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著者の石川三四郎は、堺利彦と幸徳秋水の平民社に参加して、大杉栄死後は日本のアナキストの中心人物だったのね。 (このあたり、きちんと勉強したい) ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3…
「…堺利彦・幸徳秋水・片山潜ら初期社会主義の影響のもとに、民衆や困窮する都市生活者に根ざした多様な社会事業を実践した加藤は、大逆事件後には売文社の顧問を務め、大正期労働問題や普選運動にも積極的に関わるなど思想と運動の両輪をつなぐ広範な実践を展開。…」
出奔して金沢におもむいた〉 増島宏 編『日本の統一戦線』上巻(大月書店、1978年5月)67頁注42 dl.ndl.go.jp/pid/12245490/1… 同注では、堺利彦の義弟、本部仁太郎夫妻と示野吉三郎との関係についても言及されています。
【異邦人社】 「異邦人社というのは金沢の大工示野吉三郎が中心となって一九一九(大正八)年発足した社会主義者のグループであった。示野は革新的な僧侶暁烏敏を知り、それを通じて大杉栄や堺利彦の著作に親しみ社会主義を目指すようになった。メンバーとしては農民、学生、店員、事務員、労働者、
【徳田秋聲の書生、示野吉三郎】 〈金沢には堺利彦の義弟本部仁太郎(妻タメの妹である延岡節の夫)が住んでおり、堺もよく金沢に来ている。そして、彼らによって明治・大正初期には社会主義関係の雑誌などがもたらされていた。(中略)しかし、本格的な大正期金沢の社会運動においては、真宗の革新的
【新着書評】ペンのことばっか考えてパンのことをいうのはカッコ悪い!?ちゃ… 『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い/黒岩比佐子/講談社』 honzuki.jp/book/status/no… #本が好き
【新着書評】カッコイイ大人は理想も現実も見捨てない 『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い/黒岩比佐子/講談社』 honzuki.jp/book/status/no… #本が好き
西田幾多郎、鈴木大拙、堺利彦、荒畑寒村、田中清玄、橘孝三郎、赤尾敏……。方向性は諸々あり、時代も違い、転向の有無も違う。それでも、「人物」は確かにいる。だからこそ、三木清教授が1945年にむごい死を迎えた時、きっと大切な"何か"も殉死し、"可能性"が喪われたのだとも思うてしまう、春の午後
渋沢栄一との関係を、東京ガスの「渋沢栄一とガス事業 公益追求実績の軌跡」から引用しよう/生涯の仇敵、渋沢がNHK大河ドラマの主役となり、お札の顔になる成り行きには、墓の中で歯噛みしているに違いない / “社会主義者・堺利彦、資本主義者・渋沢栄一との最後の戦い” htn.to/42Y4kzBt76
理想を捨てずに冬の時代を「売文ビジネス」で仲間を支え現実を生き続けた「日本の社会主義の隠れた巨人」こと堺利彦の生き様。とにかくかっこいい。 #コンサドーレ読書部 カッコイイ大人は理想も現実も見捨てない―黒岩比佐子『パンとペン』|つじー @nega9_clecle #note note.com/nega9clecle/n/…
返信先:@11Kumagoro日本に国家社会主義者が実際におりましてな。 北一輝という。 その経歴を見ると上京して幸徳秋水や堺利彦に接触し共産主義、社会主義に染まり「純正社会主義」を唱え左翼運動を行った結果、最後は極右として処刑される。 当人は左翼としての自覚しかないと思う。自他認める左翼闘士が最後は
松本薫『火口に立つ。』 律は生田長江のもとで速記や英語を習ったり、堺利彦たちの売文社で働いたりしたあと、女中勤めのとき、なんだか虐められていた同僚のイチとともにカレーとコロッケの食堂を開く。 シスターフッドが嘘っぽくないのは、支えられてるからなんだな~ nnn.co.jp/articles/-/256…
#歴小ノック 102 松本薫『火口に立つ』 教え子平塚明たちを励まし『青鞜』を創刊、有島武郎を擁護し堺利彦を応援し多たの男女の文人を世に送りニーチェを翻訳、思想界を牽引した生田長江(いくたちょうこう)。貢献に比べ静謐なその生涯。 視点の女性"律"と共に、読者は激動の時代を呼吸 凄く面白い! pic.twitter.com/aJMgprGoSw
『冬の時代』(木下順二) 木下順二の戯曲のなかで最もよく書けている作品。 殊に台詞が生きている。 堺利彦、大杉栄、荒畑寒村という実在の人物に対する共感が、生き生きとした戯曲を作らせたのだろう。 彼らが「冬の時代」を肩を寄せあって生きた姿がとても印象に残った。
1906年 明治39年 118年前ニュース № 2/7 1/28 日本社会党結成(堺利彦ら) 1/31 コロンビア沖でマグニチュード8.8の大地震 2/10 イギリス戦艦ドレッドノートが進水 Dreadnought=恐怖を知らない、勇敢なの意、ド級艦。 新しく取り入れた「斉射」技法とは?youtube.com/shorts/ahg5Dyt… 3/3… pic.twitter.com/PT4BNIQeK1
堺枯川(堺利彦)が、ゾラの『労働問題』を舞台を日本にして翻案したものを明治37年にだしてるんだけど、まだ最初の方しか読んでないが、昼ドラみたいでめちゃ面白いw。堺は才能あるなあ。と誰も関心ないポストwdl.ndl.go.jp/pid/889037
社会主義と言っても現在もそうですが、元祖も様々な主張があり実際は国家社会主義者となった高畠素之と堺利彦の対立が悪化して解散した経緯があります。ただ高畠は日本のマルクス研究家の草分け的存在でした。高畠はそもそも議会制進出の傾向が強い社会主義者でした。 pic.twitter.com/l1liPjqK80
日本のいわゆる「社会主義冬の時代」において政治犯として刑期を終えた堺利彦が立ち上げたのが「売文社」でした。マスコミ的な役割というより本業は代筆や文章代理でしたが、弾圧された日本元祖の社会主義者の唯一の拠点ともなりました。社会主義関連の出版も行っています。 pic.twitter.com/hH7yADbz45
そもそも日本共産党は1922(大正11)年、旧ソ連のモスクワに本部を置く「共産主義インターナショナル」(コミンテルン)の日本支部として誕生した。結成当初のメンバーは堺利彦、山川均、野坂参三、徳田球一らである。
中共発足の翌1922年7月15日堺利彦らが渋谷に集いコミンテルン日本支部 #日本共産党 結成。天皇制打倒と世界革命を掲げるも親分 #スターリン は一国社会主義へ転じ最悪の恐怖政治に邁進。日共は逼塞するも佐野学(後藤新平の縁戚)らが露命を繋ぎゾルゲ事件を経て戦後大衆政党に⇒goo.gl/1pNy33 pic.twitter.com/XsA6783RAu
添田知道「日本春歌考」(カッパブックス、昭和41年)。堺利彦創始の売文社に勤務、父・唖蝉坊の演歌活動にも参加した。 かつての日本には叛骨の士がゴロゴロといた。 pic.twitter.com/KfnYUFig1A