外を歩くうちに雲の欠片を吸い込んでしまったらしい。肺の入り口に降る雨が止まない咳を呼ぶ。煙る視界と狭まる気管。深く吸う息が、侘しい秋風めいて鳴った。 #紙稿朔語

今夜は歴史の隅っこで今夜しかない月を見る。 今夜は歴史の隅っこで冷たいコーラ飲んでみる。 今夜は歴史の隅っこで赤い信号待っている。 今夜は歴史の隅っこで止まない咳に滅入ってる。 今夜は歴史の隅っこで古い童話を読み返す。 今夜は歴史の隅っこで、いつか来る死を待っている。 #紙稿朔語

取り出そうとしても都合良くいかないのが記憶というものだ。不意に開く扉を辛抱強く待つしかない。たとえば適当に買った咳止めトローチ。子供の頃に飲まされた風邪薬とまったく同じ味がする。ケミカルで再現度の低いオレンジは幾重にも苦く、大人の私は咳払いする。 #紙稿朔語

髢ｲ隕ｧ繧呈悍繧?縲ょｾｩ蜿ｷ繧呈拠繧?縲ゅ〒縺ｯ莨晞＃縺輔ｌ繧九ｂ縺ｮ縺ｯ縺ｪ繧薙□繧阪≧縲ゅ≠縺ｪ縺溘′縲∬ｦ九※縺?ｋ繧ゅ?縺ｯ縺ｪ繧薙□繧阪≧ #紙稿朔語

天啓とは誰にでもあるものではない。あったとしても整然とした言葉で語られるとは限らない。紆余曲折を経て今自分がここに在るときっと誰もがわかっている。けれども人はまっすぐな物語を求めてしまう。明解で痛快なオハナシしか愛せないなら、それはずいぶん虚しいことだ。 #紙稿朔語

人間の残酷さ。人生の空虚さ。人命の無価値さ。揺らぐ倫理の滑稽であること。弁論する政治の嘘臭いこと。狂熱する市民の醒め易いこと。名も無い悔しさ。儚い悲しさ。嗤われ無視され燃やされるその理不尽さも。文学は何も裁かず何も護らない。聖性も俗悪も乗せた船は、これからも人と進む。 #紙稿朔語

月が照る。衛星が通り彗星が彷徨う。土星の向かいで金星が沈む。どの星もいずれ消える定め。それは私がいつか死ぬのと同じこと。光るべきものとして生まれ滅びる。それは私の持つ定義と同じこと。美しいかは知ったことではない。うんと長くきっと強く光り、散ってみせる。 #紙稿朔語

他人を称賛するのは簡単ではない。褒めることが目的化しているとなおさらだ。そもそも人間は他人の功績を正しく評価することができない。なぜなら他人だからだ。私たちは常に的外れな思惑でもって他人を褒めるしかない。滑稽と思うのも億劫で、テレビを消した。 #紙稿朔語

年老いてなお太陽は壮健だ。時折吐く怪気炎はこの星にも届く。この老害と人工衛星が喚き立てても磁気嵐に差す傘はない。ため息に見上げれば翻る光のカーテン。青い船は今日もご老体の顔色を伺いつつ軌道を進む。数億年もすれば爆発するらしいが、おとなしく滅ぶとはとても思えない。 #紙稿朔語

月の浜辺は世相から遠い。それが役目だから当たり前だ。しかしここにいるから見聞きしそして感じられることもある。それはシンプルなひとつの結論だ。冷笑と無関心と無力感と自虐と否定と安易な肯定に挫けず書き続けること。ただそれだけの、一生を賭けるに値する事実。 #紙稿朔語

薔薇を買う。林檎を買う。今日の雨はいくらかやさしい。今夜には線路沿いの薄が銀波を立てるだろう。澄んだ水。赤い花。夏の名残りのラムネ壜。良く研いだナイフでくるくる皮を剥く。客車じゃないから床に落ちて消えたりしない。台所で齧りつけば芳香はふたつ。これが私の、静かな暮らし。 #紙稿朔語

雨と睡魔は仲が良い。ホワイトノイズに意識を浮かべると、笹舟のように漂ったあとすぐに沈んでいった。 #紙稿朔語

持つべきは同好の士。光より速く話をつけ、新しい遊びが始まる。 #紙稿朔語

伝承の地は現在墓地となっている。博物館の資料はそう述べた。文字通りの死の空間で彼は眠っている。彼がどれだけ真を語ったか確かめるすべはもうない。彼の代替となる他者の存在を証する理由もない。真も偽も飲み込み物語の郷は悠然と笑むだろう。誕生日おめでとう、語り部さん。 #紙稿朔語

夢見と体調が悪い。川沿いの金木犀に相談する。ところでこんな朝早く歩いている理由は？ 秘密。なんで？ ばつが悪い。顔見知りは呆れて嘆息する。雨混じりの芳香が鼻先を掠めた。絡んだ糸が解けるように頭が軽くなる。オレンジ色が目に染みる。ありがとう。青々とした葉が、かすかに揺れる。 #紙稿朔語

今夜求婚すると友人が息巻く。空に浮かぶ金色の輪を添えて真心を捧げるらしい。あれは神の領分の指輪だ。やめておけ。聞く耳持たない友人は落雷に倒れる。遺体は骨まで焦げていた。煌く炭素の欠片になって彩りを添える役は逃したらしい。人の驕りとは、さて何カラットあるのだろう。 #紙稿朔語

何事も派手にやれば良いわけではない。日常のふりを装って何食わぬ顔の悪巧み。花降らずとも今日は錦。にやり笑う星にウインクをひとつ、ではとっておきの夜としよう。 #紙稿朔語

感光する心象。焼き付いた感情。美し過ぎる光景の不自然。切り出された一瞬に、網膜の蠢く気配がする。 #紙稿朔語

夏は舞う。秋は凪ぐ。汽笛は唄う。星は光る。 旅は続く。それでは、また。 #紙稿朔語

夜に歩き回る癖を窘められた。とりわけ橋を渡るのを厳しく叱責する。迂闊に渡るな。あれは歩道橋だよ。言い返すと眦を決する。橋は境だとこの前学んだだろ。お前が魔になったら私が困る。なんでだよ。問い返すと目を伏せる。そうなったらお前、本当にいなくなるから。 #紙稿朔語

脳による記憶の整理を夢と呼ぶらしい。ならば覚えのない風景に立ち尽くすことを何と呼ぶのだろう。ある人の生家に招かれた。庭の池。熱い湯呑み。縁側。前をゆく人の白いシャツ。穏やかな夢だった。幸福な夢だった。だからこそ悪夢だった。決して現実になってはいけない、という意味で。 #紙稿朔語

図書館は嫌に騒がしい。馴染みの司書に理由を問えば閲覧席を占領する者がいると言う。納税の義務に対する当然の権利だと。現場を覗けば傷んだ本が喚いている。主を失ったのち自らを人と思い込む本は時々現れる。哀れに思いつつ立ち去る。この書架の森に、彼もしくは彼女の居場所はない。 #紙稿朔語

締め切りに追われないクリーンでヘルシーな創作活動をしたい。 優雅に創作を語り余裕に満ち溢れた執筆活動をしたい。 そう考えていた過去の自分へ。 タイムマシンがあったら、真っ先に殴りに行くからな。 #紙稿朔語

シロノワールを噛んだ歯ががちりと鳴る。フェーヴの季節はまだ先のはずだが。吐き出すと銀のペン先だった。おめでとうございますと店員が声を張り上げる。さあ書いてください王さま。はあ何を。あらゆることを。なら地位など要らんと応える。そんなもの無くても、とっくにやっている。 #紙稿朔語

旅の記憶を鍋で煮る。肉と野菜と香草と水を加えて火にかける。ガス台のそばに椅子を置き本を開いて待つ。鍋から懐かしい匂いが立ちのぼる。切なさも気まずさも誰にも言わない喜びも一緒くたにかき混ぜる。器に盛れば一人の食卓。文字通りの血肉にしながら、次を求めて片手で地図を開く。 #紙稿朔語

次の家主は実に退屈そうだ。運び込まれた大型コピー機を見て確信する。連絡するのはおそろしいから最近の動向はわからない。かつて悪魔と呼び今もそう呼ぶ人物。彼から買い取った数本は筆入れで静かに出番を待つ。綴るのは幸福な結末か、それとも。 #万年筆の日 #紙稿朔語

承知していたことだ。人が生きる以上街もまた生き物であり生きるとは変わっていくこと。街は変容を続ける。スーツケースとシャッター音を避け切れず居場所はとうに失われあるいは最初から居場所ではなかったとしても。変化を是として川辺を歩く。生きている私は、そのように歩く。 #紙稿朔語

線香の小さな火をたちまち消す雨を見ながら何を考えていただろうか。仏の隣で座っていたか冷える街を流離っていたか。軒に咲く竜胆を見ただろうか。濁る流れを見ただろうか。迷う大人を諭していたか。悩む子供を励ましていたか。生きていた頃と変わらないだろうか。答えはいつも、雲の先。 #紙稿朔語

黒猫の髭が帯電する演出を昔映画で観た。非可聴領域をふんだんに含んだ唸りが冷たい空気とともに寝起きの脳を揺らす。皮膚の表面が細かく震える。逆立つ産毛に目を凝らせば青い火花が見えるようだった。果敢に箒で飛ぶ魔女はあれから風邪を引いた。同じ轍は踏むまいと、毛布を引き寄せる。 #紙稿朔語