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#山水河原者 室町将軍義教、義政に仕え、ついに同朋衆にも加えられた善阿弥のように出世したものも出た。 銀閣寺の作庭者の善阿弥(二代目小四郎)、又四郎。奈良大乗院御庭者の善阿弥、次郎。内裏作庭の市。相国寺の左近四郎、彦六、彦二郎。醍醐三宝院の与四郎。金地院の賢庭など。 pic.twitter.com/otlvOml2q2
#山水河原者 文献に登場するのは応永年間以後200年余つづくが、それ以前から、夫役(ふえき)として土木工事や作庭工事に従事させられていたと思われ、そのうち作庭技術を習得、徐々に名手も育った。 河原に住んで自然観察をよくし、枯山水形式など新しい創造活動の担い手となった。 pic.twitter.com/0HMMjOWGDX
#山水河原者 山水河原者の中で最も著名なのが、室町幕府の8代将軍・足利義政に仕えた庭師の善阿弥で、銀閣寺の庭園は彼の子と孫による作品である。その他、京都の中世以降の石庭の多くは河原者(御庭者)の作である。 pic.twitter.com/TfGHmCDmqr
#山水河原者 中世最下層の河原者のうち、作庭活動に従事し、やがて作庭の専門的技術者集団として社会的に認められたもの。 河原に住んで自然観察をよくし、枯山水形式など新しい創造活動の担い手として中世から近世初頭で活躍した。 pic.twitter.com/c3knYZSysb
#山水河原者 室町時代の庭者は、禁裏、公家邸、武家邸、寺社などの庭の造作・掃除や樹木の手入れにたずさわり、身分的には卑賤視されていた河原者(山水河原者(せんずいかわらもの))が主であり、彼らは、ときには使者、伝令、飛脚の任務にも駆使されていたことが知られている。 pic.twitter.com/dNA6shbLFR