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地方でさ自動車しか走ってないようなところの横にナローゲージの線路敷いて所謂簡易軌道や森林鉄道的に運行したら「公共交通」として役に立つんじゃないか?と思ったんだけど、どうなんだろ(踏切をどうするかが一番の問題になりそうだけど)
浜中町営軌道の上風蓮(開南)停留所 発掘された転車台跡近くに立派な案内板も建てられ、簡易軌道では珍しいホームも伐採と草刈りのおかげではっきりわかるように pic.twitter.com/uOEfp81q4v
簡易軌道 村営軌道の名の下に、法的には鉄道ではない鉄道「風」な、レールを走る乗り物。 網走市藻琴から、東藻琴村(現大空町)までのこと、紹介してくれるアカウント様貴重です。 簡易軌道というと、写真の別海町、鶴居村、浜中町と有名ですが、オホーツク地方にもあったこと、北海道の歴史です。 pic.twitter.com/AV9rdPKId0
この写真に写っている人たちが女の子を見つめているように見えますが、もちろん実際は背後にある機関車を見つめているだけです。偶然この構図になっていることに気がついた時は、思わず爆笑しました。後になって女の子の恥じらいのセリフを追加しましたが、速攻で上司に没にされました(笑)。
本日は標津線の廃止日です。 1989年 平成元年 4月30日です。 運行は前日まで、その後、各自治体で歴史が残され展示されています。 鉄道が走っていたことを知らない世代も増えてきました。 同様に、簡易軌道、駅逓所制度と・・・ 歴史を次世代に さようなら発、こんにちは行 少しずつ🚦👈🚂 pic.twitter.com/Kd9vuN9sZw
そしてこれは天塩中川駅から糠南駅に行く時にも気になっていたのですが、問寒別駅には本線から少し離れたところに、謎の短いホームがありました。 …これは何だったんだろう?北の駅訪問証にも書いてあった、問寒別駅にかつて発着していた簡易軌道のホーム跡なのだろうか…? pic.twitter.com/xfxH8O5BQU
標津線、標茶町営軌道の展示もありました 簡易軌道のレールはやはり細いですね 酪農がさかんな町なので集乳缶やソリの展示もありました かつて茶安別でトラバサミにかかったクマがそのままシラルトロ湖付近まで行き、指がちぎれたというのですから、大した根性の持ち主のクマです🐻 pic.twitter.com/pK6MzpwqUC
返信先:@lumiere_celica森林鉄道は営林署だから官営だろうし、というか簡易軌道は町営とかでしょうね。 私鉄は築別の方とか雄別や、夕鉄、士別軌道や旭川電軌あたりですかね?国鉄のローカル線もあちこちにあったから、乗り鉄としてはある程度乗ってみたかったですね。
軽便鉄道や簡易軌道も一時期興味を持ちましたが、さらっとで深入りしなくて良かったと再び胸をなで下ろす。これにはまってたら間違いなく沼にはまってたであろう。 pic.twitter.com/mu42H0cYNf
留萠鉄道 1960年代 羽幌炭礦鉄道 1990年代 根室拓殖鉄道 1960年代 雄別鉄道 1980年代 ちほく高原鉄道 北見〜陸別 2000年代 その他、簡易軌道の廃止時期は不明 留萌本線末端区間、湧網東線西線、深川〜滝川、旭川〜美瑛、糠平〜十勝三股、陸別〜足寄は1945年9月頃に運行停止、その後に放棄
今日の地図は1/50000 天北線 曲淵-沼川-樺岡 間 元の宗谷本線、S5から北見線 S36に天北線へ改称 S25地図では宗谷本線のままですが 路線名称を3つとも確認できます S32地図では沼川から簡易軌道が 曲淵には炭砿専用軌道が見えます 天北線はH1廃止 #一日一ちず ※国土地理院,沼川,S25-S32-S47-S54 pic.twitter.com/2eZuzGJxwj
今日の地図は 天北線 曲淵駅です 市街の北東方には 1963(昭和38)年頃まで 宗谷曲淵炭鉱がありました 航空写真の白黒のほうは 閉山前後の60年代、 左下の3枚目は70年代です 70年代には既に 炭鉱跡地が荒地となってますが 炭住らしき建物はまだ健在です😉 ※国土地理院,沼川,昭和53年 #一日一ちず
道路は鉄道の代わりは出来ても鉄道は道路の代わりにならないからねぇ残念ながら…… スーファミのSimCityじゃないんだし 交通予算の配分順位から言ったらどうしても下位になるよね 道路の代わりさせようとすると簡易軌道とか馬鉄になるよね(しろめ)
『廃線』(4) 『歌登村営軌道』 北海道 枝幸線:小頓別 - 枝幸間35.0km(歌登 - 枝幸間廃止後は「歌登線」) 幌別線:幌別 - 志美宇丹間12.6km 戦後歌登村(1962年(昭和37年)1月以降は歌登町)に経営が委託。1956年には鶴居村営軌道とともに簡易軌道では初の北海道開発局による自走客車の導入。 pic.twitter.com/OzDp8p8mUK
苗場~湯沢、津南~切明に簡易軌道(架空)が存在。 北越鉄道の南線案が浮上したことで両線が繋がり、北越進出の野望をもつ北武鉄道がそれらを買収。 後の地質調査により南線案が潰えた後も、既に建設が進んでいた四万~苗場を開通させ、建設費回収のために沿線の観光地化を推進して現在に至ります…。
ただし美幸線はその後、キングボンビーこと鉄建公団が当初の計画通りに仁宇布から枝幸まで繋ごうとしたが国鉄再建法により建設中止となった。なお歌登町は簡易軌道を廃止にした。そして鉄建公団は建設資材を津軽海峡線(青函トンネル)に回そうとして住民が阻止行動をした
昔の北海道で開拓者の生活を支えた「簡易軌道」。その性格は道路の代替で、鉄道の常識が通用しない無法地帯だった。 しかし寿軽居線は異色の存在。英国ソドー島出身の入殖者が運営し蒸気動力を採用するなど、軽便に近い「簡易ではない簡易軌道」として持て囃された。 #日本のきかんしゃトーマス 番外編 pic.twitter.com/taQGP0pFdb
殖民簡易軌道として最後まで残った浜中町営の車両ですね。
茶内駅前からまっすぐに続く道を歩いていくと、中学校前のバス停に1台の自走客車が待合室になっていた。8月なのにうすら寒く、強くなってくる雨の中気分は盛り上がらなかった。1984年頃まであったらしい。 #保存車の記録 #1981年夏北海道
返信先:@BsAQ3f2spcAm5fL他1人かつては豊平駅から定山渓までの「定鉄」はありましたね。 その跡地を利用して「札幌市営地下鉄」もできました。 北海道にはかつて私鉄は多かった。 旭川電気軌道や夕鉄、雄鉄、簡易軌道、植民鉄道などたくさんありました。 旭川電気軌道を除けば、どれも都市交通機関ではなかった ことが特徴です。
猫山森林鉄道の小型機関車、富別簡易軌道のそれとラジエター部分振り替えたら各々酒井と協三型っぽくなるかと、ボンネット中央の分割線で切り離して入れ替え。キャブ前妻部分だけ入れ替える方法が簡単だけど後面窓との整合性考えてこの切り継ぎに。台枠幅も2mm拡張。工作続きます。#猫山森林鉄道 pic.twitter.com/tpdiwpTglI
森林鉄道は開拓末端区で森にめっちゃ多い 簡易軌道は開拓末端区だが平地にあることが多い。大抵町営・村営軌道として運用されている為"簡易軌道"という名前はあまり少ない。 SR私創鉄道グループの「長井拓殖鉄道」は簡易軌道を使う為6g worldではよく見られます(全国に散らばっている)
この定鉄モハ1200の種車は自分が簡易軌道の自走客車を作るときによく使う鉄コレの夕張鉄道キハ253。前面の湘南顔や側面の幅狭なバス窓が定鉄モハ1200にも使えるのではとずっと思っていました。屋根を少し盛ったり側面を張り上げたり、夕鉄が定鉄に、そして気動車が電車に上手く化けられたでしょうか? pic.twitter.com/7VcRhSIp9A
こちらも到着しました。Gamisen2さんのNナロー向けアーチバー風台車と簡易軌道混合列車セットです。台車よくぞ出してくださいました。あとは私の手に負えるか…ガンバリマス pic.twitter.com/AHnCuqX9Ml