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🎦映画#80 『この子を残して』 (1983年) 長崎で被爆した長崎医大の医師、永井隆の手記が原作。 いまハウステンボスがある土地に広大なオープンセットを作り、それを実際に爆発させた。 戦争で、原爆で、多くの命が奪われて、生き残ったひとたちの身体とこころにも傷を負わせた。
返信先:@DarkKnight_jp木下惠介は黒澤明から「原爆の映画なんか客は観たがらないだろう」と言われ、奮起して『この子を残して』を実現させたそうですが、黒澤が言いたかったのは、被害の「再現」ではない映画的な方法で反核を主張することはできる、ということで『八月の狂詩曲』はそのアンサーだと思うんですね。
返信先:@misakiusitora『この子を残して』の被爆者や累々たる黒焦げ屍表現は、原爆被害の実相を映し出した写真などを再現して居ます。今村昌平『黒い雨』もそうですが、それはこちらが原爆被害国だからこそ出来る表現です。一方、『オッペンハイマー』に限らず、加害国側視点の映画が其処に踏み込むことは困難が伴います。
木下惠介も今村昌平も好きな監督ではあるんだけど、『この子を残して』や『黒い雨』で、原爆投下の瞬間と被害状況を特撮と特殊メイクを駆使したスペクタクルな見世物にしているのは、違和感あった。「映画監督の傲慢」を感じた。ノーランはその辺に自覚的だった気がする。
#それは反則だと思った特撮のシーン 木下恵介監督『この子を残して』(1983年。特撮あると思わやろ)の壮絶なトラウマ級ラスト3分間冒頭。長崎に原爆投下されて、爆風で吹っ飛ばされる浦上天主堂。同じく爆風で吹っ飛ばされる近隣家屋。アホやろ、と言う位、目茶苦茶に吹っ飛ばされます。
この映画、中学時代に上映会で観ました。 長崎県民であることと、当時本格的に興味を持ち始めていた特撮ファンとしての視点でも観た成田亨さん担当の原爆投下シーンは衝撃的だった記憶があります🥌 #この子を残して #成田亨
#それは反則だと思った特撮のシーン 木下恵介監督『この子を残して』(1983年。特撮あると思わやろ)の壮絶なトラウマ級ラスト3分間冒頭。長崎に原爆投下されて、爆風で吹っ飛ばされる浦上天主堂。同じく爆風で吹っ飛ばされる近隣家屋。アホやろ、と言う位、目茶苦茶に吹っ飛ばされます。
木下恵介監督『この子を残して』(1983年)は、ある意味既に制作された居たクリストファー・ノーラン『オッペンハイマー』のアンサー映画でも有るのですが、本作ヲ含め、『オッペンハイマー』と照らし合わせて観ると、色んなことが見えて来る映画を纏めております。 twitter.com/DarkKnight_jp/…
映画『 #オッペンハイマー 』の物語を理解したり、時代背景を知ったり、広島と長崎の実相を知ったりするのに、原爆含む核や被爆に関連する映画を中心に少しカテゴライズして纏めておりますので、ご参照下さい。 スレッド自体、こちらも長いですので恐縮ですがご容赦下さい。 twitter.com/DarkKnight_jp/…
神保町シアターに木下惠介監督の長崎の原爆投下を扱った「この子を残して」を見に行く。 長崎の原爆で妻を失くし、自らも被爆した医学博士が、自分の体験を後世に残すため書き綴る姿を描く。永井隆原作の実話の映画化。1983年公開 pic.twitter.com/bVyowkJ8uT
返信先:@reijirosan素晴らしい貴重なエピソードをありがとうございます。 今、観ても、『この子を残して』はちゃんとクリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマー』のアンサー映画になっていると思います。若い世代にはトラウマ映画にはなると思いますが。4Kリマスター化して上映して欲しいですね。
私の実家の蕎麦屋は録音スタジオ #アバコスタジオ の近所だったので映画関係者の皆さんにご愛顧頂き #木下恵介 監督も何度かご来店くださったんです。 そういう縁で、木下組のスタッフの方が「監督がぜひ女将さんに見て欲しいと仰って」と届けて下さったのが『#この子を残して』の鑑賞券でした。
#それは反則だと思った特撮のシーン 木下恵介監督『この子を残して』(1983年。特撮あると思わやろ)の壮絶なトラウマ級ラスト3分間冒頭。長崎に原爆投下されて、爆風で吹っ飛ばされる浦上天主堂。同じく爆風で吹っ飛ばされる近隣家屋。アホやろ、と言う位、目茶苦茶に吹っ飛ばされます。
『この子を残して』@神保町シアター 昭和20年8月9日、その人生が一変する医師・永井隆夫妻(加藤剛・十朱幸代)と子供達。 原爆投下直後の浦上の死屍累々の惨状を、映画の最後に映し出す木下惠介監督&山田太一の脚本。 無辜の民の命を奪う戦争に、絶対反対を叫び続けよとの永井博士の永遠の言葉。 pic.twitter.com/qsa4PzrzBv
「この子を残して」木下惠介 神保町シアター 偶然にも「オッペンハイマー」の翌日に鑑賞。原爆の爆風で家の中吹き飛ばされた淡島千景⁈や、原爆投下後の長崎の惨状を生々しく写したのは監督の反戦への強い想いか。今だから観るべき秀作。永井隆の映画は「長崎の鐘」もありましたね。4/14 pic.twitter.com/MPxgh624YF
NFAJ高峰秀子生誕百年特集「スリランカの愛と別れ」は初めて観た映画。先日神保町で「この子を残して」を観た際に80年代以降の木下惠介映画は観ていないと書きましたが、本作も当然80年代以降の作品だと思い込んでいたところ76年製作だった事を知り、ショックを覚えたほどです。76年といえば大学生の→
実は『この子を残して』では原爆投下シーンは映画中盤にあるのだが、そのシーンでは少し市街中心部から離れた山間部から見た原爆と襲い掛かる爆風表現を先ず見せる。更に映画ラスト3分間で長崎原爆被害の凄惨な写真を再現したかなり凄惨な状況の被爆者と黒焦げの累々たる死骸を見せるシーンが有る。 pic.twitter.com/SyG68nGhkF
映画『この子を残して』の特撮はウルトラマンのデザインもされた巨匠成田亨。現在ハウステンボスの佐世保旧針尾工業団地に浦上天主堂含む、当時の浦上地区を再現したオープンセットを作って撮影。浦上天主堂だけでなく、建てた家屋も爆破して吹っ飛ばすと言う木下恵介作品とは思えない迫力。 pic.twitter.com/ogNHKucKO9
今回の映画遠征は以下10作品を鑑賞 クラメルカガリ、クラユカバ、この子を残して、華岡青洲の妻、フォロウィング、独立愚連隊西へ、探偵物語、大学の山賊たち、月給泥棒、異人たちとの夏 初めて行った映画館も3つあり非常に充実
木下恵介監督『この子を残して』(1983年)は古いモノクロ映画と勘違いされるのだが、実は長崎原爆投下後の表現も、苦しむ被爆者と累々たる屍を延々と映し出す、特撮も使った強烈で鮮烈なカラー映画。ラストにこの言葉『過去を振り返ることは将来に対する責任をになうことです』 #オッペンハイマー pic.twitter.com/zQMQPxTZwV
「この子を残して」は1983年公開。同名手記を元に、原爆投下前後の長崎の庶民の生活が描かれる反戦映画。かなりつらい。けど志は胸に突き刺さる。「オッペンハイマー」に納得いかなかった人は観るといいかもしれません。 #この子を残して #movies #映画 pic.twitter.com/uDNZc7vOWx
→作品は観ておらず、2000年以後に名画座通いを復活させてからも60年代までの映画は上映される機会が多いのに80年代以後の映画はあまり掛けてくれないので観た事がありませんでした。本作「この子を残して」は、長崎大学医学部教授だった永井隆の原作を木下・山田が共同で脚色しており、永井といえば→
神保町シアター木下惠介・山田太一特集「この子を残して」は初めて観た映画。高校大学時代、木下の映画は10本くらいは観ていて、「二十四の瞳」「日本の悲劇」「女の園」「楢山節考」「笛吹川」など感心するものも結構あったものの80年代に入ってからも追いかけようとは思っていなかったので、後期の→
返信先:@gomen_maru山口崇さん、#この子を残して に出演なさっていたのですね! この映画見ておりませんが、大岡越前コンビの加藤剛さんと父子役で、木下恵介(監督)、木下忠司(音楽)と素晴らしい! 山口崇さんの永井誠一役は、TVで拝見しました。 「わが子よ」に出ておられたと思います。 tvdrama-db.com/drama_info/p/i…
╋━━━ 映画で辿る― #山田太一 と #木下惠介 ━━━╋ 『#この子を残して』🏭 𝟒/𝟏𝟑㊏~𝟏𝟗㊎  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ #永井隆 博士の随筆が原作ー。 医師が残した、反戦へのメッセージ! ⧉神保町シアター @jinbocho123 ⧉𝐇𝐏 shogakukan.co.jp/jinbocho-theat… pic.twitter.com/K4QxTFkVkH
途中までどこかファンタジーとして観てたんだろう、ナチスが倒れてじゃあ日本に、となった瞬間に映画の世界と自分が繋がってビックリした。オッピーが幻視した景色、俺には小学校の講堂で観た「ピカドン」や「この子を残して」等々の記憶で補完された。
返信先:@42195Kanchan他1人長崎といえば、長崎出身の作家・永井隆氏の「この子を残して」という作品が山田太一脚本・木下恵介監督の師弟関係で映画化していますね。ちょっと重苦しくて、あまり面白くありませんけど。これも原爆映画。 pic.twitter.com/6tJMlZOroX