- すべて
- 画像・動画
並べ替え:新着順
LAXXXVII42:さらに「ドイツの農民戦争やフランスの宗教戦争(ユグノー戦争)で修道院は大きな被害を受けた」が、騒乱の時代にもかかわらず『托鉢修道会やイエズス会の活動は止むことはな』かったと言う。 (つづく)
でも歴史的に見ると、仏教は #祇園精舎 が寄付されて不動産を持つ様になったし、中世ヨーロッパの #托鉢修道会 も、結果的に莫大な富を蓄積したというからなぁ(#ゆかいな仏教(橋爪大三郎/大澤真幸)p.108より) 正邪問わず、「宗教が富や権力と結び付く」のは必然とさえ思える🤔 x.com/risusuzume/sta…
統一教会とか創価学会の人に聴きたい。 宗教やってたら教祖は貧しくなるはずだ。 可哀想な人々を救っていたら自分は経済的に貧しくなるはずですよ。 布教はボロアパートでも出来るはずです。 豪華な建物を持つのはインチキ宗教の証拠です。
返信先:@shachigaburiel5マテオ・リッチ 開封のユダヤ人と会う。 イエズス会に アレッサンドロ・ヴァリニャーノ 1579-1582年,1590-1603年来日 宣教方針「適応主義」 豊臣秀吉 ヴァリニャーノを支援 托鉢修道会(ドミニコ会,フランシスコ会)と対立 ↓ バテレン追放令 (1587年 キリスト教宣教と南蛮貿易に関する禁制文書) pic.x.com/RJ1Dm3Bm5O x.com/toritori_atom/…
↓続 中国にもユダヤ人コミュニティーが存在していることは、17世紀初めにイタリアのイエズス会の司祭、マテオ・リッチが開封出身のユダヤ人に会うまで、広く知られてはいなかった。 1605年にリッチは艾田という名の開封出身の若者と出会い、艾田はリッチに自分が一神教の信者であると説明した。 pic.x.com/LZSJMZSuLp
LAXXXVII39:一方、宗教心に厚い平民は、教会の聖堂参事会あるいはその共住組織の施設に集い、そこでは理念として『聖アウグスティヌス会則』を採用した。 修族は托鉢修道会の組織をまね、教皇もそれを承認したが、修道院の会則は貴族の修道院のままであった。 ('24.10.14)
LAXXXVII35:『かってクリュニー修道会が典礼に、シトー修道会が農業経営に重点を置いたのに対し、(修族の修道院は)学問研究を重視』と書く。つまり学問研究の点で、修族は托鉢修道会の『ドミニコ会やフランチェスコ会に近づいた』という。 ('24.10.10)
LAXXXVII34:具体的には、「修族の基本会則は『聖ベネディクト会則』であり、托鉢修道会の場合は『聖アウグスティヌス会則』であるという相違は以前としてあった」という。 さらに、新しい修族の特徴として、古い修道院と托鉢修道会とを比較し、次のようにも書く。 ('24.10.9)
LAXXXVII33:続けて『その路線上から托鉢修道会が誕生したが、古い修道院は今や托鉢修道会に倣って新しい修族と言う組織を生み出した、と言えよう』と記述する。ただ、理念的な影響は受けなかったように見え、「基本会則には依然として相違があった」とのこと。 ('24.10.8)
LAXXXVII30:修族とは聞きなれない用語で、見当がつかない。DeepLでは「修道会」、googleでは直訳で「修道院の会衆」となる。 『修道院』では『この組織(修族)は旧来の観想的修道院が托鉢修道会の組織を採り入れることによって生まれた、と言えよう』とのことで、その影響を強く受けていた ('24.10.5)
#CIH読書部 剣(騎士修道会とか)と清貧(托鉢修道会とか)のヨーロッパ 前半はイベリアや北欧等の各地の剣について、後半は都市化をテーマに清貧について話されている。残酷で慈愛に満ちたキリスト教世界を知りたい方にぜひ pic.x.com/2PBTswNhYE
インノケンティウス4世と托鉢修道会は欲しい。 x.com/medievalupdate…
Innocenzo IV e gli ordini mendicanti (@FondazioneCISAM, September 2024) facebook.com/MedievalUpdate… shop.cisam.org/index.php?rout… #medievaltwitter #medievalstudies #medievalpapacy #medievalmonasticism pic.x.com/bm7ca7ongn
返信先:@zero_hisui祈って働かなきゃ、あと写本も作らないと 托鉢修道会はガチ でも修道院から 「なんかシュワシュワする酒出来た」 ってシャンパンやリキュールが生まれるから面白い 偶然できたシャンパンを初めて飲んだドン・ペリニョンは 「星のような味だ!」 と、いかにもおフランスな表現をしたとか
LAXXXVII15:その理由は、この時期16世紀初頭には「托鉢修道会はすでに内部改革が開始されていて」、中でもア穏修士会が厳格な会だったからとのことである。 この項では以下、この時期どの托鉢修道会各派も内部で議論があり、もう一度厳格な方向に向っていると各派の状況を述べる。 ('24.9.20)
「剣と清貧のヨーロッパ」で騎士修道会に関する記述はここで終わり、次からはヨーロッパの「都市化」をテーマに托鉢修道会やドミニコ会の話に移る。 こちらもこちらで大変面白いのだが、やはり騎士修道会に関する記述が抜群に面白い。 なので、世の創作者たちももっと騎士修道会を出して異教徒を(ry