- すべて
- 画像・動画
並べ替え:話題順
何か……先の首無地蔵尊さま関連のツイートを、かなり多くの方がご覧になられたようで。私としては「うおおぉぉ……(@_@;)」な感なんですけど、まず通常運転で行きましょかね。こういう石碑石塔石仏があるんすよーというのを焦らずのんびり(?)、かつバンバンつぶやく垢ですんで。ね。 #今日のいしぶみ x.com/_mamehito_/sta…
ってか、あからさまに弔いの石塔だと分かるお地蔵さまをお堂の主尊に据えるのも「?」な感じはするけれど。信仰の対象ってことなんでしょう……? んでもまず、同所ではこういう石↓にもお会いできたから。満足満足。 #今日のいしぶみ pic.x.com/9jzdiqw7ya
万に一つで子安観音さまがいらっしゃることを期待したのだけれど……振り返ってみれば、歌津ではこうした覆屋の前例があったんだわなx.com/_mamehito_/sta…。石浜のお地蔵さま。期待ハズレとは思ったらあかんね。全く存じ上げなかったのだし。お姿を拝めただけでよし。 #今日のいしぶみ
先に触れた歌津石浜の地蔵堂も、その堂内に安置されている三基はこう↓。左右の二基は登米式の特徴を示していて、特に向かって右の寛政七年銘塔(1795)は顕著。蓮弁形の光背が一目で分かる。 #今日のいしぶみ pic.x.com/fkgoauwn6i
↑の引用元の六地蔵さまはこの時x.com/_mamehito_/sta…の覆屋の主尊。享和元年銘(1801)を持つ……追善供養塔と見た。戒名が数名分刻んであった。現地の様子はこう↓。 #今日のいしぶみ pic.x.com/u1t2dxpksr
引用のお地蔵さまは下掲画像一枚目。各所にご報告という案件、またつぶやきたいものがボコボコボコボコ溜まってきとる中で、地価マップ云々と来たからアドレナリン出っぱなしだよー(涙)という。停滞ごめんくださいませ…… #今日のいしぶみ pic.x.com/he7fqahbos x.com/_mamehito_/sta…
上のほうで、お地蔵さまとか石の頭が見えるとつぶやいていた、草むらの向こうがこちら。マップでは路傍祠のマークが打たれていた。何遍も通ったはずだけど……と現地に着くと、やはりは隠しようのない石の姿が見えた。その筆頭がこちら。文政十二年銘地蔵菩薩立像塔(1829)。 #今日のいしぶみ pic.x.com/iim44aofbo
改めてね……今日は凄まじかった。ドーパミンだかアドレナリンだか、脳汁ドッバドバ。折から悪天候ではあったけれど、構いやしない。エンジンフルスロットルになった私にとっては、いい冷却剤だった。なんてね。一度エンジンがかかったらフル回転、の感覚を久方ぶりに味わった。 #今日のいしぶみ x.com/_mamehito_/sta…
……いや、そう言いはしても、雄勝でやることはまだまだありますので。精一杯、ご縁のもと頑張らせていただく所存ではあるので。今夜はそういうところを噛み締めつつ、幕。地価マップを肴に晩酌しましょ。 #今日のいしぶみ pic.x.com/bsusm7zx2p
枚挙に暇がないし、書き切れないし。まずそういった話を次から次へと聞かせてくださるものだから……こりゃ私がお聞きするのは全く間違いで、R774さんや道民さんに赴いていただくところだと思った。ガチで。それぐらい、私には余りに有難いご縁だとしみじみ思う。 #今日のいしぶみ pic.x.com/puo279eenf
……さて。こっからは余談(とするには心底勿体ないが)。上のほうで書いた通り、今日は人と待ち合わせをしていた。雄勝歴史研究会さんの、この時x.com/_mamehito_/sta…の方。ちょいとこの晩秋辺り、雄勝で諸々動く予定なので、その打合せに。 #今日のいしぶみ
どれぐらい知見をいただけたかだね。今日も今日とて……例えば、立浜の方がいらしてたのだけれど、曰くその方の家は建武元年(1334)に立浜に入って来たとのことで、当地の天神社(北野神社)の勧請が同三年(1336)のことである、との由。 #今日のいしぶみ
……とーいうことで。今日の石はこんな感じで以上である。全く魅せてくれますわ。石巻は。私が恋に恋した石巻は、こんなに素晴らしかった。いやどこだってそうなんですけれども。して、地価マップでの石探しもまだまだ途中。多分、まだ“未知”は眠っている。……上等じゃないのさ。 #今日のいしぶみ pic.x.com/u6q16eorri
が、こちらは流石に『石巻の歴史』に掲載されていた。「沼津・沢田・根岸地区」編の12番、“沢田字台”所在となっているものに間違いなかった。ついでに言えば、こちらx.com/_mamehito_/sta…もバッチリ取り上げられていた。同編14番、“根岸字大和田(大和田隧道前)”所在のバン種子碑。 #今日のいしぶみ
あーーー……お蔭様で思い出した。根岸大和田のこちら↓も板碑だったわ。もうすっかりこん忘れておったが。向かって右が確かア種子碑だったか。『石巻の歴史』に載ってたかな。場所はここmaps.app.goo.gl/nDi9a2dB7QqBQj…。 #今日のいしぶみのメモ pic.x.com/xm3xbuaeyz
「南無」って見えるよ?? 磨崖名号でしょこれ??? 私の目は誤魔化せないよ???? 例によって地誌では見たことがない。ほいで、その並びには……こう↓だものな。そら来た。板碑じゃんか。キリーク種子板碑じゃんか…… #今日のいしぶみ pic.x.com/nvg2ucepqz
……でな。私にしては珍しく、子安観音さまについてはここで一旦幕。像容については↑の通りであるし、分布についても、同じ沢田の取揚坂や医薬師神社さんにあるから、順当。更に興奮したものが、沢田台にはあった。下掲。石碑群の中に張り出した岩肌に……何か見えるよ? #今日のいしぶみ pic.x.com/wqy5birie7
先の、子安観音さまの全形写真の後ろに頭が映っているけれど。そこにも子安の石仏があった。文化年間の子安……地蔵さまだろう。蓋し立像塔。こちらは、石巻の子安像塔としてはポピュラー中のポピュラーな像容。左手で向かって左向きの赤子像を抱き、右手で未敷蓮華をお持ち、という。 #今日のいしぶみ pic.x.com/fjyh8rrqwl
宮城において、石仏における伝統的な子安観音像が大きく変化してゆくのは、大正〜昭和前半期であると私は見ているx.com/_mamehito_/sta…。その直前である明治時代末の事例として、今回の明治三十九年銘塔は相応しい様相を示していると思う。お会いできて……本当に嬉しかった。 #今日のいしぶみ pic.x.com/hudnyfhd9p
それは何故なのかーーというのは私には手に余るテーマではあるのだけれど、頗る興味深くはある。ただ兎角、近世以来の尊像からこうした昭和の尊像へ移り変わるのが、大正〜昭和前半辺りなんではないか。こうした傾向は、これまで度々感じることでもあったx.com/_mamehito_/sta…。 #今日のいしぶみ
……それが、あった。お恥ずかしながら、快哉をあげた。詳しく見てみると、蓮華を持たず、赤ちゃんの頭を向かって左に向けて両手でかき抱く、そんな事例はーー下掲に県内各地の事例を並べたけれど、覚えている限り皆無。ただ、宝冠姿の観音像は石巻の伝統的なところを踏襲している。 #今日のいしぶみ pic.x.com/aywspeef6r
六月末の志津川・徳性寺さんでの発見x.com/_mamehito_/sta…以来、久方ぶりに巡り会うことのできた子安観音塔。宮城県内での現存727基目! それも散々歩き回った石巻市内で!! 無いか、無いかと探し回りつつ、もう見つかる可能性は薄いのか……と踏ん切りを付けていた……!!! #今日のいしぶみ
あった。徳性寺の紀年銘不詳子安観音坐像塔。頭頂部の突出部は宝髻か。してお顔の両脇には垂髪……いやさ白衣のような造形も見える。胸元の丸ぽっちは赤子像頭部。左手には、画像ではよく分からないけれど未敷蓮華が確かにあった。間違いない。子安観音刻像塔である。 #今日のいしぶみ pic.x.com/vamcyn5fpm
勿論、SVでは事前に確認してみていた。が、歴代のSVには全く映っていない木陰にあたっていた。無論、私もここを二度三度と通っていたけれど、それでも見つけ出せなかった。だからこそ狂喜乱舞した。結論を言おう。明治三十九年銘子安観音立像塔(1906)……こちらが、あった。 #今日のいしぶみ pic.x.com/dncpmxomxp
さて……私が今日、最高にハイになったのはここから。三の手。早坂山や際の東方、県道234号線で折立・金山の峠を越えたすぐそばにある沢田台の石碑群である。今昔マップさんの古地図から推察するに、県道の旧道筋、その昔学校があったところの直下に当たる。 #今日のいしぶみ pic.x.com/gpgw9hsfdn
それだけに、斯くて他例と比較できるものが見つかろうとは。感慨もひとしお……という一方で、こりゃ石巻には珍しいだろうという石仏もあった。下掲のお地蔵さまがそう。紀年銘不詳の非粘板岩製。この頂部が尖ってせり出る光背の形は、柳葉形や細長いロケット形が旨の石巻では珍しい。 #今日のいしぶみ pic.x.com/frjlhvszrw
周辺地域一帯の事例の中でも、こちらx.com/_mamehito_/sta…の画像一枚目、同じ渡波の草和気神社さん境内にある寛政十二年銘塔(1800)に特によく似ている。馬頭観音立像塔……石巻では見逃すほうが難しいぐらいの大きさのものがほとんど。目ぼしいものは見つけ出せたと思っていた。 #今日のいしぶみ
何でこんな風変わりな石仏ばかり集まっているんでしょうね石巻っていうのは(歓喜)。で、その歴史は分かっているだけで安永年間から始まり、造立年代は近世に収まる。近代以降の事例は未発見。分布域は主に、市街地東方の真野川流域と湊以東の海岸部。表されるのは凡そ三面八臂立像。 #今日のいしぶみ pic.x.com/dtgdggxdzz
出色の一基。文化五年銘馬頭観音立像塔(1808)。濡れた木の枝(と蜘蛛の巣……)に遮られていたから要再訪。ただ、この面長にへの字口のご尊顔、大きく横に靡くお裾、が薄肉彫りされたご様子は見覚えがある。 #今日のいしぶみ pic.x.com/ycwilmf300
初手、はこうだった。これだけで脳汁ドバァなのに、二の手がまた。また。早坂山からさほど離れていない、渡波際の石碑群。表通りからは完全に見えない、路地奥の園地の端に沿って石塔石仏が並んでいる。これには参った。こんなところにあったのか…… #今日のいしぶみ pic.x.com/u19kh2ieta
そこんところが特色だろうか。関東の子安観音刻像塔でこういう幼児像ありましたよね。で、流留のはじめ他三例は追善供養塔であった。早坂山のも……願文はなかったけれど、同所の他の石塔が三界万霊塔や名号塔であったことに加え、こちらの施無畏印。弔いのための石仏であるか。 #今日のいしぶみ pic.x.com/hfdjvgpidg
何せ法量は倍以上ある。早坂山のは171cmある私の背丈を優に超えた。で、幼児像を見比べてみても違いがある。流留のケースでは、着衣姿の像がお裾に縋り付いている。他二例もそう。ただ早坂山のは、裸の幼児像が蓮座に上がって縋り付かんとしている。 #今日のいしぶみ pic.x.com/zh1x2fv4hl