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#福井市立郷土歴史博物館 真田地蔵 大坂夏の陣で真田信繁を討ち取った福井藩主松平忠直家臣・西尾宗次が、信繁の菩提を弔うために造立したとされ、「幸村の首塚」とも伝えられてきました。 いつの時代にか破損し首が落ちた。これを無理に繋げようとするものは熱病に悩まされたという。 pic.twitter.com/zoeR1vjON1
返信先:@Tanuyasukun僕も大坂城への一番乗りは松平忠直さんだとずっと思ってたんですが、あのアライグマが一番乗りと書かれているのもあって、え〜と、これは攻め口が違うからそれぞれの一番乗りって意味なのかなと勝手に理解してますが、どうなんでしょう?
Wikiでも一般的にも大坂城への一番乗りは松平忠直サンになってるヤス。 でも覚書によると誰かサンが崩れた忠直隊を叱咤しながら真田を押し留め、かつ仙波(たぶん船場)方面から明石隊を破って大坂城桜門(本丸)に一番乗りした事になってるヤス これが予想進路。52歳元気スギィ! #大坂夏の陣 #水野勝成 pic.twitter.com/cW2AW6FKJo
―天王寺・岡山の戦いー 茶臼山の真田幸村に対し松平忠直。 天王寺口の儂の前、先鋒に本多忠朝、二番榊原康勝、三番酒井家次… 徳川四天王の倅たち。 岡山口は前田利常、井伊直孝、藤堂高虎、徳川秀忠。 合計15万人の軍。 豊臣は5万。 何だかんだ言っても圧倒的じゃないかわが軍は。 #大坂夏の陣2024
#大坂夏の陣 最終決戦!天王寺の戦い! この布陣図、当日の大坂は兵馬に満ち満ちていたと思われるヤス。 もう後がない大坂方の奮戦は凄まじく、真田がいえヤス様の本陣に肉薄したのはどうする家康でも描かれたヤス。 しかし結城秀康サンの息子、松平忠直サンの怒涛の働きで何とか押し戻したヤス pic.twitter.com/8XyxsSMSiX
返信先:@xxxjojo310xxxこちらにも福井県足羽山の近くに秀康公の菩提寺浄土宗 運正寺様があります🙏💫 なかなか撮影までは遠慮しますよね💦 秀康公の長男であり松平家2代当主 松平忠直という人物がなかなかの不届き者で、大坂夏の陣で真田信繁を討ち取ったりという活躍をしましたが参勤交代の途中で帰ったりして配流に💦
先週末に敦賀市立博物館で北陸新幹線敦賀開業記念企画「敦賀の名品」展を見学 朝倉義景・織田信長・羽柴秀吉・蜂屋頼隆・大谷吉継・結城秀康・松平忠直・京極忠高らの書状や円山応挙・長沢芦雪の可愛い犬も見れて満足 博物館も昭和初期に建てられた銀行で見応えあった pic.twitter.com/fFfkt7k3DK
福井藩2代目藩主松平忠直公により福井城内から移植されたと伝えられる 西福寺の鬱金桜なのですが 今年は大当たり年です 今が満開です♪ でも通は今の満開時期と この桜が淡いピンクに染まる時、そして花が落ちて木の下に桜の花道が出来る時の3回見に来ます。 pic.twitter.com/MaxBeJp2So
【5月6日迄】湮滅したとみられた替え兜と面以下が、近年奇跡的に見つかり約四百年目の合体展示。🦚福井市立郷土歴史博物館「越前百万石ものがたり〜福井藩祖結城秀康〜」に当館管理「雉子形変り兜付紫糸威具足」が出張中。秀康から松平忠直、忠直から譲られた松平直政が大坂冬の陣で着初した名甲です。 pic.twitter.com/PZfGS6HOzb
戦国時代に織田信長の家臣、柴田勝家が北の庄収めたが、信長死後に天下人目前の秀吉に攻め込まれて勝家は討死 また、関ヶ原の戦い(1600年)の後、徳川家康の次男の結城秀康が北の庄65万石に封じられるも、数年後に若くして病死。若い長男の松平忠直(家康の孫)が継ぐも素行悪化により失脚。
大坂の陣の恩賞として大御所である徳川家康から松平忠直が拝領したと伝わる「初花」の茶壺。忠直は「茶壺では家臣の奮闘に報いることができない!」として大事な茶壺を投げ割ったとされており、確かに大きな割れ傷があります。 #陶磁 #文化遺産 pic.twitter.com/pQwGBze0f9