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今の子供達や若者達はオウム真理教、1.17阪神大震災、3.11東日本大震災、9.11NYテロ知らないのが多くなってるのか…テレビ記者が若者達に麻原彰晃の写真見せても何をしたかはっきりわからない様子多いし。
返信先:@aiainsteinやりすぎなのはあんたもね。 阪神大震災を経験している特に兵庫南部の人は舐めてんのか?と言いたくなる。野次馬で能登行って崩れている被災者の写真撮って政権批判のネタにする。人間のクズだと思う!人の不幸を利用するカルト宗教れいわ! pic.twitter.com/ZeO6lOTjHC
返信先:@ushimituiinikuあなたは被災者をパフォーマンスのネタにしているだけの人間のクズだと思う。阪神大震災でも野次馬が倒壊した家の写真を撮って喜んでいた。それもスリッパ姿で自宅の倒壊した写真を撮られた被災者は悔しかったと思う。人の気持ちもわからない人間が議員?ふざけるな! pic.twitter.com/Ry8PbvEulX
返信先:@emc01975093政権批判のために野次馬で能登に行ったやはた愛の行動見たられいわ信者って被災者のことなんて考えていない。地震で潰れた自分の家をスリッパ履いた野次馬に興味本位で写真を撮られる被災者の気持ちを知っているのか?阪神大震災でそんな野次馬たくさん見た。カルト宗教れいわ信者に反吐が出る! pic.twitter.com/MAnhMZgRFW
返信先:@KidTacos阪神大震災で被災したが、やはた愛のような野次馬ばかり来て悔しかったね。あんたらには潰れた自分の家をスリッパ履いた奴に写真を撮られ被災者の気持ちもわからんやろね。そんな奴らが被災者のためにというと反吐が出る! pic.twitter.com/NfQcArVoWv
阪神大震災の時、連絡のとれない神戸の叔母を心配して訪ねたら、豪邸がこんなになってた😭 ドリフのセットみたいやろ?と防寒用にセーブルの毛皮着てゲタゲタ笑って写真撮ってたひょうきんな叔母の姿が忘れられん。
#1日1枚阪神電車 新在家駅にて撮影した、在りし日の2000系2207Fの梅田行き特急。この写真を撮影する3年前に起こった阪神淡路大震災で大破・廃車になってしまった2201Fの代理として撮影したのが、僕にとって初めてにして最後の赤胴の阪神特急列車になりました。 pic.twitter.com/FXfsrtcgic
返信先:@ushimituiiniku男も女も関係ない! 被災者を政権批判のネタだけにするあんたは最低だと思う。少なくとも阪神大震災で経験した人間からするとれいわ流に言うと唾を吐きたくなる!被災者からするとスリッパで自宅の倒壊した写真を撮る人間を見たら悔しくて寝れない!そういう気持ちもわからない奴が議員になるな! pic.twitter.com/O9xIsjytp2
この本には、阪神・淡路大震災の数年後、ある芸術家が作品「生」をデザインして砂州に置いたと書かれています。 地域活性化を象徴する祈り。 本当にそんな場所があるのでしょうか? 2022年の震災27周年の記念写真だけ見たのは以下の通り pic.twitter.com/D52jnwDFYK
返信先:@silakan_duduk他2人「生埋め」はアルバムではないですよ。神戸在住の方の父の遺品として単品で見つかったはず。朝日新聞報道。 フィルムや他写真もあったはずだが阪神大震災で失われたと。 軍装は当時のもので矛盾はないそうですが、写真はプリントしたものを再度撮影したもので生の写真ではないとの検証を見ています。
この写真は 1995/01/16(月・振替休日)撮影です。1/17は平日なので臨時快急は走っていません。 1995/01/17といえば阪神大震災発生日です。私はカメラが棚から落ちた程度の被害でしたが、本震も7:30ごろの余震も怖かった。写真を悠長に撮影しているような状況&気分ではありませんでした。
ガザの避難の写真見て思い出した。 危険の度合いこそ違うけど、117阪神淡路大震災の被災がひどかったエリアの人の話を聞いていたら、地震の直前に近くの海側で爆発音がして、地震と火災が一気に起きて、外に出たらみんなが布団とか持って避難所に向かったという話だった、、
岡山県津山市市立図書館前スペースでの山本宗補「震災から何を学びますか?」写真展、本日最終日です。どうぞお立ちよりください。能登半島大震災、熊本大地震、東日本大震災と原発事故、阪神淡路大震災などの写真から見えてくるものは? pic.twitter.com/SmcMv7880a
阪神・淡路大震災の頃から謂われていたけど… 確かに記録としての写真は大切 だけどね… 自分の興味本位で了解なく壊れた家屋の写真を無断で撮って おまけにボランティアに来て礼の押しつけ… 被災直後の押しかけボランティアもそうだけど… 被災地は見世物でも自己満足のためのものでもない
私の住んでいる町は地震にあって 潰れた家屋敷ばっかりやけど… ゴールデンウィークのせいか? 知らない人がウロウロしてて 家の写真を撮っていく 私の家は見せ物じゃない 炊き出しのボランティアさんも 僕ら東京から来たんです!小学5年の子も手伝いに来たんです!お礼言ってくださいって言われた。
返信先:@jQDrc4z2Pmys6FL元は当方が当時フィルムカメラで撮影した写真です。サンミュージックが主催した銀座にある三越の屋上で阪神大震災チャリティーイベントをやった際に、サンミュージックのタレントが来ました。演歌俳優アイドル総動員でした。新人の浜崎あゆみちゃんも来てて、写真だけ撮れました。
ボランティアを受け入れるために必要なものがあることを、認識しないと。瓦礫の前で写真撮って今だにこんなとかっていう前に。その瓦礫って阪神大震災の時もそうだったけれど、その家と共にあり家族と共にあったもので貴重物だよ。ゴミとして移動したら捨てたら良いというものではない。
その点への批判であれば理解はできる 被災現場は「観光地」ではない 阪神淡路大震災後に一般人が被災現場でピース姿で写真を撮る姿に地域の方が心を痛めていたことを思い出す その一方、被災地の現状を伝え続けることに意義があるとは思う その点は揶揄すべき対象ではないはずだ 確かに現状の回復→
返信先:@aiainstein行かなくても、テレビで見たでしょう。被災情報もわかるでしょう。 被災者は、余所から来た人を何と思っているか知っていますか? 人の壊れた家屋や惨めな人を見に来た人見遊山。 私は阪神淡路大震災を経験しましたが、壊れた建物に指さしてはいけない。写真を撮ってはいけない。被災者は我慢して
返信先:@BCAA20000阪神大震災の時、人が大勢亡くなったところに心霊写真撮りに来てた霊感があるってタレントがいましたけど、その後、癌であっという間に亡くなったので因果応報かなって思いました。
警備員をしていた阪神淡路大震災当時、倒壊した建物を4ヶ月も放置していなかったと記憶しているので、この写真を見て驚いている。 呑気に海外へ行っている場合では… (検証 能登半島地震)復興の前提、審査に時間 未登記、親族全員の同意「どうやって」:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/DA3S1…
返信先:@debunekocyan昨日は素敵なイベントに行けて、本当に良かったです☺️ マルとも写真が撮れて、嬉しかったです✨ 阪神淡路大震災を語り継いでくれているマルに、是非行っていただきたいのが王子動物園です。 阪神淡路の復興のシンボルとして来てくれた🐼のタンタンさんと、是非マルにも会って欲しいと思いました☺️
土木学会の土木施工は、先月分は、橋梁の壊れ方の特集。特に、昭和から平成迄、写真で示しております。文字よりも、説得力ありました。新技術は、免震構造です🙇阪神大震災以降の免震技術も進化してますね。一方で、液状化は、難しい。
ごろごろパンダ日記 タンタン、ありがとう 2024/04/29月祝15:23- NHKG。1995年阪神淡路大震災で辛く悲しい思いをした人々を励ますためにやってきたタンタン。「今度はあなたたちが、そういう人たちを励ます番だよ」と言われた気がした。拡大版はNHKBSで5/5、再放送はNHKGで5/6。写真は2017/5/14撮影 pic.twitter.com/lQfcvOFRav
「ライトアップされた千枚田の写真が印象的で震災前と変わらない場面もあるんだなと感じました。私も阪神・淡路大震災を神戸で経験しているので当時の記憶がよみがえります」 能登半島地震 滋賀 三井寺で報道写真家の写真展 www3.nhk.or.jp/lnews/otsu/202…
トレンドで明石海峡大橋って出てるから覗くと、美しい橋の写真がずらり。 26,7年前(1998開通とのこと)にできた橋なのに、橋が崩落したとか、道路に亀裂が入ったとか、ワイヤーが切れたとか聞かんもんね。阪神・淡路大震災にも耐えたし。日本の技術ってすごいっす🦾
能登と同じ1月に起きた阪神淡路大震災。大きな都市で交通の便もよく、復旧は30年前といえど今よりは進んでいたと思う。 発災後1日一枚の写真からこれからの能登を想像して進んで欲しい。 kobe-np.co.jp/news/richa/365…
返信先:@mishi_mishi75自分は🇵🇸には、テロの印象が大変強かったです。 只、社会科の資料集にあったり、阪神淡路大震災や東北大震災の時の凧あげの写真や励ます姿には、共感してました。 🇮🇱政府の声明(東京空襲や原爆投下を例えにした報道官や首相、駐🇮🇹大使)に、大きな違和感を覚えました。たしかこれが切っ掛けです。
29年前のきょう4月26日は阪神・淡路大震災からちょうど100日目。当時の記者は被災直後から連日、まちの姿を撮影し続けました。朝刊では1995年1月17日から365日間の写真を「震災ダイアリー」として毎日掲載しています。神戸新聞NEXTで一月ごとにまとめて見ることができます。 kobe-np.co.jp/news/richa/365… pic.twitter.com/degXDmqVDt
中越地震で私の実家は被災し「危険」の紙を貼られました。その写真を取られるのは愉快ではなかったですね。 中越沖地震では調査団として現地に向かいましたが、行く前に阪神淡路大震災の被災者でもあるリーダーから「むやみやたらと写真を撮るな」とレクチャーありました。今は福島に住んでいますが、
人によっては自分の家の最後の姿が残っていてよかったと思うかもしれないし、だったら報道の写真や映像も今後一切出さない方向で我々はその惨状を見ることが出来なくなり、いつか自分もという危機感が大きく薄れていく。 過去の様々な災害の被害に遭われた方のおかげで学ばせてもらってるんですよ。