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1868年の今日は日本の評論家・翻訳家・小説家、内田魯庵が生まれた日です。1892年に『罪と罰』(前半部分)の翻訳を刊行し翻訳家としてデビュー、以後アンデルセン、ディケンズ、デュマ、ゾラ、ワイルドなどの翻訳を発表しました。小説作品としてはくれの廿八日、社会百面相があります。 pic.twitter.com/hG9tqjiQaW
余と万年筆読了。漱石の愛した万年筆の話。 ペリカンを使ってたけど原稿にインキが落ちるのが不満で内田魯庵オススメのオノトに変えたらするすら書けて愉快だと。でも漱石の使い方見ると軸洗わないしインキも継ぎ足しまくってたらしいからそりゃ詰まって駄目になるよな。漱石のズボラな一面が伺えます pic.twitter.com/elM0ufqBPK
『欧化と国粋』(刀水書房) 『罪と罰』(1866)に続いて内田魯庵が翻訳したのが長編小説『虐げられた人々』(1861)であった。 日露の「文明開化」の類似性とその危険性を明らかにすることで、ドストエフスキー兄弟が「大地主義」を掲げた時期に発行された雑誌と作品の現代的な意義に迫る。 pic.twitter.com/oJyEbsXKPw
帝政ロシアで書かれた長編小説『罪と罰』から内田魯庵がこのように強い印象を受けた一因は、「憲法」発布の直後に文部大臣が暗殺されて「教育勅語」が渙発されると「不敬事件」が起きて、日本でも国粋主義が台頭していたからでしょう。 (「教育勅語」の図版は、「ウィキペディア」より) pic.twitter.com/gPNG3X9tAL
内田魯庵は「良心」に注目して、『罪と罰』では「主人公ラスコーリニコフが人殺しの罪を犯して、それがだんだん良心を責められて自首するに到る」筋と、「マルメラードフと言う貴族の成れの果ての遺族が、次第しだいに落ぶれて、ついには乞食とまで成り下る」筋が組み合わされていると指摘しています。 pic.twitter.com/yilsAKcJac
憲法のない帝政ロシアの首都サンクト・ペテルブルクを舞台に自分を「非凡人」と見なした元法学部学生ラスコーリニコフの犯罪とその結果が描かれている長編小説『罪と罰』を内田魯庵が英訳で読み強い感銘を受けたのは日本で「憲法」が発布された年のことでした。→ stakaha.com/?p=8319 pic.twitter.com/DCL7emYQ7N