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repost 琵琶湖か……🤔 沈みそうでこわいけど😅、為時一家には新鮮な感じだったかな🤔☺️ 近江守時代の武智麻呂兄上も、琵琶湖を船で渡った事があっただろうか……🤔 #光る君へ

づ(不死鳥)@DNiao90042

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これは藤原〜ズのお衣装なんですが、四子の名前右左逆で、武智麻呂(紫)、房前(赤)、宇合(緑)、麻呂(青)かなぁ。 出世状況を考えれば、不比等と武智麻呂が近い色のはずだし、奈良はたしか紫が高位の色だし。 pic.twitter.com/qIpKpmsIEz

青柳(あおやぎ)@84ad24

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返信先:@wwwakitaka0713武智麻呂!! そういう由来があったんですね!!

ゆっくり@sorengylfie

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返信先:@DNiao90042いえいえ、づさんの大好きな武智麻呂 いらっしゃったんだと そちらです。紛らわしくてごめんなさい🙇

工藤祐長@7ZzzAVd1WevaIOs

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(吾が為に寺を造り、吾が願を助け給え。吾れ宿業に因りて神たること固(もと)より久し。今仏道に帰依し、福業を修行せんと欲するも因縁を得ず)”于是,武智麻呂就建立了日本最古老的神宫寺“気比神宮”(现已不存)。

閒魚閒閒廬居士@OctopusTian

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藤原四家の藤原武智麻呂、この人も高天原からの出向、養子、しかし藤原氏は北条氏によってそのほとんどが絶家となっている今いるのは桓武の派生藤原。武智麻呂らも殺せ無いので、生き残っている、朝臣も絶家。 pic.twitter.com/ROHI98yv7U

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返信先:@gymritその子供世代だと、単に異父兄っていわれてただけなんじゃねーの感しかない橘諸兄とか、藤原四兄弟でなんで武智麻呂と麻呂でマロかぶりが、とか

積読荘の住人@tsundokulib

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房前は正一位・左大臣を追贈され、家族に20年の制限ながら食封2000石が与えられている。これにより、房前は没後ながら武智麻呂に官位で並ぶが(宇合・麻呂は追贈されていない)、これは聖武天皇や元正上皇の意向による房前の復権が図られたものと想定される。 房前の子孫である藤原北家は、藤原四兄弟

初級日本歴士@Wdv1KJuMriZWjtU

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中務卿に任じた、というものである。ただし、内臣は元正天皇が首皇子(聖武天皇)に譲位した時点で任を解かれたとする意見もある。天平2年(730年)8月に弟の宇合・麻呂が参議に昇進して議政官に加わり藤原四子政権が確立するが、藤原氏における房前の地位は相対的に低下した。なお、武智麻呂は太政官

初級日本歴士@Wdv1KJuMriZWjtU

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藤原房前 藤原四子政権。 同年9月に房前は中務卿を兼ねるが、これは長屋王に代わって太政官を領導することになった武智麻呂が房前の政治力を抑制するために、内臣から遷任させたものとする見方がある。さすがに元正上皇や県犬養三千代が健在の状況で内臣の解任まではできず、令制で職掌が類似している

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かわらず、この政変での房前自身の活動記録が『続日本紀』その他の史料に一切見えない。さらには、変後に武智麻呂は大納言に昇進、麻呂は従三位に昇叙される一方で、房前はまったく昇進にあずかっていない。いずれにしても、長屋王の変の結果、武智麻呂が不比等の後継者となることが明確になった。

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に立っていた房前は、武智麻呂 - 多治比縣守 - 宇合のラインから除外されており、武智麻呂が房前を意図的に参画させなかった。 いずれにしても、房前は六衛府の筆頭格であった中衛府を大将として管轄する立場にあり、長屋王を糾問するにあたって藤原宇合らが率いる六衛府の兵士が実際に出動したにもか

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から、房前は長屋王排斥を図る武智麻呂と距離を置いた。 内臣への就任や長屋王との政権運営の協力を通じて、房前は長屋王と互いに認め合う関係になっていたと想定される。武智麻呂ら他の四兄弟の決意を知っていたが、これまでの長屋王との交流から房前は積極的な行動が取れなかった。 内臣として皇親側

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主導した。 2.武智麻呂が主導し房前以下の兄弟3人が役割を分担した。 3.武智麻呂が主導し宇合・麻呂兄弟が協力して房前は埒外に置かれていた。 の諸説がある。房前が変に参画していなかったとする立場からは、その理由として以下の主張が提出されている。 妻・牟漏女王と義母・県犬養三千代との関係

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藤原房前 長屋王の変。 神亀元年(724年)首親王の即位(聖武天皇)にともない、武智麻呂と同時に正三位に昇叙される。天平元年(729年)長屋王の変が発生し、皇親勢力の巨頭であった左大臣・長屋王が自殺させられ、藤原四子政権が確立する。長屋王の変の首謀者については、 1.藤原四兄弟が協力して

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的野心もなかったことから、武智麻呂との関係は破滅までには至らなかった。

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引き込み、武智麻呂と対抗させようとした。 房前は詩歌の才能があり、長屋王主催の詩宴に招かれるなど、詩文を通じて長屋王と親密な関係だった。 不比等亡きあとの藤原氏を娘婿の房前に託そうとした県犬養三千代が元明上皇へ房前を推挙した。 ただし、房前自身が内臣の地位を求めたわけではなく、政治

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いた政治体制構想を受け継ぐ房前と、あくまで藤原氏の独自政権を目指す武智麻呂の路線の違いがあった。元明上皇・元正天皇側としても、皇太子・首皇子が母も妻も藤原氏出身で藤原氏とがんじがらめの身内関係にある中で、東宮傅であった武智麻呂の専横を不安視し、房前を内臣に任じる事によって皇親側へ

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子・首皇子への確実な皇嗣継承を図るため、長屋王との協調相手として官位面で上位にあった長兄の武智麻呂でなく敢えて房前を選んだ理由として、以下が唱えられている。 聖武天皇(首皇子)の下に長屋王を中心に藤原四兄弟が協力・支援するという、かつて不比等が描いて元明上皇・元正天皇とも合意して

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武智麻呂が上位となる。しかし、同年10月には元明上皇が死の床で、右大臣・長屋王と共に一介の参議であった房前を召し入れて後事を託し、さらに房前を祖父・鎌足以来の内臣(うちつおみ)に任じて、元正天皇の補佐および皇太子・首皇子の後見役を託した。元明上皇が自らの死後における政権の安定と皇太

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の復活・強化を意図して、房前を重視する姿勢を明確にするようになる。翌養老5年(721年)正月に武智麻呂・房前兄弟は揃って従三位に昇進し二人の位階の差がなくなるが、房前は従四位上から三階の昇進によるものであった。ただし、この時武智麻呂は参議を経ずに中納言に任官しており、太政官の席次では

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作をおこなった上で、非正官の議政官である参議に加えた。 こうして武智麻呂をさしおいて参議となったが、房前は庶子という立場を十分にわきまえ、武智麻呂を刺激・挑発するような行動は取らなかった。 養老4年(720年)8月に太政官の首班であった父の不比等が没すると、元明上皇・元正天皇は皇親体制

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によるものである。 不比等には自分の死後に嫡子である武智麻呂はおのずと議政官に列するとの考えがあった。しかし、一家一人の不文律から自分の死後に房前を議政官に加えることは困難と見て、房前を藤原北家として嫡流の藤原南家から独立させたり、一族の中臣意美麻呂を中納言に登用するなどの事前工

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出すこととなり他氏族との軋轢が懸念された。そのため、房前を位階(従四位下)にふさわしく参議(正官の議政官ではない)に任じた。 位階の昇進や官職の補任から武智麻呂が嫡子であることは明確にされており、房前の参議任官は政治的能力が理由ではなく、継母かつ義母であった県犬養三千代の働きかけ

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として明確化するためのものだったとする説が通説とされていた。その後、この説に対して以下の反論が立てられている。 不比等が将来に向けた家門の発展を期し、自身の生存中に子息を議政官に加えようとしたが、武智麻呂を位階(従四位上)にふさわしい中納言に加えると、藤原氏が複数の正官の議政官を

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比等に次いで藤原氏として同時に二人が議政官に並ぶことになり、これは参議以上の議政官は各有力氏族から1名ずつという当時の慣習を破っての昇進でもあった。このため、この参議任官は右大臣であった父・不比等が、長兄ながら温良凡庸な武智麻呂ではなく、政治的力量に勝る房前を実質的な政治的後継者

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藤原房前 参議昇進。 しかし、元明朝末期から元正朝初期にかけての高官たち(穂積親王・大伴安麻呂・石上麻呂・巨勢麻呂)の薨去を受けて、霊亀3年(717年)に31歳の房前は和銅2年(709年)以来8年にわたり欠官となっていた参議に任ぜられ、武智麻呂に先んじて議政官に加えられる[4]。右大臣・藤原不

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呂が従四位上、房前は従四位下に叙せられている。位階もさることながら、房前は文武天皇大葬の山陵司や東海道/東山道巡察使といった臨時職にしか就いていないのに対して、兄の武智麻呂は大学助/頭・図書頭兼侍従・式部大輔と主に京官を歴任しており、少なくとも房前の参議任官までは明確に武智麻呂が嫡

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わる派遣であったらしい。こういった特殊な巡察任務を任されていたことから、すでにこの頃には政界に一定の存在感を示していたと見られる。和銅4年(711年)再び武智麻呂と同時に昇進し、従五位上となる。その後は武智麻呂が先んじて昇進し、和銅8年(715年)正月に二人が同時に昇進した際には、武智麻

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藤原房前 文武朝から元明朝。 政治的力量は不比等の息子たちの間では随一であり、文武朝の大宝3年(703年)には20代前半にして、律令施行後初めて巡察使となり、東海道の行政監察を行った。慶雲2年(705年)正六位下から2階昇進し、1歳年上の兄・武智麻呂と同時に従五位下に叙爵する。 元明朝に入ると

初級日本歴士@Wdv1KJuMriZWjtU

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兄貴達が足引っ張らないのって大事なんだなぁ……って思った。まぁそろそろやばいってんで武智麻呂と房前は自分の娘を差し出してるのに完全無視してる聖武マジ聖武って感じなんだけど笑 でも藤原四子と光明子ちゃんは5人が5人とも独立してるところあるからなぁ……。それもそうかとなっている。

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2024/5/18(土) 奈良県五條市『榮山寺』 吉野を後にし、次に向かったのは五條市 榮山寺☝️ 創建:719年 宗派:真言宗 豊山派 開創:藤原南家初代 武智麻呂公 八角円堂や梵鐘は国宝。 本堂前の石灯篭、本堂内の薬師如来座像、木造十二神将は重要文化財 pic.twitter.com/0OtW6MovZG

🙏ろちよこ🐹@t5NEgYv5WX26622

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repost 氷高様(元正女帝)と武智麻呂兄上は同い年。不比等や三千代の立場からして、10代半ば〜後半くらいも接点はあった気はするけど、 母や三千代がアピっていたのは房前だっただろうから、氷高も武智麻呂も複雑な心境で、本当に合わなかったんだろうな、このおふたり😅😓😌、とは思う

づ(不死鳥)@DNiao90042

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#藤原武智麻呂 #藤原房前 不比等が房前に特殊な任務を与えたのは、結局 武智麻呂の防波堤 にするためだった?🤔 は言い過ぎだろうか🤔 元明・元正両女帝も三千代も房前推しなのも、房前の能力と任務の特殊さゆえであろう それが、武智麻呂推しの聖武天皇が即位して、流れが変わっていくんだなあ

づ(不死鳥)@DNiao90042

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repost これも面白い😊🧐 国にも等級があり、国司で行くにも、人気・不人気の国があったとは😅🤔 近江国と越前国の人気ぶりはわかる気が。大国だし、武智麻呂兄上も近江守やってるし、藤原仲麻呂も息子(辛加知)を越前守にしているし 贈国公で大国(近江と越前)を贈られたのは、不比等と基経のみ😌

づ(不死鳥)@DNiao90042

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#藤原氏 #藤原四家 四家分立が藤原氏繁栄のもと、としょっちゅう言ったいるけど、 藤原氏の内部抗争 の原点であったのも確かだ(大体、家の中も一枚岩ではない😅) そう考えると、(武智麻呂・房前の確執はあったにせよ)最後まで破滅に至らなかった #藤原四子 はすごいな、と🤔😌

づ(不死鳥)@DNiao90042

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弟の房前は内臣になり三千代の前夫との娘・牟漏を妻にして後の摂関家の祖となる息子を儲けたのに比べると武智麻呂は三千代とはかなり疎遠に見える… 単に不比等の嫁取り計画がそうだっただけなのかもしれないけど、武智麻呂は房前にコンプレックス拗らせつつプライド高くて扱い辛い人だったのかな😂

inari_38@38Inari

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15歳頃の三千代が出仕したのは草壁皇子妃の阿閇皇女で時期は氷高誕生前年頃の可能性が高いとなると、後の元正(太上)天皇の諸兄への信頼や親愛の念も理解できますね… 反対に武智麻呂のことはめっちゃ警戒してそう、というのを反映して描いたのがこれ pic.twitter.com/r34ExhtBDN

inari_38@38Inari

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武智麻呂武智麻呂!市を見てみたい!」 「え゙?!だめですよ」 「どうして!僕も見てみたい!連れていけ!」 「危ないですからね!ダメですよ!まずはちゃんとお勉強をしてからですね」 「ケチ!安宿は連れていったくせに」 「安宿はいいんですよなんかあってもうちで責任取れますから。貴方無理」

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返信先:@q41gybsHTFzwxCQやったー読んでくださったんです?!ありがとうございます! そう四子のわちゃわちゃがかわいくて…あんな童顔で当時三十半ばの武智麻呂とか! 〜25話はヤンジャンのアプリで配信していて、そもそも休載?不定期連載?だから三年くらい更新も音沙汰もなく…_(:3」z)_

青柳(あおやぎ)@84ad24

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