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#島津忠良 #島津貴久 #島津義久 に仕えた新納氏は、#新納是久 から続く家系。#島津忠良 の母は新納是久の娘(名は常盤とも)。この新納一族は島津忠良の母方の縁者ということになる。 #新納氏 #島津氏 略系図はこんな感じ↓ pic.twitter.com/nbhNNitAIT
新納氏は島津支族である。戦国時代の新納忠元や新納旅庵などがよく知られている。島津氏の歴史を追っていくと、要所要所で新納一族が登場する。ちなみに、島津忠良(島津日新斎)の母も新納氏の出身である。 #新納氏 #島津氏 #新納忠元 #志布志 #大口 #鹿児島県 rekishikomugae.net/entry/2023/02/…
島津忠良の母は、#新納是久 の娘。#常盤 という名も伝わっている。 この母が、甥の #新納忠澄 を呼び寄せ、菊三郎(島津忠良)に学問を教えさせた。新納忠澄の子は #新納康久 といい、#島津忠良 #島津貴久 の家老を務めた。また、新納康久の子には #新納久饒 #新納旅庵 #新納忠秀 がいる。 #新納氏
新納氏は島津支族である。戦国時代の新納忠元や新納旅庵などがよく知られている。島津氏の歴史を追っていくと、要所要所で新納一族が登場する。ちなみに、島津忠良(島津日新斎)の母も新納氏の出身である。 #新納氏 #島津氏 #新納忠元 #志布志 #大口 #鹿児島県 rekishikomugae.net/entry/2023/02/…
大隅国の平松(重富)。思川(脇元川)から岩剣城跡を見る。正面の山が岩剣城跡。天文23年(1554年)に #島津貴久 が岩剣城を攻めた。思川のあたりも戦場に。岩剣城の背後の山は「惣陣鹿倉山」といい、島津方が陣を置いたとも。 #思川 #岩剣城 #岩剣城の戦い #大隅合戦 #姶良市 #鹿児島県 pic.twitter.com/tAZzjHxhtG
天文23年(1554年)、島津貴久は大隅国の岩剣城を攻めた。島津義久・島津義弘・島津歳久はここで初陣を飾る。攻城戦で鉄砲を使用した記録も。岩剣城を落とし、帖佐や蒲生の攻略の足掛かりとした。 #岩剣城 #城跡 #大隅合戦 #島津貴久 #島津氏 #姶良市 #鹿児島県 rekishikomugae.net/entry/2021/04/…
大隅国の岩剣城跡からの眺め。眼下に #平松 #脇元 の海岸(#重富海岸)が見える。天文23年(1554年)、#島津貴久 の軍勢はこのあたりから上陸したのかな? 岩剣城からは迫る敵勢の様子がよく見えたことだろう。 #岩剣城 #岩剣城の戦い #大隅合戦 #祁答院氏 #蒲生氏 #姶良市 #鹿児島県 pic.twitter.com/2XYdg5lovw
大隅国の岩剣城跡。その尾根の先っぽのほう。城域のうちでもっとも高い場所(標高220m)で、眺めがいいぞ。ここで狼煙を焚いたりもしたそうだ。 #岩剣城 #岩剣城の戦い #大隅合戦 #祁答院氏 #蒲生氏 #島津貴久 #島津氏 #姶良市 #鹿児島県
大隅国の岩剣城跡。その尾根の先っぽのほう。城域のうちでもっとも高い場所(標高220m)で、眺めがいいぞ。ここで狼煙を焚いたりもしたそうだ。 #岩剣城 #岩剣城の戦い #大隅合戦 #祁答院氏 #蒲生氏 #島津貴久 #島津氏 #姶良市 #鹿児島県 pic.twitter.com/zhyOgdVykv
天文23年(1554年)、島津貴久は大隅国の岩剣城を攻めた。島津義久・島津義弘・島津歳久はここで初陣を飾る。攻城戦で鉄砲を使用した記録も。岩剣城を落とし、帖佐や蒲生の攻略の足掛かりとした。 #岩剣城 #城跡 #大隅合戦 #島津貴久 #島津氏 #姶良市 #鹿児島県 rekishikomugae.net/entry/2021/04/…
大隅国の岩剣城跡。その本丸跡とされる。土塁には石組みも見られる(写真の左奥のほう)。土塁の向こう側には空堀がある。 #岩剣城 #岩剣城の戦い #大隅合戦 #祁答院氏 #蒲生氏 #島津貴久 #島津氏 #姶良市 #鹿児島県 pic.twitter.com/z8esQ7Bv1v
天文23年(1554年)、島津貴久は大隅国の岩剣城を攻めた。島津義久・島津義弘・島津歳久はここで初陣を飾る。攻城戦で鉄砲を使用した記録も。岩剣城を落とし、帖佐や蒲生の攻略の足掛かりとした。 #岩剣城 #城跡 #大隅合戦 #島津貴久 #島津氏 #姶良市 #鹿児島県 rekishikomugae.net/entry/2021/04/…
牧園町の #伊邪那岐神社 は、もともと #妙見神社 と称した。このあたりはかつての大隅国踊のうち。『三国名勝図会』によると元亀2年(1571年)の棟札に「地頭伊集院下野入道久通」の名があり。#伊集院久通 は #島津貴久 #島津義久 に仕え、踊郷の地頭を任されていた。 #伊集院氏 #霧島市 #鹿児島県 pic.twitter.com/1ghS0w5kMu
伊邪那岐神社。霧島南麓の中津川に鎮座する。いい雰囲気だ! もともとは「妙見神社」と称した。明治初めの神仏分離にともなって社号を「伊邪那岐神社」に変えたようだ。天正13年(1585年)に現在地に遷座。 #伊邪那岐神社 #妙見神社 #鹿児島の神社 #中津川 #牧園町 #霧島市 rekishikomugae.net/entry/2024/04/…
薩州家島津実久に圧迫された宗家島津勝久は救援の見返りに伊作家島津忠良の嫡子 #島津貴久 に薩隅守護を禅譲。勝久背信で内乱13年に及ぶも1539年貴久は家督と守護職を奪還。が国人衆の抵抗は根強く1571年貴久の死に乗じ日向の伊東義祐が来襲するも #島津四兄弟 が勇躍します pic.twitter.com/XE4RhUuqby
1571年 #7月15日 #島津貴久 没。薩隅守護の島津宗家は戦国乱世で衰退し薩州家島津実久に圧迫された島津勝久は伊作家島津日新斎の子貴久に家督を譲り救助を仰ぐも裏切って泥沼化,内戦13年を経て勢力を蓄えた伊作父子が勝久と実久の泥仕合を制し宗家の家督と守護職を奪回します⇒goo.gl/kb5a29 pic.twitter.com/IjZOcqkYlx