- すべて
- 画像・動画
並べ替え:新着順
弘前高校在学中に出版していた「細胞文学」へ当時文壇にいた大物へ寄稿を願えないか考えていたノートが印象的だった。今東光や林房雄、薄らと武者小路の名前も。 人間失格の第三の手記が完成するまでの過程も見れたのも良かった。 pic.x.com/jya5yj8gjw
「第一種は金と名が欲しくて小説を書く奴、第二は金は親父が残しておいてくれたので、名誉だけが欲しくて小説を書く奴、第三は金も名もいらぬが、ただ書かねばおれぬので小説を書く奴。もっとも、この最後の奴は、たいてい二十代で野垂れ死にしてしまうさ。」 散る花のなにをかいそぐ/林房雄
井上〔馨〕は権力をとると、権力者は何をしてもいいというようなところがあるんだな。伊藤〔博文〕の方は権力を濫用しない。しかし、私生活においては、せっかく権力を手に入れたのだから、人を害しない限りにおいて何をしてもいい当然のことだというふうな調子で 青年、今と昔/林房雄
〔小泉〕三申翁が幸德秋水の親友であったという話は私をおどろかせた。その頃は、幸德秋水と大逆事件について語ることが禁制であった。翁は平気で秋水の思い出を語り、「惜しい男であった。無事に生きていたら、いい学者になっていたろうに」と言った。 文学的回想/林房雄
『我が闘争』を読むと、彼は衆愚の存在を確認し、ヨロンの実在を認めずヨロンは宣伝と煽動によって「作成」し得るものだと公然と述べている。私はそれを戦争中に読み、ヒトラーが嫌いになった。私はその頃既に『西郷隆盛』数巻を書き終え、道や神や天の実在を信じ始めていた 自由人のノート/林房雄
裁判所側も最初の治安維持法の被告をどう扱っていいか見当がつかなかったらしく、私達が差入れを要求する書物は何でも許可した。マルクスの『資本論』はもちろん、コミンテルンの機関紙『インターナショナル』と『イムプレコール』のドイツ語版までフリー・パスで入って来た。 文学的回想/林房雄
自由の義勇軍戦士です! しつこく紹介! 大東亜戦争肯定論 林房雄 という書籍があります! 日本近代史を俯瞰してて 結構な名著だよ!読むべきですね! 過激なタイトルは、どこかの編集者が付けました! このタイトルのおかげで、さぞかし売れなかっただろうね!! pic.x.com/udsm8jibpi
G「〔『キティ颱風』には〕色々なお手本が透けて見えるね。チェーホフ、ストリンドベルヒ、シェイクスピア、それからアメリカ現代劇……」 D「そこが福田恆存の博学性だよ」 A「いったいこれは上演可能な戯曲なのかい」 B「可能だね、見物が戦後学生だけの劇団なら」 キティ颱風/林房雄
川端さんは文章の名人だが、同時に貧乏の名人でもあった。嚢中一銭の貯えがなくとも、贅沢に暮らす術を心得ていた。〔略〕必ず何かご馳走してくれた。〔略〕今でも私の家でときどきつくる「豚の水たき」という簡易で美味な料理は、大森時代の川端家からの伝承である。 文学的回想/林房雄
「「歴史認識」のことをいうならば、幕末から始まった西洋列強との(林房雄のいう)「百年戦争」のことを考えねばならない。実際にそうしてみれば、近代日本の戦争史にあって、総体としては「自衛度が侵略度を上回る」とみてかまわない。
「近代の超克」シンポジウム・『文學界』1942年(昭和17年) 参加者(大半は京都学派の哲学者): 西谷啓治、諸井三郎 、鈴木成高、菊池正士 、下村寅太郎、 吉満義彦 、亀井勝一郎、林房雄、 三好達治、 津村秀夫、中村光夫、河上徹太郎 ♨️の作戦、天皇、軍部、ナチスのベクトルを分解中
小泉邸の自発的な客になった。三申翁は酒はもう飲めなくなっていたが、私の膳には〔略〕灘の銘酒などがつけられた。自分一人で飲むのはもったいないと思って、私は小林秀雄や深田久彌を誘った。「おれにはよく解らんが、とにかく偉らそうな爺さんだね」と小林秀雄は言った。 文学的回想/林房雄
「政治というものは俗な仕事だ。通俗で俗悪だ。自分(小泉三申)は政治をやり、政治に絶望して手を引いてしまったから、その点はよく解っている。〔略〕幸德〔秋水〕は純粋な男だった。学者になればよかったのだ。僕に日本歴史を書けとすすめれて、本人もその気になっていた。」 文学的回想/林房雄
人生は妥協によって進歩する。妥協とは何ぞや、それは二つの意見を加えて二で割って、その中間を採るということじゃない。二つの意見が衝突したら、お互いに虚心になって、東洋的に言えば天とか道とかいうものに即して第三の意見を発見すること、それが妥協というものだ。(林房雄)
返信先:@trolley_604国際法も京大の田岡教授の意見が主流ならば林房雄の大東亜戦争肯定論の言う通りになり、改憲でなく新無効論で戦前に近いけどアメリカとの同盟関係を強化した憲法になったと思います。 本当に平野、田岡の主張通りならばと思いました。民法はしりませんが、憲法も佐々木、松本案ならばと思います。
林房雄と司馬遼太郎は「日本は近代化に成功した」という認識で一致する。 唯物史観の人は、日本の加害性を指摘し「日本は道義的に間違った近代化をした」と言うけど、近代化したという認識で林や司馬と同じ。 私は「懐疑論と個人主義を欠く日本は、近代じゃない、全然違うもんだ」と言いたい。 x.com/gamayauber01/s…
そうなんです。 その通りなんですよね。 近現代のイメージそのものが林房雄のそれから、ほんとうには一歩も出ていない。 考えてみると、凄まじいほどのことですが、現実で、日本が常に堂々巡りに終始している理由だとおもいます >林房雄『大東亜戦争肯定論』とほぼ同じ。 x.com/chikurin_8th/s…
そうなんです。 その通りなんですよね。 近現代のイメージそのものが林房雄のそれから、ほんとうには一歩も出ていない。 考えてみると、凄まじいほどのことですが、現実で、日本が常に堂々巡りに終始している理由だとおもいます >林房雄『大東亜戦争肯定論』とほぼ同じ。 x.com/chikurin_8th/s…
>「日本の人の近現代史認識は、おおきく世界の認識からずれている」 多くの日本人の近現代史認識は、林房雄『大東亜戦争肯定論』とほぼ同じ。 西力東漸に抗して戦い、現在の地歩を築いた、今後もG7の一員としてアジアを啓蒙する。まあこんな感じ。 誰とも共有できない、できるはずがない。 x.com/gamayauber01/s…
>「日本の人の近現代史認識は、おおきく世界の認識からずれている」 多くの日本人の近現代史認識は、林房雄『大東亜戦争肯定論』とほぼ同じ。 西力東漸に抗して戦い、現在の地歩を築いた、今後もG7の一員としてアジアを啓蒙する。まあこんな感じ。 誰とも共有できない、できるはずがない。 x.com/gamayauber01/s…
ぼくは前に書いた理由で二回でやめちゃったけど、誰か日本の人が「さかのぼり日本史」を書いたほうがいいですよ。 日本の人の近現代史認識は、おおきく世界の認識からずれている。 日本の人にとって、これほど未来を危険にしているものはないとおもう
德富蘇峰翁が「東京日々新聞」で『青年』評を書いてくれた。〔略〕蘇峰翁に『青年』を読むようにすすめたのは同じく歴史家白柳秀湖氏であった。秀湖先生は『青年』について長い手紙をくれたが、その終りの方に、〔略〕書きそえてあった、そんな記憶がある。 文学的回想/林房雄
葉山は腕組みをして、「おれはお前を撲れんよ。馬鹿だよ、お前は!」と言った。里村は撲ろうとする誰かをひきとめて、「もういいよ、林は林だよ、いいところがあるじゃねえか」と言っていた〔略〕誰の拳も足も決して冷酷ではなかった。私はそれに気づいて、ただ大声で泣き続けた 文学的回想/林房雄
確認していないのですが、もしこれが1949年「少女の友」の連載小説「真珠島物語」(林房雄)のコミカライズだったとすると、桑田二郎(桑田次郎)のデビュー作品と疑われている同じシリーズの「仮面の怪盗」の発行は1949年以降になるので「仮面の怪盗」はデビュー後の作品ということになりますね。 pic.x.com/laokkl7ola
小学校の頃から、ひどいドモリであった。高等学校に入ってから、この不幸な病気は更にひどくなっていた。新人会の遊説隊がやって来て、私の心に火をつけた時、私のドモリはなおってしまった〔略〕奇蹟であったから〔略〕私は元のドモリにかえったが、「神聖な狂気」の方は残った 文学的回想/林房雄
後になって、私に入党をすすめなかった志賀〔義雄〕や是枝〔恭二〕の気持はよく解った。私の性格は絶対に共産党向きではない。〔略〕頭は共産主義者かもしれぬが、行動は百パーセントのアナーキストであったから、共産党幹部が警戒し、敬遠したのも無理はない。 文学的回想/林房雄
「日本叛臣伝などを書く男には政治はできない〔略〕君は文学人として生れて来ているかもしれぬが、政治人としては生れついていない〔略〕僕(小泉三申)は幸德秋水にすすめたのと同じ意味で、君にも文筆に専心する事をすすめる〔略〕僕にできる事があったら、何でもしてあげる」 文学的回想/林房雄
伊豆の湯ヶ島温泉について書いた随筆を読んで、「学生時代を思い出してなつかしい。そのうちに一度会いたいものだね」という旅先からの絵葉書であった。彼(菊川忠雄)から手紙をもらったのは三十年ぶりである〔略〕返事をかきそびれている間に、洞爺丸惨事の悲報を新聞は伝えた 文学的回想/林房雄
もしも、今から二十年前に、日本の政府が共産党を公認しておいてくれたら、私は大学の門を出ない先に刑務所の門をくぐるような無分別なことはしなかったにちがいない。共産党公認が二十年おくれたために、日本の有為なる青年が実におびただしく道を踏みあやまった。 偽隠者の言葉/林房雄
戦前の『ハイネ研究』成光館(林房雄が書いてたりする)や『篠田一士評論集』(ルカーチ論が気になった)、神山伸弘『へーゲル国家学』も買いたかったが金が足りなかった。 x.com/oganomushi/sta…
中野〔重治〕は堀口大學訳『月下の一群』を差入れてくれたが、その本であったか(または他の本であったか)、針の先で活字の肩に印しをつけて、「お母さんも無事、みんなも元気だ」という意味の秘密通信をしてくれたことを憶えている。 文学的回想/林房雄
林房雄さんの最初の奥様の亡くなった時(昭和25年)のことですが、御通夜の席で三島さんから私に、それとなく娘との結婚話が出されましたので、私もさりげなく、しかし、きっぱりとお断りしたことがあります。主人に相談することなど考えもしませんでした。*「続・川端康成の思い出」川端秀子
僕は自分の所に若い人が来て、社会問題や現代の悩みについて議論を持ちかけて来ると、まじめな意味で、君は早く共産党に入りなさいと言うんだよ。入ってみれば必ず判る。僕も若い時に入ったんだから、入ればいい。共産党に入ることが、共産主義問題を一番早く解決することだ(林房雄)