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椿井文書説がある「山城国綴喜郡井堤郷旧地全図」を疑ったのは、宇山でアテルイが斬られたと書いた吉田東伍。 引用「學士會事務所に開き、会報第二号に載する所の山城国綴喜郡井出村の古墳……当日出席の委員は三宅米吉、中田憲信、坪井正五郎、吉田東伍、木村正辭の五氏にして、」
2024年04月13日(土)の #東京お散歩教室 の続きです。 芝丸山古墳の説明と碑を見ました。 坪井正五郎が明治時代に発見して瓢形大古墳の碑を建てた古墳です。江戸時代以降に削られたため、遺体や副葬品が不明になっています。 円山随身稲荷大明神(まるやまずいしんいなりだいみょうじん)を見ました。 pic.twitter.com/J4z2ZOfTRY
坪井正五郎が見たとされる埴輪は、所有者宅に400年間* 伝存して、現在は松戸市に寄贈、市立博物館の常設展示で観ることができます👇🏻🤗💕 * 引用投稿の「300年」は計算ミスです🙇♂️💧 x.com/TORUSuzuki10/s…
#はにツイ 21+α マジカルワールド🎩 02 会期も あと一週間になりました😔 21日(日)まで。もう一度、いきたいところだけど、今週末は無理そう😥 2階の常設展示にも、埴輪たちがいます☺️👇️ 江戸時代前期・寛永年間(1624~44)に栗山で出土して300年間伝世してきた “つわ者” たちです😍
つまり、“たてもの” 埴輪というと、“埴輪埴輪” になってしまう…… そこで、もう一つ。 これ👇🏻は坪井正五郎が千葉県東葛飾郡栗山村 字立出し(現 松戸市)で出土した埴輪を実見した報文ですが、文中に「建物」とあります🧐 意味は「埴輪」と取るのがよいようです。→ pic.twitter.com/jswzYc6nIt
貴族派(松浦伯,小杉榲邨)好古社だろう 天神派(根岸,山中,奥村,清水晴風の土俗會.坪井と阿部子爵の賛助を得て明治33年10月に発足) 赤門派(坪井正五郎の集古會) 博物館派(三宅米吉の考古) 考古學會派(沼田頼輔) 原町派(関保之補,野中完一,小石川原町に団結) 墓癖會派(石川文荘,大久保葩雲)
坪井正五郎(つぼい しょうごろう) 1863-1913 日本の自然人類学者 日本初の人類学者として、日本における考古学・人類学の普及と確立に尽力した アイヌ民族の伝承に出てくるコロボックルに関する論争に加わり実在説を擁護、日本石器時代人=コロポックル説を主張した ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%AA…
1913年5月26日、坪井正五郎が死去。日本で人類学や考古学の普及に尽力した存在として知られます。坂野徹『縄文人と弥生人』の第1章「日本人類学・考古学の誕生と人種交替モデル」にもちろん登場。本書は、日本人の起源を訪ねた研究者たちの足跡を辿り、そこから日本人の自画像をも描き出します。 pic.twitter.com/YSyDDWd8xO
返信先:@studying_Ainu他3人日本国内の博覧会における人種展示で、いちばん有名な大阪での第5回内国勧業博覧会での「(学術)人類館事件」にまず言及しました。 その次に有名なのが1912(大正元)年の上野での拓殖博覧会。坪井正五郎監修の人種展示に便乗して、金田一京助がアイヌ語の調査をしています。 colorful.futabanet.jp/articles/-/1924 pic.twitter.com/XVwRBXX6mh
幕末から明治にかけて、北海道小樽の手宮やフゴッペなどの洞窟遺跡から「北海道古代文字」が発見されると、内外の学者が意見を発表するようになるが、明治期の神代文字文字論を活性化させる効果もあった。坪井正五郎などの創設した東京人類学会などでは真面目に議論されることになる。 pic.twitter.com/HsOGOtHlfv
人類学者の坪井正五郎氏は石器時代~渡来人と混血になる前の縄文人時代前期までの日本人はコロボックルであったに違いないと主張した。同じ事を唱えたのが宗教家の日蓮宗の鷲谷日賢。 コロボックルが居た高度文明の富士王朝があった伝承はホツマツタヱや宮下文書にも記録あり。
夏は決まってお化けブーム。 先日TVで「ゲゲゲの鬼太郎」のクイズ問題を見かけて気になり、調べていたら、実写の役が李嘉誠 似の ウェンツ瑛士 ねずみ男の大泉洋は坪井正五郎 似 クイズ解答者のアニメPD永富氏は出口王仁三郎や李嘉誠 似 脇役者にも創価や李家。 人気アニメも創価ユダヤ李家の利権。 pic.twitter.com/EXe91QY045
なるほど。豊田章男も李家か。 日本一のブラック企業であり、かつオンボロ車ばかり作っても、「世界のトヨタ」と言われつづける理由がこれでよく分かった。 rapt-neo.com/?p=31654