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主人公 はやと もまた限りなく【善】の側に属する人間である。 その地全体が【善】に属する『島』であるからこそ彼はそこで穏やかに、幸せに暮らせた。 親友も出来た。長曽我部真男(まお)である。 #出会って4光年で合体 #猿渡哲也 #傷だらけの仁清
そうはならなかった。 父親の転勤で はやと は祖母に預けられることとなり、そこで舞台となる瀬戸内海の『島』に移住することとなる。 瀬戸内海の風景、そして『島』の人間たちの【善意】に触れることで彼は善なる心を取り戻した。(転地療養?) #出会って4光年で合体 #猿渡哲也 #傷だらけの仁清
同作者の他作品であれば欲望に走り、レ●プを目論むことによるストーリー展開(エロ漫画としてのエロ展開)に向かうところだが…… #太ったおばさん #出会って4光年で合体 #猿渡哲也 #傷だらけの仁清
自己本位の自覚はあれど、はやと の中の【善意】≒【正の偽善】が、ここで捻くれて【負の偽善】となり、彼の倫理観は破壊され、心が虚無となった。 #出会って4光年で合体 #猿渡哲也 #傷だらけの仁清
中学生になったはやとは、件の女子が意中の男子に告白するところを密かに目撃する。 彼女がその男子を好きになった理由は『密かに野良犬に餌をやっていて、優しい人だと思ったから』だった。 #出会って4光年で合体 #猿渡哲也 #傷だらけの仁清
野良犬への餌やりは、自らの心を満たすための【善意】であるとはやと自身の心中で語っているが、それをクラスの女子が教師に告げて、彼の行為は【偽善】であると糾弾される。 #出会って4光年で合体 #猿渡哲也 #傷だらけの仁清
はやとは誰かと誰かがセックスして、命を紡ぎ、誰かに愛されて産まれた子なのだと。 谷川ははやとにこのことを知って欲しかった。 【偽善】が彼を助けた。【偽善】であっても、確かに人間の【善意】があって、彼の命を繋いだのだと。 #出会って4光年で合体 #猿渡哲也 #傷だらけの仁清
タオルが敷かれていた、と。 確かにはやとの母親は彼を公衆便所で産み捨てた。 だけど、はやとの身体の下にはタオルが敷かれていた。 母親はただ捨てたモノとは思っていなかった。 【偽善】だが、確かに子のはやとを想う心はあったのだと。 #出会って4光年で合体 #猿渡哲也 #傷だらけの仁清
赤ん坊のはやとを助けた谷川は盗撮犯という、ぐうの音も出ない犯罪者である。 彼もまた精神的に追い詰められた【弱者】であることが語られるが、それでも彼は犯罪者である。 その彼が後にはやとのことを述懐する。 #出会って4光年で合体 #猿渡哲也 #傷だらけの仁清
母親の【偽善】の象徴であるタオルのおかげで、女子トイレに潜んでいた盗撮犯の谷川は便器の中のそれを排泄物とは思わず、赤ん坊だと気づいて助け上げ、彼を4ヶ月育て、後に警察に出頭してはやとを預けた。 #出会って4光年で合体 #猿渡哲也 #傷だらけの仁清
何か事情があったのか、母親は赤ん坊を育てられないに妊娠し、出産した。 赤ん坊のはやとを誰かに知らせることも預けることもせず、便所で産み捨て、罪滅ぼしのつもりなのか、申し訳程度にタオルをはやとの下に敷いた。 【偽善】だ。 しかし。 #出会って4光年で合体 #猿渡哲也 #傷だらけの仁清
母親は育てることもなく、橘はやとを便所で産み捨てたが、はやとの身体の下にはタオルが敷かれていた。 【偽善】である。 タオルが敷いてあったからといって、母親の胎から産まれたばかりの赤ん坊が生きられるはずがない。 #出会って4光年で合体 #猿渡哲也 #傷だらけの仁清
『出会って4光年で合体』の主人公、橘はやとは公衆便所に産み捨てられた。 『傷だらけの仁清』の主人公、永井仁清はゴミ捨場に捨てられた新生児だった。 赤ん坊の仁清はゴキブリやネズミに齧られていたが、橘はやとの下にはタオルが敷かれていた。 #出会って4光年で合体 #猿渡哲也 #傷だらけの仁清
そろそろ寝るのでまた明日以降にするが、とにかく【偽善】だ。 便所に捨てられた主人公を助けたのは女子トイレを盗撮する犯罪者である。 その犯罪者と、我が子を産み捨てた母親の【偽善】で主人公は命を繋ぎ紡ぐことになる。 「タオルが敷かれていたんです」 #出会って4光年で合体
この【偽善】は物語の【必然性】の極めて重要な因子だ。 主人公がこの世に生きて生を受けたのも、公衆便所で自分を産み捨てた顔も知らぬ母親の【偽善】のおかげだ。 「タオルが敷かれていたんです」 #出会って4光年で合体
主人公とヒロインの出会いは、台風によるヒロインの被災を心配した主人公の【偽善】である。 その【偽善】が主人公とヒロインを結びつける。 犬を助けた主人公は死ぬが、自殺ではヒロインと再会できなかったことが明かされる。 #出会って4光年で合体
この野良犬を助けるという【偽善】もは、主人公のキャラクターを織りなす重要なファクターであることは、序盤から示してあり、読者はそれでまた物語の【必然性】を得ることができる。 #出会って4光年で合体
鈍色の人生を送る最中は【虚無と絶望】に溢れていた主人公が、ヒロインの記憶を取り戻して生きる活力も取り戻す。 生きる活力を得た主人公はしかし、かつて失った【偽善】という自己満足の善意も取り戻したが故に、台風で溺れかけた犬を助けようとして死ぬ。 #出会って4光年で合体 #太ったおばさん
主人公はあるきっかけからヒロインの記憶を取り戻し、それを文章にしてネットに投稿する。 このくだりは現実における【創作活動による精神の救済】を描いている。 主人公にとっては現実の記憶だが、【体験】を【表現】し、それを世に発信するのは間違いなく【創作活動】だ。 #出会って4光年で合体
ヒロインの記憶を無くした中年主人公には将来の希望もなく、現在に楽しみがあるわけでもない虚無の日々が続く。 ひたすら『生きるためだけの生』を生きるべく毎日を過ごし、明日に怯え続ける今日を繰り返す絶望。 この【別離による虚無と絶望】が物語の【必然性】となる。 #出会って4光年で合体
普段Xやってないんで上手く投稿できんな… 『 #出会って4光年で合体 』では、【ヒロインとの別離】の最中、主人公はひたすらに鈍色の人生を送る様が文学的に描写される。 鮮やかで、幸福に満ちたヒロインとの生活を失った、中年になった主人公の虚無と絶望は、現代日本でありふれた【絶望】だ。
『 #ディスコミュニケーション 』では主人公とヒロインが敵の手により【別離】している最中でも、彼らは再会を求めてお互いにできる戦いを続けるし、パラレルワールドでの主人公とヒロインの青春とロマンスも描かれている。 しかし『 #出会って4光年で合体 』は違う。 #植芝理一 #太ったおばさん
しかしここで、【主人公とヒロインの別離】から【ヒロインとの再会】展開までのストーリーが『 #ディスコミュニケーション 』と『 #出会って4光年で合体 』を引き剥がし、そこで描かれる主人公の鈍色の人生が【必然性】を生み出す。
#出会って4光年で合体 の主人公がヒロインの記憶を失って別離するのもまた #ディスコミュニケーション を彷彿とさせる。 ヒロインと一緒に過ごした青春の非日常的(神秘的・宗教的)な空間の描写は #植芝理一 が描く世界を思い出すものだ。 #夢使い #太ったおばさん
ヒロインと出会う島では無数の鳥居、信楽焼の狸、いかにも昭和から平成半ばまでには有った【日本の田舎の風景】……のように見えて、何やら怪しげなオブジェで埋め尽くされた非日常的な風景。 #出会って4光年で合体 #ディスコミュニケーション #植芝理一 #太ったおばさん
ハッシュタグがきちんとしていなかった…… #伝奇SF といえば諸星であるが、『出会って〜』という漫画の美は植芝理一作品と共通性が有る。 自分と同じ年代は、特に『 #ディスコミュニケーション 』と『 #出会って4光年で合体 』を結びつけた方も多いのではないか、と思う。 #諸星大二郎 #植芝理一
とはいえただ感動しました、だけでは『語る』とは言えないのでダラダラと書く。 この作品を読んで自分は#諸星大二郎 や#植芝理一 の作品を思い出した。 あるいは、ラノベやエロゲーの全盛期・黄金期の伝奇SFを思い出した方もいるのだろう。 #ディスコミュニケーション #出会って4光年で合体
この『 #出会って4光年で合体 』という宗教的ポルノへの【感動】を表現するには、小難しい単語を並べるより素直に泣いた、素晴らしい、と言うのが一番だと思う。 この感動を表する言葉を、素直に、簡素な、とは言いたいが、照れ隠しに『陳腐な』とは言いたくない。作品への自分の感動を貶める。
物語への共感と、それによる感動を得るのに重要な【必然性】については『 #殺し屋1 』の垣原組長がわかりやすく説明してくれている。 【必然性】がないと、この『 #出会って4光年で合体 』は性欲発散用ポルノになってしまい、作中で語られる【宗教としてのポルノ】から外れてしまうのだ。
まあ、『出会って4光年で合体』を身も蓋もない言い方で表現すると【中年醜男が美少女とどちゃくそ純愛イチャラブSEXするハッピーエンド系エロ漫画】なわけだが、そこにいたるまでの重厚なストーリーにより、そのシチュの【必然性】が発生して感動が増す。 #殺し屋1 #出会って4光年で合体
FANZAだから叡智な漫画かと思ってました 或いは題名や評価チラ見で薄々感じてはいましたが 極 上 の S F ごめんなさいSFという範疇に収まらないかもしれません SFで必須の物理学や天文学だけでなく、文化人類学や考古学、歴史も端々に見えます 読後の爽快感をぜひ! #出会って4光年で合体 pic.x.com/okZjy9kyiI