- すべて
- 画像・動画
並べ替え:新着順
科学(サイエンス)で判断できる問題の領域と科学以外が判断すべき問題の領域があるというのが、ワインバーグのトランスサイエンスのもともとの議論でした。ところが社会構成主義の立場をとると、前者も科学以外の問題のように認識されるのです。5/14
返信先:@momokimitsusuke削除されたようですが…同感です。素粒子論専門の物理学者でカトリック助祭の三田一郎先生もおられますしね。他にも著名な科学者で自然法則に対する畏敬の念を持っている方は多いですよね。 先日ノーベル賞を取ったワインバーグの反宗教的な言葉がXに流れてきたので、このようなことを書いてみました。
今日気づいたけど ・解散を迎えるセパルトゥラからドラマーのカサグランデがスリップノットに入る ・スリップノットを抜けたワインバーグがスイサイダル・テンデンシーズに入る ・スイサイダル・テンデンシーズを抜けたネクルトマンがセパルトゥラに入る こんな超面白事件が4月に起きてたんすね
ジェイ・ワインバーグがslipknotの脱退を発表したので彼の素晴らしいプレイを見たくなった。 演奏もさることながらこの照明の中でプレイするのは大変そう 正確なリズムが印象的なドラマー インナーイヤーは絶対した方が良いとも、いつかのインタビューで仰って... pic.twitter.com/g94ViZqBG0
菊池誠さんは「分野としてはニセ科学ではないが、怪しい主張が入り込みやすい問題群」を「それらをトランスサイエンスと呼ぶことを知る」って書いている。 この解釈は明らかに誤りです。 小林さんもワインバーグもそういう概念を提示していない。 x.com/kikumaco/statu…
トランスサイエンス ワインバーグ テクノクラシー
今回、論文を読み直していないので、不正確かもしれませんが、トランスサイエンス論文でワインバーグが言いたかったのは、〈本音では、テクノクラシーで行きたいところだが、科学知を応用する際の不確実性のために、科学技術的意思決定では、テクノクラシーを完徹させられず、政治マターになる。
と言いながら、私の相手をしてくれているんだね。 ①まずは清水右郷さんのこの論文を読もう jstage.jst.go.jp/article/jpssj/… ②ワインバーグの元論文を読もう ③小林傳司さんの『トランス・サイエンスの時代』を虚心で読み直そう この手順を踏めば、ご自分のトランスサイエンス解釈が誤りだと気づくはず。
全く読解力がないるーあんくんに62人もフォロワーがいるとは。 僕が言ってもいないことを勝手に決めつけないようにしなさい。せめて、書いてあることくらいちゃんと読め。 なお、フォロワー62なので、相手はしない
そもそも日本の場合、テクノクラシー自体が無能すぎて、トランスサイエンス概念まで到底辿りつかないんですよね。テクノクラシーが無能な場合どうするのか、ワインバーグ書いてますか?
今回、論文を読み直していないので、不正確かもしれませんが、トランスサイエンス論文でワインバーグが言いたかったのは、〈本音では、テクノクラシーで行きたいところだが、科学知を応用する際の不確実性のために、科学技術的意思決定では、テクノクラシーを完徹させられず、政治マターになる。
この “yet” は、通常、逆接の意味で理解されているのですが、「まだ」の意味で解することもできます。そうすると、トランスサイエンス的問題群が将来的に科学によって解答可能になることをワインバーグが期待していたと読めることになります。
ワインバーグがテクノクラシストであることは、トランスサイエンス概念の導入の仕方にも現れています。トランスサイエンス的問題群とは、“questions which can be asked of science and yet which cannot be answered by science” だとされます。
ただ、個人的な考えですが、ワインバーグはテクノクラシーへのコミットメントが強すぎるので、彼の議論に立脚しながら、科学技術的意思決定への市民参加を正当化するのは、あまりよい筋の議論ではないと思っています。
実際、ワインバーグのこの見解を、真剣に受け止め、検討している人々がいます。東北大学大学院理学系研究科の本堂毅さんが中心となっている研究グループです。科学の不定性と、科学知の法廷での利用に際して、コンカレント・エビデンスが果たす役割を学際的に研究しています。
ワインバーグの論文には、市民参加をより秩序だったものに導くために対審構造を参考にするのが有益だと書かれているはずです。対審構造がどういう意味で有益かを検討するためには人文社会科学の知見が必要です。ですから、隠岐さんの発言がワインバーグの見解から乖離している、とは思いませんでした。
今回、論文を読み直していないので、不正確かもしれませんが、トランスサイエンス論文でワインバーグが言いたかったのは、〈本音では、テクノクラシーで行きたいところだが、科学知を応用する際の不確実性のために、科学技術的意思決定では、テクノクラシーを完徹させられず、政治マターになる。
これ自分の杞憂だった。 「1970年代の科学教育における変容の性格(山田俊弘)」って論説を発見 東大大学院 教育学研究科の研究室紀要 この第3節 (3) でワインバーグ氏や柴谷篤弘氏の論を詳しく取り上げていて、小林傳司先生と同じ意味で使っていることを確認。 x.com/x2960/status/1…
この引用先の論文なんかがその典型で、 「トランスサイエンス概念が現代の日本ではワインバーグの想定とは異なる役割分担が論じられている」なら 「それは『間違い』」から始めないと議論にならないんだけど、 用語の方を自分達の感覚に合わせて再定義しちゃうし、 それを「根拠」に語り出すのよ。 pic.twitter.com/lfJKwhyc1F
ちなみに件の論文はこちらなんですが、「トランスサイエンスの概念の曖昧さに問題がある」としてワインバーグと小林傳司氏の用法を比較し、どちらの用法も許容する新しい定義を提案しているだけの論文です。読んで別に自分の投稿を訂正する必要性を感じませんでした。 jstage.jst.go.jp/article/jpssj/…
当該webのその箇所の要約 "「トランス・サイエンス」はもともとアメリカのワインバーグが1972年に提唱、日本でも直後、柴谷篤弘の『反科学論』で「超科学」と訳された。 近年(2007年)小林傳司『トランス・サイエンスの時代――科学技術と社会をつなぐ』では書名にも現れるようになっている。"
世界一流エンジニアの思考法 / 牛尾 剛 MSのソフトウエアエンジニアである牛尾 剛氏の仕事術の本。昔、自分もソフトを書いていたので、うなずきまくりでした。 驚いたのは、80年代に読んでいたGMワインバーグ(本書ではジェラルド・ワインバーグと記載されていたので、最初別の人と思ってました。 pic.twitter.com/q8Zo9ZCh6q
今ある歪み、前の時代の歪みを解消しようとした結果産まれた、顕在化したものであることも多い。 「ものごとがそうなってるのは、そうなったからだ」「第1番の問題を取り除くと、第2番が昇格する」(ワインバーグ『コンサルタントの秘密』)
男女雇用機会均等法が成立して40年、色々な歪みも生まれて顕在化してるが、この本をはじめとした戦後の女性の状況を見てると、「あんなもん成立しなきゃよかった」なんて言えない。
自分に自信がない人は高圧的だったり自信過剰にみえるので、対策は鼻をへし折ることだと思われがちなんだが、逆なんだよなあ。自信というか自分を適切に守るというか、過剰な自己非難をやめさせる支援が必要なんだよな。ワインバーグは非難中毒って言ってる
ワインバーグの提唱したトランス・サイエンスと隠岐さや香が言ってるトランス・サイエンスがどうみても別物なんだが、言葉の用法を勝手にねじまげてるあたり、理系どころか文系の研究者としての資質もないのではないか?
問題をトランス・サイエンスとして考えることは、許容量を決める規制当局にとって、実際には殆ど助けになりません。規制基準を決める際の常識的な方法としては、規制されるべき潜在危険と、日常生活における他の潜在危険とを比較することでした。 (ワインバーグ自伝より) msr21.fc2web.com/transscience.h…
隠岐さや香が出してきたから「トランスサイエンス」なぞどうせメチャクチャな概念なんだろうと思ってしまったが、ワインバーグの原論文にあたってみれば「これから科学内部だけじゃ決められない領域がどんどん増えてくるから、みんなで話し合う基盤を作ろうぜ」っていう至極もっともな話で、