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非常に面白かったし考えさせられた。吉本隆明や鶴見俊輔や加藤典洋がいま生きていたら、このような感覚(政治より生活が大きい)を大事にするだろうと思われた。 東浩紀がいま考えていること・7──喧騒としての哲学、そして政治の失敗としての博愛 @hazuma #ゲンロン240519 shirasu.io/t/genron/c/gen…
アーレントの「悪の凡庸さ」概念が現代日本ではかなり乱雑に扱われているのは間違いないし、彼女のアイヒマン理解が本当に妥当なのかという点も歴史研究としては重要だが、そもそも論として、アーレントのアイヒマン論の本質は、加藤典洋が書いているように、彼女の語り口にこそあると思うんだよな。
加藤典洋さんの『テクストから遠く離れて』を読んでるけど、ロラン・バルトやジャック・デリダの議論を参照しながら「批評論」を展開してて面白いなぁ。 加藤さんは、作品の魅力を引き出すことに長けてるから、読んでいて得した気分になる。
返信先:@genroncafe他1人『観光客の哲学』は、 加藤典洋さんに亡くなる数ヶ月前に初めてお会いしたとき、 加藤さんが自らこれを取り上げて 「近年で最も注目すべき論考であり、 ひとつの達成だ」と激賞されていました。 あのとき、もっと加藤さんにその内容を深く尋ねておけば…と、いまも悔やまれます。
⑦たとえば、僕は憲法の不戦条項に必ずしも反対ではありません。 しかし、加藤典洋さんがどこかで言っていたと思いますが、日本国民が不戦条項に真に賛成なら、いまの憲法を改正して新しい憲法を作り、そこに不戦条項を入れるべきです。
朝日の人生相談。世界の不条理を後目に、それでもなお、個人は個人として生活を営まざるをえない。一面では、これも事実。問題は、そのエゴを肯定したのち、再び公共性に還り来ること。エゴを否定したまま、公共性につながろうとしても、持続や拡散性は生じない。吉本隆明や加藤典洋を参照してみては。
『映画芸術』487号の「ゲバルトの杜」特集記事を読んだ。代島治彦監督監督がインタビューの締めで加藤典洋の言葉を引いて「「絶望」ととなりあう「希望」を描いたつもり」と言っているけれども、仮に同じことを言うにしても別の人から引いてこれなかったのだろうか。
つまずく本屋 ホォル @hoorubooks さんで買った『思想の科学』 この号で加藤典洋さんの原稿を初めて読んだ。 「孤独だったから本を読んだのではなくて、本を読んだから孤独になったのでは、なかっただろうか」 pic.twitter.com/39OxPz1BAn
「あることがホンネであるのは、それが本当だからではなく、その対になるものが噓だから、タテマエだからなのです。これに対し、本心というのは相補的ではありませんね。それを口に出そうと出すまいと本心は本心です。」(加藤典洋『増補改訂 日本の無思想』平凡社、P64) amzn.to/3WImh9D
「ある発言が僕達に「失言」と感じられる時、僕達には、失言者のいっていること(発言内容)だけが伝わっているーー理解されているーーのではありません。そのほかに、なぜ失言者がそれをいっているのかという発言理由をも僕達は了解している。」(加藤典洋『増補改訂 日本の無思想』平凡社、P34) pic.twitter.com/9pFMkGLCSH
あと #マッカーサーノート の理想を実現したいですね。#9条 #加藤典洋 twitter.com/80bIQDpEuYyPcV…
今はこちらの本を読んでいます。#加藤典洋 さんは9条を活かすためには、#マッカーサーノート が当初意図した #自衛権 をも否定した9条と、#国連 の #集団安全保障 に日本の国防を委ねるというセットに戻るべきと(#国連中心主義 )。 9条の戦後史 (ちくま新書) amzn.asia/d/0co17Ft
⑦たとえば、僕は憲法の不戦条項に必ずしも反対ではありません。 しかし、加藤典洋さんがどこかで言っていたと思いますが、日本国民が不戦条項に真に賛成なら、いまの憲法を改正して新しい憲法を作り、そこに不戦条項を入れるべきです。
加藤典洋 1948-2019 日本の文芸評論家 早稲田大学名誉教授 講談社ノンフィクション賞、小林秀雄賞選考委員 著書に『「アメリカ」の影』『敗戦後論』『日本の無思想』『敗者の想像力』など ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0…
返信先:@mas__yamazaki加藤高橋論争についてどう思いますか? 僕は加藤典洋氏の言うように、我々自身が日本人の戦死者に向かい合ってないから、他国の死者について思い至らないと思っています。
返信先:@suzukisgr今日は加藤典洋さんのご命日でしたね。もう5年になるんですか。加藤さん、橋本治さん、大瀧詠一さん、僕の兄はみな1948年生まれで、僕にとっての「すごく頼りになる兄たち」でした。みんな鬼籍に入ってしまいました。その抜けた後を誰かが埋めないといけないのですが・・・
今日は2019年に亡くなられた加藤典洋さんのご命日。訃報に思わず天を仰ぎました。あのどこまでも深い優しさと厳しさがとても恋しいです。コロナに邪魔されたままのお墓参りも遠からず実現させたいです。『耳をふさいで、歌を聴く』(名著です)は在庫が空になって久しく、古本でお探しください。
今日は文芸評論家 #加藤典洋 の没後5年。戦後の思想空間の歪みと分裂をラディカルに解体し、作品が発表されるたび大きな反響を呼びました。☞ iwanami.co.jp/search/?&searc… 『言語表現法講義』 『僕が批評家になったわけ』 『大きな字で書くこと/僕の一〇〇〇と一つの夜』 pic.twitter.com/UxBVwIT2nb
今日5月16日は文芸評論家の加藤典洋が亡くなった日です(2019年) 戦後の日本社会を捉え直す視点から現代文学・映画・思想など幅広いジャンルで批評活動を行いました 晩年のエッセイを集めた『大きな字で書くこと』 戦後問題の核心に斬り込んだ『敗戦後論』 どちらも襟を正して読みたくなる本です😊 pic.twitter.com/J30RRNde7o
今日は文芸評論家、加藤典洋さんの命日。(2019年5月16日)
加藤典洋『戦後入門』(ちくま新書) 「戦後」を終わらせられないのはなぜか。核心にある「対米従属」「ねじれ」の問題の起源を世界戦争に探り平和憲法の大胆な書き替えによる打開案を示す。わたしたちよ、これでいいのか?思想の枠組みを破壊する言葉の爆弾。2015年10月刊 #ちくま1000「本」ノック+876
「人はいつも、遅れて来すぎた人間、早く来すぎた人間として、世界とズレをもって生きる。とすれば、まだ「とうてい環境が与えることのできない」時期にそれを求める、そのタイムラグのうちに、むしろ生きることの意味は、ある」(加藤典洋『敗戦後論』ちくま学芸文庫、P226) amzn.to/3UYMzD8
5月16日は、文芸評論家・加藤典洋の命日。 「わたし達は自分を疑う。わたし達は自分が誤りうるのではないか、と疑う。そう、そしてその通り、わたし達は誤る。しかし、この時、誤りを切り捨てたら、わたし達は大切な思想の種子と課題を捨てることになるだろう」(『敗戦後論』ちくま学芸文庫、P238) pic.twitter.com/LNuVDZW1wi
加藤典洋『戦後入門』(ちくま新書) 「戦後」を終わらせられないのはなぜか。核心にある「対米従属」「ねじれ」の問題の起源を世界戦争に探り平和憲法の大胆な書き替えによる打開案を示す。わたしたちよ、これでいいのか?思想の枠組みを破壊する言葉の爆弾。2015年10月刊 #ちくま1000「本」ノック+876 pic.twitter.com/kYJRB2eUq6
ナイチンゲールダンス【敗者復活ネタ】M-1グランプリ2023 youtu.be/4FGKFDBZ3NE?si… @YouTubeより 面白い。加藤典洋や斎藤環の本に出てくる「シニフィアンの連鎖」「換喩」ってこういうのの事を言うんだろうなぁ
16日は加藤典洋の命日。日記,写真論,歌詞論,自伝及び文芸批評,村上春樹作品論の一部は処分したが、繰り返し読む29冊は手元に残す。加藤の思考の軌跡に思いを馳せる。 pic.twitter.com/w8sjeXRI3x
⑦たとえば、僕は憲法の不戦条項に必ずしも反対ではありません。 しかし、加藤典洋さんがどこかで言っていたと思いますが、日本国民が不戦条項に真に賛成なら、いまの憲法を改正して新しい憲法を作り、そこに不戦条項を入れるべきです。
やはり企図されたものである、というわけで、そう考えると加藤典洋への肯定と否定の両方を内在的に語ろうとするこの語り口にはそれ相応の覚悟がみなぎっている、とみなせると思うんですよね。だからちょっと泣ける。それが「僕」と「先生」の2人をともに知っているからなのか、そうではないのか(続)
ことはある意味必然的であるということだろう、と思いました。であるならば、加藤典洋を語る最も誠実な方法(もちろんそれは複数あっていいわけですが)は、彼の語り口を工夫された語り口によって語っていくこと、でもあるのでしょう。そう考えれば、この連載で採用されている距離感ある語り口は(続)
とても持続させるのが難しい距離感で語っていきます。言葉にすると簡単ですが、実はこれ、相当大変なことだと思います(難しい)。それをそう見せない態度で淡々と対象について記述することを続けるのは、何を隠そう加藤典洋さんがやはり文章の人だったからだと思います。連載4回目にして(続)