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#日本の現代史を1年刻みで把握 1978年(昭和53年) ▶~12/7:福田赳夫 首相 4月 中国漁船が尖閣諸島で示威行動 5月 新東京国際空港(成田空港)が開港 8月 日中平和友好条約に調印 10月から1982年まで:第二次石油危機 ▶12/7~:大平正芳(おおひら まさよし)首相
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返信先:@kozohys2002他1人日中平和友好条約は福田赳夫首相のころですね。 条約は国家間の縛りなのでいち政治家が何を言ったところで条約は破棄できません。 この条約は発言に制約を課す条項はありません。 間違いだらけですね。
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#日本の現代史を1年刻みで把握 1978年(昭和53年) ▶~12/7:福田赳夫 首相 4月 中国漁船が尖閣諸島で示威行動 5月 新東京国際空港(成田空港)が開港 8月 日中平和友好条約に調印 10月から1982年まで:第二次石油危機 ▶12/7~:大平正芳(おおひら まさよし)首相
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一国二制度の新たな導入代替案をセイロン、アルバニア、パキスタン等23ヵ国が共同提案国とした事から此れに支持した事を背景に中華民国は常任理事国を 離脱を表明し議会多数で決定した事から 1978年(昭和53年)8月12日(土)の日中平和友好条約調印が67代福田赳夫改造内閣
(埼玉県教育委員会教育長)桐川卓雄@tentoumushi5532
後のアルバニア社会主義人民共和国アルバニア共産党第一書記エンヴェルホッジャと共に中華民国及び中華人民共和国の常任理事国代表権問題に於いては37代米大統領リチャードミルハウスニクソンが台湾追放箇所の3分の2以上の総会多数とした逆重要指定方式を採用為るが