆無。 #今日のいしぶみ pic.twitter.com/wwzaxLJHdc
兎に角、ああだこうださんには感謝。改めて郷土史を探るきっかけをいただけたこと、ありがとうございます。上巻のほうも合わせて読んでみたらまた、興味深いお話がポロポロ出てくる。先に取り上げた安永の鶴供養塔もバッチリ載っていた。曰く、地元でも全く知る人がいなかったとの由。 #今日のいしぶみ pic.twitter.com/NNPygHnkAb
とりあえず。蔵王・白石・村田・柴田……そういう土地なんですよあの辺り。この土日は県南詣でかしら。辰山のシダ薮↓を思い出す今日この頃。まーだ阿子島先生のご著者を確認できていない猿頭供養塔のこともありますし。下調べして、いっちょ行きますか。……楽しいですよ? 皆さん。 #今日のいしぶみ pic.twitter.com/k5VcW1fYgq
一つ。以前にも、蔵王町は円田盆地の北端部、それから村田町の関場・沼辺・沼田の辺りって、石塔石仏の悉皆調査資料が刊行されていないとつぶやいた。要は何があるか未知数なんである。そんな中でこうポンポン見つかるとなると……もしかしたら、もしかするのかも、しれない。うふふ。 #今日のいしぶみ pic.twitter.com/OcyWh61V2b
また、疑念は尽きないにしろ……一応宮城県最古級の子安観音塔である天正十年銘文字塔、伝享保年間銘刻像塔は、そのまんま蔵王町の宮にある。……ここまで古いとか最古とか言わなくても、とは思うけれども。それにしても意味深すぎる。あの辺りは。 #今日のいしぶみ pic.twitter.com/V2UkdYm0xb
この際なので。こちらの鳥居脇には、下掲の石塔がある。安永三年銘子安観音塔(1774)……は何度か当方のツイートにも登場していただいている。その他にだ。画像三枚目は、宮城県現状最古の“鶴”関係碑である安永六年銘鶴供養塔(1777)。宮城の鶴供養塔の最古は、ここにある。今のところ。 #今日のいしぶみ pic.twitter.com/Rf07p7WD2G
ついでに言えばで。その“山神三社”、石塔としてでなくお宮さんとしても蔵王町に存在する。蔵王町宮、東北道蔵王PAのすぐそばに鎮座されているこちら↓のお社……ゼンリン住宅地図に記載されている社名は、「正一位山神三社」。 #今日のいしぶみ pic.twitter.com/hLqg1wPRWg
……ここまで共通項のある石塔同士が、全く関係ないわけなかろうて。んでついこの間、その幣束山神塔の新例も見つかった。蔵王町は円田盆地の北のどん詰まりである小村崎に、全く未知の安永四年銘塔(1775)が存在していることが分かったのだx.com/_mamehito_/sta…。 #今日のいしぶみ
ギョッとしとるのね……こういうことx.com/_mamehito_/sta…があったから。完璧に幣束山神塔。新例がとんとご無沙汰の幣束どーんなこの石塔が、蔵王盆地北端部の路傍にいきなしあった。なんだろう。次は蔵王行けってことかしら。こないだの土曜日行ったばかりなんだけど。 #今日のいしぶみ
“幣束山神塔”。碑面に大きく幣束の図像を表したこの種の石塔は、着甲山神刻像塔と造立年代が享保年間以降一部重複し、分布も白石市北半部を中心に蔵王と村田。全く重複している。現状最古の享保二年銘塔(1717)には「三社山神」銘があるのだx.com/_mamehito_/sta…。 #今日のいしぶみ pic.twitter.com/3D6AuDqzyK
1・2. 追記 陣場山の一角に二基並んで建てられている。うち、1. 享保二年銘塔の塔頂部には「三社山神」「奉寄進」の各銘、碑面向かって左下には「古本町五十一人」銘が刻まれている。 ※下掲画像二枚目は昭和四十九年刊『白石市文化財調査報告書第12号 道ばたの碑』より引用 #幣束山神塔
『山神三社権現』。恐らくは……並んで安置されているからには、刻像塔のほうも同様の御名をお持ちなのだろうと。山神三社権現塔。着甲山神刻像塔はそうお呼びするべきなのかもしれない。そして、全く同一の神さまを祀っているのだろうという石塔が、もう一種、あの辺りには存在する。 #今日のいしぶみ pic.twitter.com/MQFGjzEmdV
さて。今年は春からいきなし山神さまとのご縁が続いている。村田と蔵王とまた村田と。そんな中で、この武人姿の神さまがいったいどういった山神さまであるのかは全くの不明。でも、その御名?は分かっている。辰山山神社の寛延三年銘塔(1750)と併祀されていた石塔に、刻まれている。 #今日のいしぶみ pic.twitter.com/OH187O7VWE