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>ダビンチの相続人の代理人を務めていると主張する団体「International Restitutions」は、1519年に当時の仏国王フランソワ1世が世界的に有名なモナリザを自分の物にしたと主張。 (中略) >同団体については、本部も代表者も分かっていない。 設定ガバガバかよ
Xでレオナルド・ダ・ヴィンチとフランソワ1世を検索かけてみたら、「ホモホモしい」と言われていた🥹 距離がね、近いからね… 否定する意図は無いですけど、 彼らはどちらかと言えば「親子」である。 年の差だけの問題ではなく、 実際フランソワはレオナルドを「父さん」と呼んでいた。→ pic.twitter.com/AhHU1NRaiA
よくフランソワ1世はレオナルド・ダ・ヴィンチと距離近すぎと言われてますが、 他の人とも距離近いです。 コイツは生粋の距離感バグ男です。 しばらく喋ってると3枚目のmemeみたいになる、絶対 pic.twitter.com/AI2I8WYbEv
RP ジョルジョ・ヴァザーリの記述から「レオナルドはフランソワ1世の腕の中で亡くなった」という記述があるけれど、これは死後50年後に書かれたもので、 その時点ではレオナルド・ダ・ヴィンチは伝説の人となっていたというのが通説 だけど私は完全創作でも仏王のもとでレオナルドを亡くならせます
5月2日は何があった日? 1519年の今日、ルネサンス期を代表する芸術家であり科学者でもあったレオナルド・ダ・ヴィンチが死去しました。67歳でした。 最期は彼の最晩年の後援者フランス王フランソワ1世の腕の中で息を引き取ったとか。画像はドミニク・アングル作『レオナルド・ダ・ヴィンチの死』です pic.twitter.com/pzOITyLmcp
1519年5月2日・命日 ◆レオナルド・ダ・ヴィンチ(67歳)◆ (1452年生) クルーの館で死去した。 フランソワ1世とは緊密な関係を築いたと考えられており、ヴァザーリも自著でレオナルドがフランソワ1世の腕の中で息を引き取ったと記している。 pic.twitter.com/AU24xhLYxI
1519年5月2日、レオナルド・ダ・ヴィンチが亡くなりました。🇫🇷国王フランソワ1世に招かれ、最晩年をアンボワーズ城近くのクロ・リュセで過ごしたレオナルド・ダ・ヴィンチは、城の礼拝堂で眠っています。現在修復工事のため見学不可、6月に再開予定。 #今日は何の日 #フランスダイアリー pic.twitter.com/1KL2XxS0tU
1519年5月2日、レオナルド・ダ・ヴィンチがフランスのクロ・リュセ城において没する。保護者であったフランス王フランソワ1世とは親密な間柄であり、一説によればレオナルドはフランソワの腕の中で息を引き取ったとされる。 pic.twitter.com/QjzzZDPf1z