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岸米員ら ➕ エジプト ➕ ハンガリー動乱❗ ; CIA 秘録 ❗ blog.goo.ne.jp/callthefalcon0… #gooblog pic.twitter.com/hfrkHWwsjf
返信先:@Reloaded7701ハンガリーは、ハンガリー動乱を経験しているし、ウクライナと隣接してるから緊張感、緊迫感がひとしお強いでしょうね。 離れた場所🇺🇸🇩🇪🇫🇷🇬🇧から好き勝手な事を言い、無責任な支援をする国々とは全く違います。 EU🇪🇺が仲間割れしませんように🤝
カラシニコフ銃のNHK番組。 途中のハンガリー「動乱」の映像。動乱ではない、民主化を求めた市民・国民をソ連が軍隊の力で圧殺したのだ。市民は必死に反撃する、ソ連兵から奪ったカラシニコフ銃まで使って。 今、銃も「銃撃戦」もないけれど、何処かの組織のやっていることが二重写しに見えた。 圧殺。
僕たちは希望という名の列車に乗った 50年代東独。ハンガリー動乱に共感して黙とうを捧げたら大臣まで乗り出す大事になって人生が変わった高校の1クラスの実話系映画。 共産党教育委員のおばちゃんの狡猾な手腕と見事なヘイトタンクっぷりは必見 amazon.co.jp/gp/video/detai…
返信先:@gerogeroR四六時中政権批判を繰り返しているマスコミは、ハンガリー🇭🇺動乱1,956や、チェコ🇨🇿プラハの春1,968みたく、鎮圧部隊と戦車を投入されて、テレビ📺局や新聞📰社ごと物理弾圧と粛清で消されてますよね。
④サーカスと「鯨」や「プリンス」の登場に、寂れた、経済的に困窮する街が騒めき、広場に人が集まって来る。やがてそれは暴動へと発展する。体制側に内通していると思われる叔母や警察、T34戦車などは1956年のハンガリー動乱を連想させるが、現実のハンガリーの状況との対応は分からない。
彼の死後、ハンガリー動乱で一部の部隊で使われ、それをハンガリー市民が奪う。 開発から9年、謎に包まれていた存在が初めて公に…。 この頃から東側諸国に広がっていく。さらに中国にも。 カラシニコフ銃は資本主義陣営との戦いの象徴となり、社会主義国に拡散。 製造技術も伝わり、各国で製造も。
返信先:@romuli2239多分中高の社会科だと東欧圏は精々プラハの春に留まりハンガリー動乱やルーマニア内戦とかはスルーじゃないですかね?ユーゴスラビア崩壊もコソボ問題は無しとか。イオン・アントネスクなんて名前すら出て来ない死刑執行前の挨拶動画やハーツオブアイアンで知る事になる。かな?
返信先:@sofiya_kataoka14 ソ連時代から続くことではある、自国の勢力圏、影響下から離れようとするたびにロシアは武力侵攻をしてきた。「プラハの春」「ハンガリー動乱」「アフガン侵攻」「チェチェン紛争」「ジョージア(グルジア侵攻」など枚挙にいとまがない。
返信先:@blueflame_tu>共産主義を名乗る社会なり国家が破綻した後にそう言っている これは歴史的順序がちょっと違いますね。 「ソ連は本当の共産主義ではない」は、アナキストはロシア革命直後から、トロツキストはレーニン死後から、そして西側共産党はハンガリー動乱の頃から。 ソ連崩壊後に知った人が多いだけでは
ハンガリーのオルバン首相がNATOとの関係を再定義しようとしているとの記事。近年のハンガリーの動きは、ソ連の権威に対抗した56年ハンガリー動乱、東欧革命を経て、冷戦後の99年NATO東方拡大に率先して参加した国とは思えない。 #NATO #orban politico.eu/article/hungar…
返信先:@katsu0575jp2ハンガリーはなぜこうなったのだろう? ハンガリー動乱、旧社会主義圏をリードしていた経済力、80年代末の民主化、ハンガリーの人々は自由を希求する人たちというイメージが強かったのだが。。
岸米員ら ➕ エジプト ➕ ハンガリー動乱❗ ; CIA 秘録 ❗ blog.goo.ne.jp/callthefalcon0… #gooblog pic.twitter.com/e8dY6ScjMP
ハンガリー「動乱」のあった国でコレか…
中欧調査報道VSqureのGoulashニュースレター: ハンガリーが2月に中国と「公安協定」を締結した際、🇭🇺国内での中国警察官と共同巡回(*)の他、中国の顔認識ソフトなど高度なAI機能を備えた監視カメラ設置についても含まれていると *表向きは中国人観光客を助けるためという理由になっている。
写真は最近読んで面白かった本。 アゴタ・クリストフの「文盲」です。 彼女は「悪童日記」という本で有名になりましたが、 それに至る人生がこの本には書かれています。 ハンガリー出身。 ハンガリーがソ連に支配される中起こったハンガリー動乱。 その最中に国を脱出した彼女。 pic.twitter.com/xFDSDzEvUe
映像の世紀、カラシニコフ銃の回を見ているが、ハンガリー動乱の映像、見た事ある橋が出てきて調べたらゲッレールト温泉向かいの自由橋やん。あの学生達はブダペスト工科経済大学からデモのためブダフォキ通りに出てる映像なんだ。こうやって世界史に行った事ある知ってる現場出てくると興奮する!
T-55、ハンガリー動乱で初陣とはいえ損失も起こってたりするので大変な初陣なんですよね(そもそも練度不足による混乱もあるし、市街戦に慣れなかったのも大きい系) pic.twitter.com/hTZnU0Q0MU
AKは1956年のハンガリー動乱でも少数しか配備されず、は草だが そもそも1955年にソ連は映画でAKを登場させとるぞ….
AK-47が世界で初めて映画に映ったのは、1955年にソ連で公開された「マキシム・ピリピリーツァ(Максим Перепелица」で、ずる賢い主人公が軍で鍛え直される内容の映画。この頃までAKは極秘兵器で、薬莢さえ回収されてた