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返信先:@08CL8JNEyhjPWMJ呉が言っている荊州を貸したという話の根拠が昔から謎です。赤壁前に曹操に勝ったら荊州を孫権のものにするという約束があったとは呉志にも出てこない。貸したと言えるのは周瑜没後に劉備に引き渡された南郡だけではないのか。
「敦煌写本の世界」(○_○) 台東区立書道博物館?せめて福岡まで来てくれたら頑張って出向きますが、、、『呉志』残卷など所蔵されてるんですよね? kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detai…
何度もいかがわしい場所にあると聞かされて、びびって足が向かなかった博物館に初入館しました。世界的なお宝がこれでもかと並んでいて、今まで来なかったことを土下座で慚愧したくなりました。中国宋代以前の文字と書物と紙に興味のある方は必見です。眼福なんて言葉ではすみませんよ。不折恐ろし!
返信先:@T_Kusumi057三国志時代の呉は滅亡の際、晋との決戦前夜に大船に乗った2万の大軍は逃亡、行方不明とか。呉志孫皓伝。その大軍は九州に上陸、霧島の高千穂峰で鉾を突き刺した。後に畿内へ移動しヤマト政権。
「夜刀神の境界」 KP - 紫露草さん (HO - PC / PL) HO1「刃」- 弌呉志 / 虚無 HO2「妖」- 二俣川 畔蒜 / T-fal シナリオ終了!!色々ご迷惑おかけしてしまい、マジで頭があがらないPL、それとは別に色々情けないPC 情けない者どもでお送りいたしました でもカッコ良いこともできた!凄! pic.twitter.com/6Ww7qWo6zG
呂 蒙は、中国後漢末期の武将。孫策・孫権に仕えた。字は子明。豫州汝南郡富陂県の人。『三国志』呉志に伝がある。 魯粛は感心し、呂蒙の母に目通りをして友達になることを約して別れた。魯粛は呂蒙を「呉下の阿蒙に非ず」と評した。 pic.twitter.com/L9JqIFgw7U
返信先:@twaAObYSpDCrtzVこれははっきりと断定はできないかもです。私個人の考えは敗北して危機にあった劉備から使者を送って孫権が最終的に鄭泉を送った流れが自然だと思っています。 ただ蜀志と呉志では書いてることが真逆だったりします。蜀志だと孫権から和議の話があり、呉志だと劉備から和議の話ありといったような...
返信先:@dJrTEnftip9skHs三国志時代の呉は滅亡の際 決戦前夜に二万の大軍は逃亡(呉志孫皓伝)、その大軍は九州に上陸、霧島の高千穂で鉾を突き刺して天孫降臨。 畿内に移動して大和政権の樹立(纒向)大和政権は呉の復興でした。
呂 蒙は、中国後漢末期の武将。孫策・孫権に仕えた。字は子明。豫州汝南郡富陂県の人。『三国志』呉志に伝がある。 魯粛は感心し、呂蒙の母に目通りをして友達になることを約して別れた。魯粛は呂蒙を「呉下の阿蒙に非ず」と評した。 pic.twitter.com/hd0n8lgGaa
返信先:@wingletter久しぶりに「呉志」諸葛瑾伝と「蜀志」諸葛亮伝をざっと見直しましたけどみつけられないですね。普通ならどちらかの伝だと思うので、一応この二人だけ確認しました。正史に乗っているなら話が早いので、どこの伝か教えて頂ければと思います。
返信先:@hirabaru46他10人笠井倭人『研究史 倭の五王』p6-7には、小島憲之氏の出典書名分類表(『上代日本文学と中国文学』上、所収)が載っていて、『書紀』の出典名として『史記』『漢書』『後漢書』『三国志(呉志・魏志)』『梁書』『隋書』『芸文類聚』『文選』『金光明最勝王経』『その他(淮南子,六韜,古列女伝)』を列挙。
呉志ワジンデン #2 読了。 2巻発売遅いな〜等と思っていたが、とうの昔に発売されていて、しかも打ち切り、終了していた…。 ガイバー基準で新刊を待ってしまうのは良くない習慣かもしれぬ。 最初に想像した呉舞台の三国志ではなかったが、古代日本の冒険モノとして楽しくなってきていたのだが…。 pic.twitter.com/MC9owW6yKS
ちくま三国志の呉志は言葉遣いが古くて、「これ現代語訳だよな…?」ってなる。 分からなくはないんだけど、 「時を同じゅうして」「人事掛り」「獄門にかけた」 って感じで。 訳者は今八十代になったばかりで、そんな昔の人じゃないはずなんだけど pic.twitter.com/fTZnbt2BIL
台東区書道博物館 taitogeibun.net/shodou/ 敦煌写本の世界 taitogeibun.net/shodou/oshiras… PDFのリストを見ると後期5/28-7/15に「三国志呉志第二十残巻」 「鄭玄注本論語残巻」『捜神記』 現行の『三国志』呉書巻二十は王蕃、樓玄、賀邵、韋曜、華覈の列伝だけど、どのへんだろ?つか『三国志』の最後の巻
台東区の書道博物館「敦煌写本の世界」企画展示ですが、敦煌ということでやはり所蔵品の三国志呉書残巻が展示されるようです。常設展示には無いものなので三国志ファンはぜひ。世界で最も古い三国志の写本の一つです。常設展示には蔡邕の筆と伝わる熹平石経などの石碑も。 taitogeibun.net/shodou/oshiras…
昨日が誕生日だった搭乗員さん。 尾関 行治さん(操練三十二期・昭和十年呉志)。 大正七年二月二日生。 昨年概略の経歴を把握することができました。 昭和十年六月、呉海兵団に機関兵で入団し修業後は軍艦扶桑乗組となりました。 昭和十一年一月、第三十二期操縦練習生として霞空に入隊しました。 pic.twitter.com/hxxxHeW8Ag
境界的な場所にあったと思います。解釈も里和さんの仰る通りですね。 ただ関羽もあの戦況化で孫権を敵に回すほど馬鹿ではないとは思うので食糧を単純に奪ったというのはどうかなとは思っています。正史記載が基本呉志側の言い分。 孫権らはもう荊州奪う気満々の状態でしたので口実の可能性も…