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1/10 台湾と朝鮮を併合し満州帝国を築いた大日本帝国の総理大臣の好物は、なんと「かんぴょう巻き」だった。 #東條総理 は週に二回ほど総理官邸で閣僚会議や重要会議を行った。そういう時の食事に銀座の二葉寿司を利用していた。 pic.twitter.com/9k7viwaQJH
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1/12 #東條総理 のご家族に対するいじめは東條内閣が崩壊した時から始まっていた。 「戦局が悪くなったのは東條のせいだ。」というのである。 東條内閣が総辞職したのは昭和19年7月なので、ポツダム宣言受諾の約1年前である。 戦争で家族を失った人々のやり場のない恨みがすべて東條家に向いた。 pic.twitter.com/C7txwWXILt
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1/6 東條さんの家は用賀にあった。 家が米兵に取り囲まれ、彼がピストル自殺した時、妻のかつ子夫人は庭に逃がされ、植木の陰に隠れながら、夫の部屋のほうをむいて両手を合わせていた... それから家族は離散した。しかし東京裁判が始まるとまた用賀に戻ってきて住むようになった。 #東條総理 pic.twitter.com/pS9qk8GRlN
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#東條総理 はどんなひとだったのか 1/18 東條さんは陸軍大臣ではあったが、総理大臣になろうなどという野心は持っていなかった人である。 東條が総理になったいきさつは、本人も仰天するような抜擢人事だったのだ。 昭和16年10月17日、東條は宮中へ呼び出された。 pic.twitter.com/O7o5CIhh7e