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返信先:@84start84昔、禅宗の偉いお坊さんがいるお寺に鹿が迷い込みました 弟子たちは大層可愛がり、お師匠様はいつも優しいから喜んでくれると思ったらお師匠様が戻ったら凄い形相で追い払ったそうです なぜかと弟子が聞けばその偉いお坊さんは鹿には鹿の性分がある、ここでは幸せにはなれないと答えたそうです
返信先:@mesosara_thai仰る通りでございます。 その点は他の禅宗のお坊様方にもご叱責をいただきまして、自身の弱さと執着の強さを痛感したところでございます。 歩いたこと自体が完全に自己満足ですし、何も誇ることではございません。 ただ、お布施してくださった方々の想いは心より沁みました。ありがとうございます。
返信先:@orenchiorange99子供だったんで、うとうとうと…ドーン💥!ビクッて感じで、助かったといえば助かったような🤭 母方の葬儀ではそんなことなかったので最初はびっくりしました 派手で驚きますよね。これが…曹同宗…禅宗って静かなイメージだったのに…と
返信先:@mathhater_1あくまでも、中世〜近世期の本願寺のお話になりますが、親鸞聖人の御影は無位の墨染姿で、これは現代に至るまで変更はありません。 門跡成以降は僧階に基づく紫衣や緋衣の着用例が見られるようになります。 というか、江戸時代の紫衣事件では大徳寺だとか禅宗の坊様も処分されてましたね。
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返信先:@mathhater_1あ、ちがうんです。禅宗でも黒衣は身分のひくい僧侶が着るもの。 で、私が思ったのは、たぶん真宗でも同じなんだろうな、と。で、僧侶の身分制で衣の色が身分でちがうのはおかしい、というニュアンスと。 たぶん、日本の仏教はここは共通と思いますよ。たぶん、たぶん親鸞も生涯黒衣だったかと。
静岡葵区·臨済寺を拝観。年2回の拝観日に合わせて訪問する。太原雪斎縁の寺で、今川義元や幼少の家康の学部屋等数多の見所があるも、刮目は、禅宗寺院の風格。佇まいに隙なく質実な当院は、地方の臨済宗大本山に匹敵する風格。この風格が数多の寺伝を一層引き立たせている。#寺院 #ご朱印 #静岡 pic.twitter.com/KzNzVUwItz
昨年の9月28日、島根県松江市の華蔵寺にて。本堂から来た道を戻ると、雨上がりに幻想的で神々しい光景が広がっておりました。華蔵寺は今から約千二百年前、桓武天皇の延暦年間に天台宗の僧、智元上人が開基となります。その後、南禅寺派の御開基の亀山法皇の時代に禅宗に改め、南禅寺の末寺となりまし… pic.twitter.com/ldQunUNAxh
返信先:@ma_reprintてい‐しょう〔‐シヤウ〕【提唱】 の解説 [名](スル) 1 意見・主張などを唱え、発表すること。「改革を—する」 2 禅宗で、師家 (しけ) が宗旨の要綱を大衆に提示して説法すること。提綱。提要 ギリギリ何とか通じるから誤字じゃないです!
返信先:@mathhater_1混乱した返事になりますが勘弁を 禅宗的にはそう感じます。 が、昭和の時代に、奈良だったかな、たしか真宗僧侶が黒衣同盟というグループをつくり、要は華やかな袈裟とかそんなのおかしいだろと。でも、数年で途絶えたんですが、 それを思うと禅宗に限らず、黒衣にはそんな意味があるんでしょうね
『日本呪術全書』読了。密教系、修験道系、陰陽道系、日蓮宗系、神道・古神道系、浄土宗系、禅宗系、教派神道系の各呪術について解説している。病気平癒や延命長寿、祈雨・止雨、憑き物落としのような呪術から呪い返しや呪殺といった怖い呪術にちょっとハテナとなるような呪術まで網羅。これを唱えれば pic.twitter.com/iWTH1Wfw42
「鎌倉時代に入ると、日本を大地震がひんぱんに襲うようになります。その結果、地震国日本で独自に発達した和様の寺院はほぼ無事でしたが、平安時代末期に、中国から僧重源が伝えた大仏様及び禅宗様の寺院は次々と倒壊してしまいます。」(宮元健次『〔図説〕日本建築のみかた』学芸出版社、P105) pic.twitter.com/Lhfst5WZSh
今日、朝一番で納経所にすわっていると、禅宗の僧服をつけられた僧侶の方でした。道場でのことや、「伝統を守ること」と「自ら考え、良き伝統を作りだすこと」。「身体からアプローチして坐れるようになった」話など楽しい時間でした。頂いた納札の「願意」であっる「発菩提心」のひと言にも感銘。
一級建築士過去問。イラスト。 唐様(禅宗様)。 扇垂木: 建物の中心から外へ扇状に広がる垂木。 海老虹梁: 高さの異なる柱をつなぐ。 火灯: 上部が曲線をなす開口部。 (例)円覚寺舎利殿 pic.twitter.com/wB4LNVL7ph
生きている念仏P054 妙好人宇右衛門のような人を一人でも多くつくるためには、どうしても、そうなり易い方法を誰かがつくり出しておかなければなりません。南無阿弥陀仏の教はその点では実に優れた道ではあると思うのですが、日蓮宗の人でも禅宗の人でも、
宗派を知ってから菩提寺の御院さんから色々聞いて、間違いを知った。 今まで周りと同じ禅宗のしきたりに合わせていたからだ。 禅宗と全く違うしきたりに驚いたが、とても日常的で身近な宗派とわかり、すごく気が楽になった。 知らないって恐ろしい。 今では我が家の宗派を誇りに感じている。
我が家の宗派は浄土真宗大谷派だ。 実は墓を建てなおすまで、ずっと禅宗だと思っていた。この地は禅宗が圧倒的に多いからだ。 なぜわかったかと言うと ・原戸籍で知った本家に聞いた ・墓に刻まれた戒名 ・菩提寺の宗派 なんとこの地では唯一の菩提寺で少数宗派だった。
Alice Phoebe Lou@鎌倉 浄智寺 南アフリカ出身SSW 美しい庭の禅宗書院での特別なソロパフォーマンス 昨年晴豆で"dreamy&dramatic"と本人に伝えたが、更に繊細さと凄みを増した圧巻の60分強 アンコールに対して主催者の代読コメントで応じた 全てを出し切ったミュージシャンの矜持も素晴らしい pic.twitter.com/3hdJh5G4La
「施、戒、生天」で説けるのは奈良と天台真言黄檗かなあ。あと禅宗系がワンチャン。 その他の宗派は宗乗を厳密にやると引っ掛かるから説けないんじゃないかな。 ただなんとなく善人は天界に行くみたいな空気のなかでやってはいるよね。
返信先:@blue_chestnut09有難う御座います、恐縮です。 少し前から、お寺カフェが話題になったりした時に、寺や寺の近くで御茶を楽しめる場所を知りました。 茶と仏教・禅宗とは関係が深く、寺と茶屋は親和性もあるのでしょう。 しらすさんと、いつもの僧侶さん、今では息もぴったりな感じが致します。 合掌、善縁相棒、礼拝
千代田区時代のご近所さんが我が家に来てくれました。ハチを飼っていてハチミツをよくプレゼントしてくれた良き友です🍯。彼は禅宗の僧侶になるそうです。仏教の勉強をさせて頂きました。 #お坊さんと牧師さんはパパ友 pic.twitter.com/5UUhEvqABW
第5回法常寺隆景公茶会 2024年6月9日(日) 会費5,000円 小早川隆景公の追善茶会を開催致します。午前9時より本堂にて小早川隆景公法要、濃茶席、薄茶席、正午から神原祥住職による法話「生きているということ」をお聴き頂けます。禅宗の観点から生きるヒントを授けて下さいます。 #三原市 pic.twitter.com/HNNQ2SrvSl
ググったら八街には禅宗系ひとつもないのね。てか隣の東金もゼロだ・・・。秦野ずっと住んでる方には信じられないかもしれんが、この人マジで禅寺見たことなかったわ・・・。 e-ohaka.com/temple_list/id…
法然と極楽浄土 東京国立博物館 GW鑑賞。国宝「綴織當麻曼陀羅」と「阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)」は圧巻 仏教の教えも宗派によって様々で、自力本願の禅宗に馴染みがあるが、出展作品を見ていると、専修念仏の教えも相まり、末法の世に貴族や平民にも他力本願の仏教が普及した理由がわかる pic.twitter.com/bCyHrK7Wbs
なお平安時代の天台宗の時点で臨終出家から死後出家に形を変えて行われるようになった。従って禅宗から始まったというのは正確ではない。
返信先:@AKBhVis寺院で在家者の葬儀を行うこととなった→禅宗は出家者用の葬儀の作法を持っていた→在家者に出家者式の葬儀をすることとし、死後に出家させ、出家者とすることとし、戒名も付与することとなった→禅宗以外の宗派(浄土宗等を除く)にこの方式が広まった、と聞いているので、日本特有ではと思います。
返信先:@sokadamedasi他1人ほんとにバカだな、入我我入は密教だわ、なんで大聖人が禅宗どころか密教だとwwwwwwあーお腹痛い、ゲイカ拝みすぎてとうとうオツムおかしくなりまちたねえー‼️笑笑😛╰(*´︶`*)╯♡
私も幼稚園の時は禅宗系の園で、生命の大切さ、食べ物の大切さ、正しい行い、感謝すること、など、たくさんの事を学んだ。 やはり幼児教育は大切なんだよな。のの様に手を合わせてお祈りしてたが、最近は全然拝んでないから実家帰ったらお寺、仏壇に手を合わせよう。感謝🙏
禅宗もそうだけど、行そのものが在家も出家も差がない宗派は、出家である意味とか意義が希薄になるね。 戒律を持ってるかどうかくらいしか分つものがないが、 その戒律さえ無いなら出家である甲斐がねぇンダわ。還俗したほうがいいよ と言われてもしゃーないなとは思う。
なるほどなーと思ったのは、禅宗なんかの系譜として、茶道も含めて、「哲学が実践を生むんじゃなく、実践が哲学を生む」んだな、っていう発想の逆転がたぶんこれあるんだね。お茶を飲むっていう日常のなんでもない実践から帰納的に哲学を組み立てていくんだ。