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竹内まりや「SEPTEMBER」プロデューサー宮田茂樹が作詞を松本隆に依頼。夏休みが終わって新学期が始まる、9月のキャンパスライフを当時現役女子大生だった竹内まりやが歌う。曲のコンセプトと題材を「9月はさよならの国」にまとめ上げた松本隆の力量。#松本隆 #宮田茂樹 #竹内まりや pic.x.com/quvlt3ikhv
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RCAレコード社員プロデューサー宮田茂樹による竹内まりや「SEPTEMBER」制作時の回想。歌入れの時「借りていたディクショナリ、なんて歌いたくない」と竹内まりやが発言。一瞬凍りつく松本隆、割って入ってうやむやにした宮田茂樹。今は笑い話。1979年みんな若かった。#竹内まりや #宮田茂樹 #松本隆 pic.x.com/akkdas8fal
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竹内まりや「SEPTEMBER」制作時のRCAレコード社員プロデューサーの宮田茂樹がアーティスト養成していた秘蔵っ子、EPOデビューシングル「DOWN TOWN」1980年(昭和55年)3月21日発売。出足は鈍かったが、「おれたちひょうきん族」のエンディングテーマに使用されて大ヒット!#EPO #宮田茂樹 #山下達郎 pic.x.com/2dud2c1kak
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1979年竹内まりやのシングル「SEPTEMBER」のバックコーラスはメジャーデビュー前のEPOとRCAレコードの社員プロデューサー宮田茂樹。譜面を書かず、ヘッドアレンジだったという。「リバティ・ベルズ」というコーラスグループ出身の宮田さん、原石のEPOを磨いていた。#宮田茂樹 #EPO #竹内まりや pic.x.com/zcxmyivez0