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「つい、用語が必要以上に壮烈厳粛になってしまう私たちの習慣に比べると、ここには全く別の精神的態度がある。重大なことを静かに軽く語るというのは、「話術」や「文才」などという問題ではない。むしろ、それみずから、「思想」の問題なのであろう」(訳者・清水幾太郎氏による序文から)
「政治というモンスターは、一切の思想を呑み込んで押し流してしまう。知識人が思想を通して語りかけうるものは、ささやかな、緩慢な影響でしかありえない。けれども、その独自な機能 を放棄して知識人の任務があるのだろうか」 粕谷一希『対比列伝』 清水幾太郎が粕谷一希にこう言われた事を思い出す
雁琳氏が「大学に持ち込むことが問題だ」と考えているとしたら、彼は人文学の本質を全く理解していない。哲学を筆頭に人文学は、それ自体が政治そのものです。人文学は、知における「権威」を争っているわけで、プラトン、デカルト、スピノザなどが明らかにしたように、「真理」とは政治的概念です。
戦後日本では左翼言論が重んじられ、編集者がスター学者をでっちあげ、いわば猿回しの猿のように使って文壇を形成してきた。清水幾太郎などがその一例だ。後に清水本人は保守に鞍替えして自らの影響力を保とうとした。これは小説家や批評家についても言え、同様のことが何度もくり返されている。
飯山氏が元左翼疑惑があるらしい。が、その一点を突いての批判には興味が無い。よくあることだからだ。西部邁、林健太郎、清水幾太郎、林房雄etc. 左翼思想にかぶれ、その後覚醒、勉強しなおして保守側に転向した思想家、学者は結構多い。だが、転向が偽装で本質まで元のままだったら大問題かも。
↓清水幾太郎の言葉が二重性を帯びて簡単に体制の中の反動の言葉に反転する事情はこの辺と関係するのだろう。彼自身が実例とも言えるからうれしそうに今持ち出す人々は確信犯でアメリカの大学で起きていることを隠蔽していると疑われても仕方がないだろ。とても日本な仕草だ。
仕事の合間に梅本克己を読んでいてこんな言葉に出会ったのでメモ。「日本では戦後、使用者によって同じことばがいろいろと変った意味をもってきているから、ここでも「インテリ」と「知識人」との区別についてのあたらしい解釈について語っておいた方がよいようである。
↓このRTの後で一昨年、東野篤子氏界隈に同調して塩川伸明氏を誹謗中傷していた人のツイートがRTされていて驚いた。清水幾太郎まで出すんしてその意図はさらに後で批判がRTされている「ダダ星人」と同じなわけで容易く反転する問題なのに意図に気付かないまずいのではないか…。
まあ別にそこまで言うつもりはない(だからスレッド化しない)のだが、そもそも60年安保って俺(還暦老人)にとってさえ生まれる前の出来事なんだ。清水幾太郎が亡くなったのは昭和末年だ。俺は全集の編集を請け負っていた編プロで働いていたことがあるんで、個人的な思い入れはなくもないんだけどさ
そこで60年安保と清水幾太郎が出てくるところが、やっぱRP主の人は教授なんだな。俺だったら執務室に踏み込まれて「I am the Senate!」と叫んだパルパティン銀河共和国元老院議長のことを思い出す>RP blog.goo.ne.jp/celsius220/e/6…
「それが学生であったら、「僕は学生です」 と言ったであろうか。労働者なら、「僕は労働者です」と言ったであろうか。作家なら「僕は作家です」と言っ たであろうか。クリーニング屋なら、「僕はクリーニング屋です」と言ったであろうか。」 清水幾太郎がこの問いがクリーンヒットしてると言われるわ pic.twitter.com/02j8xVRvQa
教授の頭をコンクリートに叩きつけるアトランタ警察。エモリー大学で行われているデモ、テニュアの教授までもがこんな暴力的な制圧を受けている。
講談社のイベントですが(笑)。表題『とある日の清水幾太郎』は別のAIに訊いたものの転用ですが、帯の言葉がなかなかのインパクト。リアルに書きたいです(笑) #わたしの現代新書 #現代新書60周年キャンペーン 60th.gendai-shinsho.jp/maker/books/E_…
「それが学生であったら、「僕は学生です」 と言ったであろうか。労働者なら、「僕は労働者です」と言ったであろうか。作家なら「僕は作家です」と言っ たであろうか。クリーニング屋なら、「僕はクリーニング屋です」と言ったであろうか。」 清水幾太郎「安保闘争一年後の思想ー政治の中の知識人」 pic.twitter.com/4s0F8eG0zZ
米大のキャンパスの抗議デモで教員が拘束されてる動画、制圧された教授が"i am a professor!"と連呼してたのは、思わず安保闘争時の清水幾太郎の回想を思い出してしまった。なんだかんだで「頭数」になり切れない教授団の特権意識がそう言う時にはしなくも暴露されているんだと清水は非難するわけ。
米大のキャンパスの抗議デモで教員が拘束されてる動画、制圧された教授が"i am a professor!"と連呼してたのは、思わず安保闘争時の清水幾太郎の回想を思い出してしまった。なんだかんだで「頭数」になり切れない教授団の特権意識がそう言う時にはしなくも暴露されているんだと清水は非難するわけ。
「人生の本質的な問題は、次の点にある。今日が最初の日であるかのように、毎日、新しく生活を始めること——しかし、一切の過去、その一切の結果、忘れられぬ一切の古いもの、それらを必ずそこに集めて、前提とすること。」 —— ジンメル「日々の断想」(清水幾太郎訳、岩波文庫)… pic.twitter.com/9OqZHhz4Qa
「人生の本質的な問題は、次の点にある。今日が最初の日であるかのように、毎日、新しく生活を始めること——しかし、一切の過去、その一切の結果、忘れられぬ一切の古いもの、それらを必ずそこに集めて、前提とすること。」 —— ジンメル「日々の断想」(清水幾太郎訳、岩波文庫)… pic.twitter.com/JRQ89lDkKv
“交通や報道がその機能を果たさない状況の中に立たせられた人間は、環境に関する知識を、たとえそれがどのように荒唐無稽なものであろうとも、直ちに呑み込んでしまう。”(清水幾太郎『流言蜚語』、筑摩書房、2011、29p) amazon.co.jp/dp/4480093907
『論文の書き方』清水幾太郎 岩波新書のロングセラー。… レポートの書き方指南。「が」は多用するな。短文主義。等々。 大新聞の社説はよい文ではないという。「喧嘩両成敗」的に差し触りなく書くと。広い読者に購読させる商業主義。1959年の指摘。 【再掲】twitter.com/hiruandon89/st…
『論文の書き方』清水幾太郎 岩波新書のロングセラー。昨年末入手。2013年92刷。僕は長年知りませんでした。レポートの書き方指南。「が」は多用するな。短文主義。等々。 大新聞の社説はよい文ではないという。「喧嘩両成敗」的に差し触りなく書くと。広い読者に購読させる商業主義。1959年の指摘。
60年安保の主人公の1人である清水幾太郎は親しい編集者の粕谷一希から、もう政治に関わるなと釘刺されまくってて面白いんだよね 粕谷一希『対比列伝』 pic.twitter.com/9SIiZSgcKV
『論文の書き方』で有名な清水幾太郎『日本語の技術』、週末にちびちび読んでたけどよかった 古い本なので(底本は昭和46年)例はもちろん現代向きではないけど、基本が聞き書きなので読みやすい。斎藤美奈子さんの解説のとおり、現在の状況に当てはまる示唆が多い pic.twitter.com/OweaqemORR
1864年4月21日、マックス・ヴェーバーが生まれました。 『政治の本質』 マックス・ヴェーバー/カール・シュミット 著 清水幾太郎 訳 ヴェーバー「職業としての政治」とシュミット「政治的なるものの概念」。この二十世紀政治学の正典を合わせた歴史的な訳書。巻末に清水の関連論考を付す。 pic.twitter.com/SM990v90Hl
時事通信のS記者。以前再会した時には小沢一郎の番記者になつて居たが、福田恆存を尊敬する保守派でもあつた。学習院大学出身でいはく「自分が居た頃はまだ清水幾太郎の弟子筋の人が残つて居た」。人気の香山健一ゼミに希望を出したが、選考で落とされた由。そのS氏はシンママと結婚した。多幸を祈る。
三谷太一郎は高校時代からすでに清水幾太郎の著作に親しんで居た。その高校の恩師に丸山眞男の存在を教へられたといふ。思想の右左以前に、文章が優れて居るのは清水の文章を読んだ賜物か。清水は単位不足の皇太子殿下(当時)を結果的に聴講生にしたことを最晩年後悔して居たが、重大な失態であつた。
「あの決定的な観念は、2つの概念によって生み出されたものである。すなわち、第一に、すべての人間の社会は、内容と形式とに区別することが出来るということ、第二に、社会そのものは、極く一般的に見れば、諸個人間の相互作用を意味するということ。」ジンメル『社会学の根本問題』清水幾太郎訳…
「あの決定的な観念は、2つの概念によって生み出されたものである。すなわち、第一に、すべての人間の社会は、内容と形式とに区別することが出来るということ、第二に、社会そのものは、極く一般的に見れば、諸個人間の相互作用を意味するということ。」ジンメル『社会学の根本問題』清水幾太郎訳…
著 清水幾太郎 本はどう読むか で娯楽書は言わば「代理経験」内的欲求が読みたくさせてる。官能小説の場合主人公に対して自分を移す?きっと俺はPayuになりたいんだ。心のどこかでPayuに憧れてて羨む気持ちを抱いていてPayuに自分を重ねてるんだ。
愛の断層(岩波文庫) 日々の断層 ジンメル著 清水幾太郎訳 如何なる場合にも、愛を知る人は、各瞬間、自分が何のために生きているかを知っている人である ━━━ この何かが実現されることがなくても。 #ジンメル #愛を知る人 #読了 pic.twitter.com/xCghLlSZUH
【今日の名言】幾つかの偉大な思想だけは本当に自分のものにしておかなければいけない。明るくなるなどとは思いも及ばなかった遠いところまで、それが光を投げてくれるから。 ──ジンメル/清水幾太郎訳『愛の断想・日々の断想』「日々の断想」 iwnm.jp/336441