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当時の草津軽便鐡道も旅客ではなく、鉱石運搬が目的でした。 設置された駅はすべて鉱山の荷受け所として各社揃って運営していました。 唯一旅客として運搬国鉄が関与したのが、日鉄工業による群馬鐵山でしたが、戦時中の鐵不足からの運用開始でした。 搬出された硫黄は木之本、朝鮮窒素の工場で火薬へ pic.twitter.com/Lre2aL2P2R
クリスチーネ峯子@motomineko
現在、草津町の温泉の源泉は日本窒素の殺生坑道から排水されていたものである。 昭和40年以降開発が進んだ温泉街で、老舗の温泉とは名ばかりである。 もともとこの地域の鉱山は日本窒素が酒場で譲ってもらったのが事の発端であり、長野県側は既に三井財閥による開発が盛んであった。