- すべて
- 画像・動画
並べ替え:新着順
#青森古写真 かつて、青森本町にあったという伝説のキャバレーゴールドのチラシ。残念ながら何年に配布されたか不明。 昭和20年代後半に開業し、その後何度か移転。むつ小川原開発土地買収最盛期の頃は、六ヶ所村から青森市本町までタクシーでここへ乗り付け、接待したという話が残っている。 pic.x.com/qm8wh90jly
#青森古写真 かつて、青森本町にあったという伝説のキャバレーゴールドのチラシ。残念ながら何年に配布されたか不明。 連日豪華メンバーが出演。青森市出身の淡谷のり子も出演している。 pic.x.com/dncyb5aa2i
#青森古写真 大柳モーター商会は事業拡大で、青森市橋本にも店を構える。昭和30(1955)年の撮影。左が今のみち銀国道支店のところ。隙間から見えている「カ」は、阿保味噌? pic.x.com/lqmjz5q9ju
#青森古写真 青森美以教会明治24(1891年)〜36年。青森市税務署通りにある日本キリスト教会青森教会最初の教会堂のようだ。塩町のどの辺だったのだろう。当時は瓦屋根が結構あった?100年以上前の写真! 「日本基督教団青森教会125年史」2006年より。 pic.x.com/yh1zacec2m
#青森ねぶた #青森古写真 1969年(昭和44年) 明るい社会づくり推進会 北川啓三 「大森彦七と千早姫」。 左端の紅屋には、「開店オープニングセール」の文字が見えている。開店間もなくなのか?ねぶた先導者の手には、扇子!拍子木から扇子に変わったのは、いつ頃? pic.x.com/dwp2pckzh3
#青森古写真 色々ともめていた青森県と青森市の統合病院建設予定地がようやく決まったようだ。 そんな中、このような絵葉書に出会った。青森実地明細絵図(明治25年 1892年)にある浜町にあった公立青森病院(今の神病院)にそっくり!当該病院の写真を初めて見た! pic.x.com/gnne7lsee9
#青森古写真 昭和44(1969)年の青森市中新町にあったネオンサイン。青森ねぶた運行時は、必ずこの下をくぐらなければならなかった。今に続く、ねぶた高さ制限の発祥地。星のマークとサッポロビールの鮮やかな文字。新町でデートする際、待ち合わせスポットにもなったらしい。コロンバンも。55年前! pic.x.com/5ofbdop0z2
#青森ねぶた #青森古写真 1969年(昭和44年) 青森市役所職員組合 鹿内一生 「玉藻之前」。 市役所前で、見得を切ったところ。髪の毛をシュロのような素材で表現する技法が流行った時代なのかな? ところで、左端に「宮腰家具店」の看板が見えている!古川だけかと思っていた。 pic.x.com/thvucuy9uq
#青森古写真 昭和24(1949)年4月、青森市役所前に大柳モーター商会が開店する。青森空襲からわずか3年。 敷地の土盛りが必要で、沖館小浜の海岸からリヤカーで3Kmの道のりを幾たびも往復し運んだという。 同店は、現在の青森トヨタカローラである。 pic.x.com/z9b9jcldc4
#青森ねぶた #青森古写真 1969年(昭和44年) 青森市役所職員組合 鹿内一生 「玉藻之前」。 このねぶたの昼間運行カラー写真は珍しい。画面奥に「しょうゆ」や「ベニープロパン」の看板。和田寛か?今の国道4号タカラの所。写っている建物は青森空襲を乗り越えてきた。 pic.x.com/gzowpnsjyt
#青森ねぶた #青森古写真 昭和44(1969)年 に組消防若者一同 鹿内一生 「龍王と金剛力士」。 ねぶたの後ろには、若者は見たことのない旧市民会館。これは使いにくいと言うことで、旧野脇中学校跡地へ。 ねぶたは毎年新作するが、街並みも時々変わる。 pic.x.com/vtxylixejz
#青森ねぶた #青森古写真 昭和44(1969)年 に組消防若者一同 鹿内一生 「龍王と金剛力士」。 左端は、北日本相互銀行。ここは元来、青森市役所の敷地だったが、建設資金が不足し、やむなく売却したとか。戦前は一帯が県病(青森空襲で焼失)、戦後焼失した市役所が移転。 pic.x.com/grh8imjb7u
#青森ねぶた #青森古写真 昭和44(1969)年の青森ねぶたカラー写真が30余枚発見!以前に藤巻健二さんから寄贈を受けていたものだが、デジタル化をしていなかった。カラーは貴重。55年の時間の経過は、フィイルムを劣化させる。素人ながら少し修復。 に組消防若者一同 鹿内一生 「龍王と金剛力士」 pic.x.com/hs7r2aaa8t
#青森古写真 奏海の会活動を応援していただいているYさんからの寄贈絵葉書(1枚目)。明治9(1876)年創立の青森県師範学校創立30年記念スタンプ。1906年の消印はそれとぴったり。 奥に見えている塔は、日露戦争後の兵士を迎える凱旋門(2枚目参照)? その右は、初代青森駅(3枚目参照)か?矛盾なし pic.x.com/o4yzj2ehgh
#青森古写真 #青森ねぶた 大正13(1924)年 東奥日報 め組の辰五郎と四ッ車大八 製作:柳町棟方。 この写真の撮影場所を推理してみた。ねぶた両側の建物はいずれも洋風建築。古い絵葉書に似た建物を発見!警察署と郡役所、特徴がぴったり一致する。写真探偵は楽しい! pic.x.com/rloeq7gkcb
#青森ねぶた #青森古写真 昭和3(1928)年、今純三「青森県画譜」年中行事ネブタから、台車運行ネブタ(車輪マークに網掛けネブタ=青丸)を数えてみた。なんと15台!驚愕!台車類似(黄色丸)が1台、担ぎネブタ(無印)が30台。当時の新聞記事では知り得ないデータが画譜分析から分かる。論より証拠。 pic.x.com/fsmnzstzzl
#青森ねぶた #青森古写真 前述ねぶた運行図全体を見てみた。参加団体数に比べて、拍子木を打ち鳴らしている人はとても少ない。今純三の鳥瞰図の正確さは、他の作品でも感じているので、とてつもなく価値の高い青森ねぶた資料だと言える。恐るべし、今純三! pic.x.com/lvmzgjqj8l
#青森ねぶた #青森古写真 今純三「青森県画譜」の年中行事ネブタを見ていて、拍子木を打つ人がいた!文字の上の絵文字がそのマークらしい。合同運行の所々にその印が見える。囃子のなかの拍子木が、戦後金属音のする手振り鉦に変わってくのであろうか? pic.x.com/2j8afqvk7t
#青森古写真 #青森ねぶた 大正13(1924)年 東奥日報 め組の辰五郎と四ッ車大八 製作:柳町棟方。100年前のねぶた!前列左の少年の胸には、「S」のマークが。恐らく学区である新町小学校のもの。製作者の棟方が誰なのか、とても気になる。 pic.x.com/iquwpcs84b
#青森古写真 これまでいただいたご教示や関連資料を1枚の写真にまとめてみた。日本キリスト教団 青森教会関係の方の目にとまってくれるとうれしい。間違いがあれば、ご指摘ください。 pic.x.com/qje7z4izsn
#青森古写真 1枚目は昭和10年青森保育園、男性は17代柳谷牧師に似ている。2枚目は昭和8年のそれ。歴代牧師一覧からすると、坂吉次牧師と推察できる!当該教会でも青森空襲で失われた資料が、戦後大分経ってから青森市内から出てくる。自治体史編纂に、本来は終わりがないのだと思う。 pic.x.com/xuwwmradxe
#青森古写真 青森メソヂスト教会関連の保育園であることをご教示いただき、関係資料を見た。当該年には、坂吉次・柳谷哲夫両牧師がいた。柳谷牧師の顔写真はあるが、16代坂牧師のそれだけは欠けている。 pic.x.com/e2txanb0sy
#青森古写真 青森市浦町に戦前あった青森女子師範学校附属小学校。写っている人物から、昭和11年頃の撮影。男性教諭は、山下喜一先生。セーラー服は、青森高等女学校生。この制服は、昭和9年以降に使われたらしいので、推定年と矛盾はしない。写真家小島一郎がいるかもしれない。 pic.x.com/29qgv2glgl
#青森古写真 昭和7(1932)年5月9日に青森市内写真館での撮影。24才と5才。当時の成人女性は、このような髪型だった?(参考:昭和初期(大正15~昭和5年)の道民の平均寿命は、男性が44.46年、女性が46.60年)この女性は19才で娘を出産、残りの人生は20余年?戦後の平均寿命の伸びが著しい。 pic.x.com/btebuvgyld