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(*'▽')暇つぶしブログ ≫☆【奈良】「邪馬台国」へ時間旅行、橿考研博15日まで 桜井・ホケノ山古墳出土品展示「古代国家が誕生した纒向遺跡の全容が分かる展示」 7-24blog.com/archives/26248…
今日は地元の行ってなかった名所に行ってみようシリーズ←誰 纒向遺跡 何処にあるんだかちょっと迷子になったけど駅側だった😅 苧環塚 昔主要道路だった今は生活道路の脇にちょこっとあって見逃してしまう… 桧原神社 車で行ける道を見逃して、凄い坂道を徒歩で 豊鍬入姫宮が→ pic.x.com/tuovjFTaw6
気が早いですけど、来年は巳年ですね。纒向遺跡を擁する三輪地域の大物主神は蛇神で、妻のモモソ姫が卑弥呼だと考えられます。今年は辰年で私は年男ですけど、特に何も起こらない見込みです。来年はいいことありますように。www3.nhk.or.jp/news/html/2024…
大神神社参拝前に #桜井市立埋蔵文化財センター へ💨 #纒向遺跡 の出土遺物を中心に、旧石器~奈良時代の展示✨ #盾持人埴輪 #茅原大墓古墳 #土馬 #飛鳥時代 #縄文土器 は関東系のものもあり! pic.x.com/BVEcYZqCie
返信先:@temarineko222大國魂神社の「すもも祭」🤩 くらやみ祭りは少しだけ知っていますが、すもも祭りも!😳 大國魂神社の起源は景行天皇の時代に遡るらしいですが、桃は纒向遺跡から大量に出土しています。卑弥呼が祭祀に使ったのでしょう🤔 大神神社、大國魂神社、諏訪大社、埼玉県の金鑚神社は本殿が無いらしいです🥰
>纒向遺跡の自然環境を、環境考古学により復元・・・卑弥呼もいいんですが、崇神天皇紀の神浅芽原の祭祀や大物主神(蛇神)に関わる水の祭祀との関係が気になります。纒向遺跡は広大な都市遺跡のイメージもありますが、まつりごとのための拠点集落とした方が適切でしょうか。asahi.com/articles/ASSBY…
~応神朝に内政の記録が始まったからではないかと考えています。 邪馬台国東遷説に関して言えば、魏志倭人伝にそうは書いておらず、纒向遺跡の発掘で少なくとも魏の使者が来た時の卑弥呼のいる邪馬台国は奈良盆地南東部だろうということで落ち着いています。記紀の神武東征と絡める意見はありますが~
奈良県民だから、続きが未だに気になる。運河を利用して関東の商品まで発掘されている纒向遺跡が大和国の首都だとは思う。あと、普通に九州や中国・四国地方だと、現代で被災する毎年やって来る台風被害で富の蓄積は捗らないと思うんだよね。その点、奈良盆地は警報が全く出ないほど、気候が安定してる x.com/kakuyokusyugi/…
1/ 邪馬台国のネタバレ どうも鶴翼主義です。今回は第0回、「日本の邪馬台国の研究は、言葉遊びと思い込みの世界」です。 魏志倭人伝に記述されている邪馬台国を解説する前に、まず考古学者や歴史学者の主流な説を取り上げ、彼らがどれだけ適当を言ってるかの説明から。 pic.x.com/XN79ZUB65U
出雲口伝による 邪馬台国はどこ? 卑弥呼は何人いた? 巻向遺跡 youtu.be/89scK5zflQA?si… @YouTubeより #纒向遺跡 #箸墓古墳 #桜井市立埋蔵文化財センター #大神神社 でてきますよ😊 動画作りました💕💕💕🧚♂️
>RT。私の考えを整理すると、大物主神は芝遺跡、磯城県主の神で、唐古鍵遺跡の倭国造の分家で(淡路にもいる)倭大国魂神が大和盆地の神で本来上位ですね。大物主神は纒向遺跡の神になり、立場が逆転したと見ます。同神と見る見方もありますが、元々は別神のはずです。 pic.x.com/zFQ4PFFiDW
しかし田道間守はどこまで「非時香菓」を探しに行ったのか?🤔 常世国とはどこなのか?🤔 これは明らかな神仙思想ですが、三輪山信仰も、纒向遺跡で大量に桃の種が発掘されていますが、桃への信仰も神仙思想ですよね✨🥰
第二に辿り着いたとされる角鹿は応神天皇と関係が深く(神功皇后紀・応神天皇紀)、応神天皇の本拠の軽近辺(檜前)に東漢(やまとのあや)氏が集住したと伝わること。第三に新撰姓氏録に纒向遺跡の大市首と大彦命本拠の一つの辟田首が出自任那国人都怒賀阿羅斯止であることです。
返信先:@o_fujita他1人そうですよね。 熊野古道は邪馬台国の連合政権の史跡ですが、あくまで「大王」。 「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」、推古天皇在位時に産業の大きな発展が起きた。 その後、藤原京という条坊制型首都の完成。飛鳥京以前、纒向遺跡、上町台地は倭国制。 pic.x.com/8OuJ0jTJMP
相撲神社から戻る途中、出会った地元の年配の方に話かけられ、有意義な話を聞かせてもらう🥰 穴師山を起点に穴師坐兵主神社、景行天皇の日代宮、纒向遺跡が一直線に並んでいると!😳 駅で撮った写真を見直してみると確かにそうだ!✨ 穴師山は聖なる山だった。まさに国のまほろば😍 pic.x.com/zDGrtjuK9G
いま天理駅です🥰 今日の全行程が終了したので、少しずつ振り返りましょう☺️ 今日の行程は、 巻向駅~纒向遺跡~纒向石塚古墳~箸墓古墳~神御前神社~大神神社(若宮社・狭井神社)~山の辺の道(プラス相撲神社・西殿塚古墳)~石上神宮~天理駅 でした✨😍 pic.x.com/zeXpi5fQ5M
伊太祁曽神社。紀伊国名草郡の名神大社で紀伊国一宮の一角。素戔嗚尊の子の五十猛命を祀り、崇神天皇と紀伊系の妃との間の上毛野氏/豊鍬入姫命(台与)に関わる神社ではないかと思います。纒向遺跡に紀伊系の土器は目立ちませんが、在地で協力したのでしょう。和田川の下流に式内竈山神社。 pic.x.com/9s0RRf6vzd
伊勢も東海系ですし、さすが纒向遺跡の外来土器の最大派閥の東海勢力の影響力は強いです。卑弥呼が西日本諸国の共立で前方後方墳の狗奴国(東海)と対決みたいなステレオタイプは疑問でしょう。狗奴国は東海東部とは思いますが。調べれば調べるほど弥生時代の畿内や東海の実力は侮れない気がします。
言わずと知れた古市古墳群。世界遺産。志紀郡一帯にありますが、志紀県主は多氏で勢力があったようです(雄略天皇記)。纒向遺跡は芝遺跡(磯城県主)の近隣で、弥生時代の大和の首邑の唐古鍵遺跡(倭国造)と河内のシキとの関係が問題になりますが、元は倭国造/磯城県主の領域だったのでしょう。 pic.x.com/47jvQ5vF44
日本武尊の兄の大碓皇子は美濃と関係が深いですが、景行天皇の後皇后は美濃の八坂入媛命で皇子の五百城入彦皇子は応神天皇の皇后三姉妹の祖父。纒向遺跡の外来土器の最大派閥の東海系は(イオキ/イブキ部の)凡海氏(荒尾南遺跡)がリーダーと思いますが、邪馬台国を中心とする前期倭国に強い影響力。 x.com/kofunjidaishi/…
日本武尊の本拠ですが、どうも普通に名神大社の建部神社(大社)擁する近江国栗太郡(くりたぐん)のようです。仲哀天皇の兄で建部君の祖の稲依別王が地盤を受け継いだと見ていいでしょう。明石は日本武尊の母の地盤で仲哀天皇が受け継いだか。栗太郡の式内社に意布伎神社(不詳)があることに注意。 x.com/kofunjidaishi/…
返信先:@confidence01219『魏志』における邪馬台国の記述 →大きな集落の存在、九州にあった伊都国という大きい国までも女王国に統属していたことが記されている、など邪馬台国や卑弥呼に関する情報が記されている。 纒向遺跡 各地から土器が集まっている 箸墓古墳 卑弥呼の墓の可能性が高い 同時期の古墳に比べ巨大
■何故に、畿内地域中心勢力が政治勢力「共立」を主導することができたのか 奈良盆地/纒向遺跡は、地理的に古代道が通ずる諸国の交通の要所であったのは確かだろう。それは外来系土器の多さから屋内移民都市的なものであったとされることからも窺える。しかし、それが主な要因ではないとされる。
返信先:@kikuzou_ramen昔は神社では無く宮と呼んでいたようですが、そうした伝統を無視して神社と呼ばれ出してからの歴史だけをカウントするというのはフェイクに近いと思いますよ。 3世紀の纒向遺跡や下手したら紀元前の松菊里遺跡にも神社によく似た建物が有ったようです。
返信先:@youken_kig桜井茶臼山・メスリ山は別系統、東殿塚は非大王墓とすれば箸墓・西殿塚の吉備搬入品の特殊器台・特殊壺と行燈山=崇神陵から用いられる大和在地で発明された形象埴輪・朝顔形埴輪(どちらも最古級=布留1式期のものが纒向遺跡坂田地区出土)は入れ代わりの関係にありますね x.com/csagev/status/…
返信先:@youken_kig形象埴輪出てきますし。東殿塚=イカガシコオは被葬者像的に大王というより土器製作関係者を想定した方がいいような気もしてます。前方部の反対側に造出し付いた双方中円形で隣接する櫛山古墳気になるんですよね。後続する和珥氏祖の赤土山も墳形同じですし萱生の中山大塚・燈籠山にも共通する特徴です
太田匡彦記者(@qEaLO0nvwWqCKMx)がコメントしました。 【視点】動物をかたどった埴輪で最も早く登場するのは鶏のものです。纒向遺跡(奈良県)の「坂田地区」と呼ばれる一帯から出土しました。 4世紀初めご… 大魔神「5兄弟」も東京に初集結 「はにわ」のゆるくて深い魅力 asahi.com/articles/ASSBC…
太田匡彦さん(@qEaLO0nvwWqCKMx)の #コメントプラス 朝日新聞デジタル 【視点】動物をかたどった埴輪で最も早く登場するのは鶏のものです。纒向遺跡(奈良県)の「坂田地区」と呼ばれる一帯から出土しました。... asahi.com/articles/ASSBC…
返信先:@fusanokuniinou昨年、大神神社と元伊勢・檜原神社にお参りしました (行く予定だったのは纒向遺跡だったのですが、周辺を散策していたらいつの間にか大神神社にたどり着いていました)
凡海氏の拠点が播磨明石にあって、北部九州の阿曇氏と交流していた可能性もありますね。荒尾南遺跡は内陸部ですが、大型船の絵画土器が出ています。位置的に琵琶湖~淀川ルートを抑えて播磨に通じるとも言え、纒向遺跡の外来土器の半分近くを東海系が占めます。 x.com/kofunjidaishi/…
五色塚古墳は神戸市垂水区にあって、明石郡垂水区の名神大社は海神社(三座)です。凡海氏には二流あって、美濃尾張氏流と阿曇氏流があるんですね。播磨国風土記で痕跡を確認したいところですが、残念ながら明石郡はほぼ欠落しています。 x.com/kofunjidaishi/…
【邪馬台国北部九州説まとめ6】 魏志倭人伝の生活に関する記述をみると、北部九州に合致し、壮大な纒向遺跡や箸墓古墳のイメージには合いません。しかし、魏に使節団を送ることができるのは、小国分立の北部九州ではなく、初期のヤマト王権かなとも思います。#船形埴輪 pic.x.com/GOco8E0zUE