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尾張藩の前々藩主である徳川慶勝を征長総督として第1次長州征討が決まる。容保は幕府に朝廷の要請でもある将軍の上洛を要請し続けるが幕府は反応せず。孝明天皇は容保を支持することを示すよう気遣いし、禁門の変の戦功として勅賞と御剣を授与する。 #松平容保のおはなし pic.x.com/wao8ehhsw6
禁門の変が収束すると容保は公武合体の礎を作ろうとするならば今こそが絶好の機会であり将軍自ら軍を率いて長州を打ち破り幕府の威信を高めるべきであるという建議書を幕府の重臣たちに送った。8月2日、将軍家上洛を促すため江戸に家臣を派遣するも老中たちは謁見を許さず。 #松平容保のおはなし pic.x.com/6bsvkdpott
禁門の変で発生した火災どんどん焼けによる六角獄舎の斬罪事件を事後で知った容保は判決が出ていない者に対して断罪を行った町奉行を厳しく戒告した。しかし、この事件の背景に新選組ありとの噂が出で会津藩にも疑いの目が向けられる。尊皇攘夷派の宿怨が深まることになる。 #松平容保のおはなし pic.x.com/fpllrejnz7
禁門の変で発生した火災どんどん焼け。みるみるうちに京都の町が炎に包まれやがて火の手は牢獄の六角獄舎に迫る。京都町奉行の滝川具挙は過激派の志士たちの脱走を恐れ判決が出ていない者まで斬首。池田屋事件で捕縛された古高俊太郎も斬首された。容保はこの事件を知らなかった。 #松平容保のおはなし pic.x.com/zykoky8qgq
「禁門の変」が起きると容保は家臣に抱えられながらも孝明天皇のもとに向かう。孝明天皇に経緯をを説明し、騒動は収まるので心配無用と庭に宿衛し天皇を守った。孝明天皇は安心されたが、庭で夜通し宿営する日が続いた容保の病は悪化した。 #松平容保のおはなし pic.x.com/su0uypekck
長州藩の慎重派の久坂玄瑞は朝廷の退去命令に従おうとしたが武力で長州の無実を訴えようとする進発論の志士を止めることはできず挙兵に至った。7月19日、御所の蛤御門で長州藩兵と会津、桑名藩兵の戦闘が勃発。これが禁門の変である。 #松平容保のおはなし pic.x.com/bhmgi8wshj