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余談ながら、こんな言葉を思い出した。 『お前、”世界は一つ”だと思ってるか?文化人類学とは「”世界は一つ”でない」ことを事細かに証明する学問だぞ』曽野綾子「太郎物語」の作中の言葉だったか。 コレも70年代くらいが舞台だったんだろうか?
もうずいぶん前のこと、文化人類学が何やらステキな学問のようにもてはやされていた頃、中根千枝が「商社など海外に出てゆく日本企業はひとりずつ文化人類学者を雇うべき、異文化摩擦の専門家だから問題回避に役立つ」(大意)と公言しとったのを思い出した。 #なんか見た
ラインズ 線の文化史 ティム・インゴルド 人類学とは、人間がこの世界で生きてゆくことの条件や可能性を問う学問である!マリノフスキーからレヴィ=ストロースへと連なる、未開の地を探索する旧来の人類学のイメージを塗り替え、世界的な注目を集める人類学者の代表作。 bokenbooks.com/items/75198179 pic.twitter.com/XNmDLITKHu
文化人類学会の分科会「文化人類学とは何でありうるのか?」、「人類学を編集する」「アンソロスケープ」「未来志向の人類学」「インハウス人類学」など気になるキーワードばかり🥰 私は修論の一部を発表します! pic.twitter.com/2HDDz1jyul
インゴルドさんの 人類学とは何か より 「多種多様な異なるものからなる世界が一つである」 という言葉を教えていただいた。 チームコーチにとって大切な世界の捉え方なのでは と感じ、考えている。 思考を深めたい。
インコルドさんの 人類学とは何か より 「多種多様な異なるものからなる世界が一つである」 という言葉を教えていただいた。 チームコーチにとって大切な世界の捉え方なのでは と感じ、考えている。 思考を深めたい。
ここが人類学とは明確に違う。人類学はなるべく介入しない。だが、デザインは介入していく。 全てのデザインは本質的に暴力を含んでしまうが、それは咎められないので、ゼロにはできない中でどう縮減できるか?(ここもピリつくかなって思ってるw)
返信先:@tobeappstあらゆる研究分野に、人類学をくっつけて良い感じですね。 歴史人類学、言語人類学、化学人類学、物理人類学、分子人類学、考古人類学、認知人類学、人工人類学、システム人類学、神化人類学、土壌人類学、、! どれも、やりそうなことはわかりますよね。 じゃあ、人類学とは?となると、、???
僕は論文や民族誌を読むとき、データを読んで考えるのが好きなので、あまり人類学者の「立場表明」みたいなのには興味がないんです。だから人類学者論とか、人類学評論とか、フィールドワーク論とか、人類学とは何かみたいな議論は「話半分」で読んでます。
「野生のしっそう 猪瀬浩平著 ミシマ社」 人類学者の猪瀬浩平氏による、自閉症の兄とそれに繋がる人々との体験と考察。 読みながら「健常」「障害」(他にもある多くの区切り)の境界線が緩やかに溶けていく。 人類学とは誰かの歩いたあとをたどる営みという言葉も印象的。 心揺さぶる物語でもある。 pic.twitter.com/U5DfNiOlnF
インゴルドのアニミズム。人類学者とオジブワ老の石の生を巡る問答(『人類学とは何か』1章)は僧と国師の魂なきものの聞法を巡る道元の「無情説法」に似る。インゴルドの西洋思考の脱落に対し、道元は人間の力でなく法力の聞こえへと覆す。不意に岩田慶治に会う。アニミズムの現代意義は此辺に有る。