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🐥< 6/16は和菓子の日 平安時代中期に疫病が蔓延したため、年号を改め、その年の6月16日に菓子や餅を備えて厄除けや健康招福を祈願したのが和菓子の日の起源だそうです🍡 本日は和菓子の日に向けてひよ子のお店とオンラインショップでご購入いただけるお菓子をでご紹介🐣♪ 👇️詳細はツリーにて👇️ pic.twitter.com/I3jEfNt6BW
従兄「戦場で敵を組討する為に使ったり石垣の隙間に刺して足場にする為に使われる筈の刀が後世で女性の守り刀になるだなんて打った人間は思ってもみなかっただろうな」 私「疫病と飢饉を鎮める為に平安時代に行われた護摩供で使われた同派の剣のお膝元に行き着くなんて思ってもみなかったでしょうね」
返信先:@nhk_hikarukimie当時の一条帝は、非常に難しい立場に立たされていた ... ① 科学的知識に乏しい平安時代には、疫病の流行や天変地異は、君主の徳が薄いことが原因と考えられていた。したがって、② 詮子の振る舞いがどんなに不都合でも、一条帝は天皇の立場で生母を公然と非難することはできなかったからである。
当時の一条帝は、非常に難しい立場に立たされていた ... ① 科学的知識に乏しい平安時代には、疫病の流行や天変地異は、君主の徳が薄いことが原因と考えられていた。したがって、② 詮子の振る舞いがどんなに不都合でも、一条帝は天皇の立場で生母を公然と非難することはできなかったからである。
返信先:@9l6KApHmO3xa4Xe平安時代は、結婚16歳あたりが適齢期で、平均寿命短いから、男性も35歳あたりですでに孫がいるのが普通な老後ですし、当時40歳は現代の80歳イメージ?平安時代は疫病流行りまくりめちゃくちゃ不衛生でしたから、出産で亡くなる女性もたくさんいたでしょう
平安時代にみちのく(東北)で疫病や大地震が起きたのは蝦夷の怨霊の仕業だって立石寺を建立したんだけど、巨大な奇岩の上に納経堂が建ってる。これが疱瘡神の術式墓石に由来してる?墓石にしめ縄あるのおかしいと思ってたから遅ればせながら納得 pic.twitter.com/MdG6fIbDJM
角大師護符 疫病が流行した際、疫病神を追い払うため鬼の姿となった平安時代の高僧、元三大師良源。弟子がその姿を護符として刷って家々に配ったところ、戸口にお札を貼っていた家は疫病に罹らなかったという。二本の角のある黒い鬼の姿で魔除けや疫病除けの護符として使用される。 異界展7/19〜9/23 pic.twitter.com/mwmqAAUGVy
平安時代以後に中国の疫鬼の概念が貴族社会を中心に広く普及し、疫病はそれをもたらす鬼神によるものとの考えが生まれた。やがて一般での素朴な病魔への畏怖と結びつき、疫病神といった存在が病気をもたらすという民間信仰に至ったと考えられている。 pic.twitter.com/A8e3hs8Cjn
平安時代はな、なんか訳分からん厄災が続くと、とりあえず非業の死をとげた人に、怨霊として原因と擦り付けがちだから。菅原道真とか、崇徳天皇とか。定子が亡くなったときも疫病やらなんやらで都が荒れてたし、道長が貶める策として、怨霊の話をでっちあげる可能性があった。それから定子守り切った書
返信先:@piyococcochan2自然災害の多い日本 「地震、疫病、飢饉」の繰り返しでした。 現在もトラフ巨大地震の心配があり、まずトイレの水が溢れ不衛生な水で疫病が流行る。どんな時も水質管理は大切 度重なる感染症と自然災害で生まれた奈良時代・平安時代の文化と制度(福和伸夫) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/expert/article…
トレンドがほぼ #光る君へ 。 戦国でなくても、維新でなくても、このドラマがどれだけ面白いかと言う証ですわな。 平安時代は、平安な時代ではないからね。 権謀術数、呪詛蠱毒、疫病飢餓、死屍累々、悪鬼羅刹だもんね。 面白くない訳がない! pic.twitter.com/3Ws3o7rC5i
陰陽師は竈神や土公神の祟り、及び疫鬼が起こす疫病(流行病)による不調や病気を祓ったが(疫鬼の時は鬼気祭)、平安時代の貴族たちに怨霊や死者の霊による災いや病気の時に陰陽師に祓いを頼むという考えはなく、当時は僧侶や修験者が担当した。つまり陰陽道は死霊の災いに対応する必要が無かった。
疫病は疱瘡(天然痘)とされるが、史料によって「疫疾」「疫癘」とも表現され、伝染状況と収束期の有無など判然としない点が多く、新種ウイルスおよび変異体、または天然痘との並行流行の可能性もあると云う。災厄は30年近く続くことに… Virus and variants #歴史 #平安時代 #光る君へ pic.twitter.com/kNQOyL1z2P
正暦4年(993年)から長徳元年(995年)、大陸から九州へ伝播した疫病が全国で猛威をふるう。当時、都の人口は14~18万人と推定され、史料により数値は異なるが4万人以上が死亡したとも云う。貴族も五位以上67名(うち中納言以上7名)が犠牲となった。 猖獗極まる #歴史 #平安時代 #光る君へ pic.twitter.com/WHPmWX2d57
あんまり茶化して言うのもアレなんだけど京都ではしかが確認されたってニュース見て「疫病か…」と思ってしまった。 インバウンドが大量に押し寄せる地域は日本にないはずの細菌ウイルス来ててもおかしくなさそうだし、平安時代も同じ理由で多かったのかもなどと考えたり
昨日の葵祭で感じたこと 欽明天王の時代に疫病災害があり、 厄除けの為に 始まった祭りとのこと それ以降の人々も、あのような 華やかな衣装、ヤブサメなどの 行事を見物出来れば、気持ちも晴れて日々の生活に励んだであろうと 思いを馳せました 平安時代に盛んだったとは言え、 始まりは大和時代⁈ pic.twitter.com/Z0qp8G3T08
「鵺」のウルトゥくん ウルテミスの弟でウル弟→ウル お/とぅ/と です ウルテミスとの出会いは平安時代に人間と仲良くなろうとして疫病を撒いてたときに弓で射抜かれたのが最初です pic.twitter.com/sxvGdFvxpR
昔は感染症などの疫病は疫鬼が流行させると考えた。つまり疫鬼が人に取り憑いてウィルスを媒介し、発病すると考えたが、平安時代の延喜式という法律文に「陰陽師は節分に疫鬼を祓え!」、また「董仲舒祭法書」に「疫病が流行したら鬼気を祓う祭りを行え」とあって、安倍晴明などの陰陽師が鬼を祓った。 pic.twitter.com/uh4DcYo8KI
これは面白い視点です。京に治水対策が「ない」ことが、糞尿処理、ゴミ問題における公衆衛生の不備を補ったと。洪水が水洗トイレのごとく貧民街を洗い流したわけです。今年は大河ドラマの光る君へで平安時代の疫病の流行が描かれたこともあり、興味深く読みました。
#光る君へ 平安時代の病について『小右記』には『民が寺社に病気を治してもらおうと群がった事によりそこからさらに疫病が広まってしまった』とか『(接触を防ぐ為)毎年の相撲会を中止した』等と書かれています。この当時から接触を避ける事が病の蔓延を防ぐと考えられていたんですね。 pic.twitter.com/dj9guH2LFg