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旧神田区、旧日本橋区、旧京橋区、旧芝区あたりは地区の大部分がオフィス街・商業地区化してるからわかるけど、下町地域の旧下谷区、旧浅草区、旧本所区あたりも激減してるのは震災と戦災の影響を引きずったまま戦後復興のなかで宅地減してる?
#さすがにお前らが住んでる県の市町村15個答えれるよな 麹町区 神田区 日本橋区 京橋区 芝区 麻布区 赤坂区 四谷区 牛込区 小石川区 本郷区 下谷区 浅草区 本所区 深川区 荏原区 大森区 蒲田区 淀橋区 王子区 滝野川区 向島区 城東区 #違うそうじゃない
《神田五軒町》松平忠禮、酒井忠美、建部秀隆、大關增勤、黑田直養ノ五邸【東京名所図会 [第2] (神田区之部)】1968 - blog[小野一雄のルーツ]改訂版 kazuo1947.livedoor.blog/archives/42279…
中勘助は、1885年に東京府神田区東松下町の旧今尾藩邸で誕生しました。父・勘弥は今尾藩士として藩主に仕え、母・鐘との間に勘助を含む8人の子をもうけます。幼少期の勘助は病弱で神経質な子供でしたが、母の産後の健康不良により、主に母方の伯母の手で育てられることに。1889年、一家は勘助の健康を…
世田谷区は5地域に分かれ、ほぼ旧玉川村部分が玉川地域。 1932年の世田谷区成立時(この時点では千歳村と砧村は世田谷区に編入されていない)旧玉川村地域の町名には「玉川」を冠した。 例: 玉川等々力町、玉川用賀町 これは戦後の旧神田区、旧日本橋区の町名に今も神田や日本橋が冠されているのと類似
世田谷区は5地域に分かれ、ほぼ旧玉川村部分が玉川地域。 1932年の世田谷区成立時(この時点では千歳村と砧村は世田谷区に編入されていない)旧玉川村地域の町名には「玉川」を冠した。 例: 玉川等々力町、玉川用賀町 これは戦後の旧神田区、旧日本橋区の町名に今も神田や日本橋か冠されているのと類似
連雀衆(←言いづらすぎるので声に出して読みたい日本語。) (行商人の背負う背負子を連尺と言って、連雀は渡り鳥を指すので転じて連雀衆と呼ばれる。商人達が集まった地名としては川越や三鷹などに残る。以前は神田区にもあった。)
私事ですが、戸籍謄本を撮りに台東区役所に。染み染みと父と母を思い出す。父の生まれが旧町名の神田区枝松町。現在の千代田区岩本町。私の出生が浅草〇〇町。この町名は今も残ってます。病院ではなく自宅で産婆さんが来て。 母は早くに亡くなりその頃は絶賛反抗期。もっと話を聞いておけば良かったと
東京35区。 千代田区は、 麹町区と神田区が合併してできた区。 ちなみに、和食に欠かせない「麹」(コウジキン」は、日本の国菌。 ちなみに、神田は、昔、伊勢大神宮に稲の初穂を納める田んぼがあったことに由来する。 土地への愛着は、地名とその歴史を深く知ることから始まる。と思うんです。 pic.twitter.com/pwW1lcCrDn
2日過ぎたけどこの地図を読む季節がまたやってきた。 旧麻布区、赤坂区、芝区、神田区、麹町区。この辺りは3/10では無いですけども(記憶が確かならば) ピンクが罹災地区。緑が建物疎開地区。 pic.twitter.com/lkK6T5YsxW