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ヒマゴ)曽祖父が1925年の #世界一周 の途中サンフランシスコで買った相棒、No.1 A Autographic Kodak Jr.。Youtubeでその使い方の動画↓を見つけ、裏のKODAKのロゴ部分の使い方を初めて知りました。びっくり。 #100年前の世界旅行 Using a 100-year-old Camera: No. 1A Pocket Kodak… pic.twitter.com/RdFQEXLwb9

金谷眞一@shinkanaya

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ヒマゴ)曽祖父の世界旅行、最初の上陸地はハワイ・ホノルル。親戚の案内もあり、忙しくも充実した半日を過ごします。でも米国の軍備への不安も。 #100年前の世界旅行

金谷眞一@shinkanaya

1925年6月10日 ホノルル 朝7時に検疫官が乗り込み、乗船医と共に健康状態と人数を確認。朝食後ホノルルに上陸。税関で手土産の甘納豆5袋に55セント課税される。尾崎商会尾崎氏、増山氏出迎え。尾崎商会は銀座で言えば服部、と言うくらい立派な日本雑貨店。(続く #100年前の世界旅行

金谷眞一@shinkanaya

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ヒマゴ)船上のレクリエーション、法廷ごっこ第2弾。今度は曽祖父も参加です。 #100年前の世界旅行

金谷眞一@shinkanaya

1925年6月6日(2日目) 太平洋航海7日目 1/3 Special Court開催。日付変更線通過で土曜日を2回にしカレンダーの秩序を乱した船長が被告。多数の証人出廷の最後に「東洋人の博学者、哲学をも研究せるDr.Professor Kanaya」の出廷を求められたのには閉口。 (続く #100年前の世界旅行 #日光金谷ホテル

金谷眞一@shinkanaya

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ヒマゴ)昨年6月から毎日曽祖父の世界旅行記を発信していたのですが、最終盤の12月にフォローして下さった方も多いので、再度、Xのリポストやnoteにまとめた記事に、新たに見つかった写真などを交えてご紹介しようと思います。よろしければ、どうぞお付き合いください。 #100年前の世界旅行

金谷眞一@shinkanaya

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ヒマゴ)note更新しました。 1925年6月1日からの世界旅行記、ようやく完結。ここまでご覧いただき本当にありがとうございました🙇 #100年前の世界旅行 (ほぼ)100年前の世界旅行 上海〜神戸〜日光1925/12/19〜25(完)|旅人のヒマゴ @shinkanaya #note note.com/witty_moraea83…

金谷眞一@shinkanaya

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ヒマゴ) 金谷家には何か不思議な「引き寄せ」がたまに起きます。 昨年秋、150周年史編纂佳境の頃、曽祖父世界旅行中の写真がひょっこり見つかりました。 日記から、英スコット隊の南極探検に同行した写真家、ハーバート・ポンティング氏が撮影してくれたものと見られます。 #100年前の世界旅行 pic.twitter.com/jhxBOUJ7eN

金谷眞一@shinkanaya

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6月16日(続き Thomas CookにYosemiteとYellowstoneへの旅程アレンジを依頼。その様子で米国内の旅程を決めるつもり。 1916年以来のサンフランシスコは車が多いが迷うこともない。夕食は猪野氏宅で日本食をご馳走になる。夫人も交えて話し込み、深夜にホテルまで送ってもらう。 #100年前の世界旅行

金谷眞一@shinkanaya

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6月16日(続き 酒井氏の同行を得て、Kodakのカメラ$45、ケース$3に名前も入れ、フィルムも込みで値引きあり$44.35で購入。Watermanの万年筆も40%引きで$2.40で購入。 AMEXで出会ったカナダ人がBurn氏がホテルが取れずに困っていたので、Palace Hotelでshare roomを申し出る。(続く #100年前の世界旅行

金谷眞一@shinkanaya

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6月16日 (続き 支配人Manwarring氏は東部へ旅行中。横浜時代から氏と常に共にいる秘書が4074号室に案内してくれる。昼食はヒラメとスープ、パンとチップで$1.4 (3.36円)。猪野氏(日光駅助役の兄)に電話して、酒井氏と共同経営するPacific Dry Goods Co.を見学させてもらう。(続く #100年前の世界旅行

金谷眞一@shinkanaya

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6月10日 続き) 同船した日布時事新報の坂田記者に旅行の目的を聞かれpleasureと答えたが、ホノルルで充実した視察ができたのは尾崎氏の厚意のおかげ。再びタフト号に乗船し出港。ここまで同船したCook夫妻とはここでお別れ。立派な方達だった。 #100年前の世界旅行

金谷眞一@shinkanaya

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6月10日 続き) Moana Hotelで増山夫妻と会食。ペイジやウェイターは日本人が多い。マネージャーに客室を案内してもらう。ここはリゾートとして大発展間違いなし。軽井沢万平ホテルの佐藤氏も滞在し、経営方針を学んだと増山氏から聞く。(続く #100年前の世界旅行

金谷眞一@shinkanaya

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6月10日 続き) 数年前日光でテニスをした弁護士Proser氏に電話し、事務所にいるというので会いに行く。先の大戦ではフランスで戦い、夫人はウラジオストクで看護師をしていたというすごい人たち。またの来晃を約す。高台から将来米国海軍根拠地となる軍港を臨む。(続く #100年前の世界旅行

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1925年6月10日 ホノルル 朝7時に検疫官が乗り込み、乗船医と共に健康状態と人数を確認。朝食後ホノルルに上陸。税関で手土産の甘納豆5袋に55セント課税される。尾崎商会尾崎氏、増山氏出迎え。尾崎商会は銀座で言えば服部、と言うくらい立派な日本雑貨店。(続く #100年前の世界旅行

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6月9日 (続き 植物検疫厳しい。ホノルル尾崎商会宛にARIGATOKANAYAと電信の礼を出す。 25年来の髭をそった。物を失った感あり。夜はFarewell Opera開催され、乗客たちが演奏。皆上手。 明朝は起床の銅鑼は6時、検疫官は6:45に乗船するので全乗客はデッキに必ず集まるようにと。 #100年前の世界旅行

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1925年6月9日 太平洋航海10日目 航海順調。揺れはほとんど感じない。船長からホノルル上陸証明書を渡される。国家として移民の増加を歓迎せざるものなれど、広い国土を占有した上で外国人、特に東洋人だからと入国を禁ずるには矛盾感じる。各自の立場で判断するよりなし。(続く #100年前の世界旅行

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続き)6月8日 今夜のダンスに中国服姿が多かった。三等船室に日本人らしき女の子が一人でいるのを見かけ、探しに行く。中国人とフィリピン人多数の中、草履を履いているのでわかった。持ち合わせた煎餅を分けると喜ぶ。先日の偽裁判のせいでDr. Kanayaと呼ばれるのも可笑しい。 #100年前の世界旅行

金谷眞一@shinkanaya

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6月6日 続き)3/3 午後5時Perry氏水葬のため船を停止し、牧師が祈祷を行う。 2週間前に横浜に着任したが病気のため英国に帰る途中の不幸に、船中寂として声なし。わずか27歳。先の大戦出征の際に病を得たか。両親の嘆きはいかばかりか。 #100年前の世界旅行 #日光金谷ホテル

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6月6日 続き)2/3 船長側の参考人として自分は日本語で弁論し、弁護士役はでたらめを並べ、無事船長は無罪となる。 多数の参加者皆その場に応じて応答し無駄無くかつ面白く終了。 午後3時、乗客Perry氏の急死が告知される。(続く #100年前の世界旅行 #日光金谷ホテル

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続き)6月4日 2/2 夕食後はダンス。航海は快適。しかし毎日30分ほど時計を進めるため腹時計と体の具合が調和せず、10時頃かと思うと12時で寝付けない。ハワイ到着前に1日飛び越すことになる。ラジオでシカゴに熱波襲来と。新聞は毎日船室に届く。切手購入($3)。 #100年前の世界旅行 #日光金谷ホテル

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1925年6月3日 太平洋航海3日目 昼はテニスやビリヤード、夜は“Hard Times Dinner”とて、みな物乞いなどの姿で現れダンスに興じる様子は一等船客とも思えぬ。しかし、美衣必ずしもその人を語らず。野獣のように扱われている三等船客にも立派な人はいるだろう。 #100年前の世界旅行 #日光金谷ホテル

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1925年6月2日 太平洋上 食堂のテーブルに”Sayonara Dinner Dance, Wear any kind of Kimono or necklace bought in Japan”と。関東大震災のとき #日光金谷 に滞在していた米国人Gillespie夫人が島田髷の鬘に和装姿で、小生の羽織袴とGood Matchなりと一等賞を獲得。面白し。 #100年前の世界旅行

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サンフランシスコまでの16日間、3食のほか10時と午後5時にBeef Tea, 夜11時にafter dance supper、アフタヌーンティなど、間断なく胃袋を働かしめ、料金は300ドル、718円56銭。ハワイ寄港のため総航路5491浬、即ち1浬当たり5.5セント。驚くのほかなし。 #100年前の世界旅行 #日光金谷ホテル

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午後1時半、自動車で第4号桟橋へ。Taft号に乗船。3時に船は動き出し、舷より投げた紙テープもだんだん切れ、見送りの顔もぼんやりした頃、パラソルにハンカチを結びつけて忙しく振るのを見える。花子ならん。 #100年前の世界旅行 #日光金谷ホテル pic.twitter.com/L7WfJnPRUP

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1925年6月1日 弟・正造、長女花子夫妻と共に横浜へ。震災の惨状が残り、復興は遅れ居り。広い船室を手配してくれたPacific Mail Steamship社にCampbell氏を表敬。同社はダラーラインに買収され事務所も閉鎖と。Tent Hotelでの昼食はムラオール氏の厚意で無償。 #100年前の世界旅行 #日光金谷ホテル

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長女花子の婿・正夫の声かけで、昼に日本橋エムプレスレストランで親族ら25−6名と送別会。夕食は弟正造、花子夫妻や妹夫婦の息子たちと、銀座松喜屋で牛肉をたらふく楽しむ。花子夫婦と次女雪子から無事を祈る手紙と花が届く。出港前夜を帝国ホテルで過ごす。 #100年前の世界旅行 #日光金谷ホテル

金谷眞一@shinkanaya

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1925年5月30日 東京 弟・正造と上京。6時から日本橋エムプレスレストランで「OSM会(日光金谷ホテルで屡々スケートを楽しまれた久邇宮朝融王ご命名)に列席。殿下ご欠席は残念だが、久邇侯爵が代理で来てくださった。正造も飛び入り参加。帝国ホテル泊。 #100年前の世界旅行 #日光金谷ホテル

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1925年5月29日 朝9時45分、世界旅行の第一歩、日光駅を出発。妹夫婦、金谷ホテル、日光自動車社員など大勢の見送りを受ける。上野から箱根宮下富士屋ホテルに向かい、関東大震災の被害から再建中の弟・山口正造を激励。山口のご母堂にご挨拶。富士屋ホテル泊。 #100年前の世界旅行 #日光金谷ホテル pic.twitter.com/rvkbovfTHe

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