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【三千院】2 寂光院 建礼門院徳子(平清盛の息女、高倉天皇の皇后、安徳天皇の国母)壇ノ浦で平家が滅亡したあと、彼女は助けられ大原の寂光院で余生を過ごした。それで胸を痛めた後白河天皇が見舞いに来た逸話がある。 三千院の中にあると思いきや離れている。次回に回します(泣) pic.twitter.com/LxZOLYuTMo
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「平清盛」清盛と時子の娘、徳子が高倉天皇の后となった。後の建礼門院である。徳子は、高倉天皇との間に、言仁親王をもうける。清盛は、言仁親王を天皇として、平家は、この国の頂きに上ったかに見えたが…些か性急に過ぎた。上り詰めれば、後は落ちるのみーー。
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泉さんち(@izumi_1118 )の高倉天皇お借りしました😊 御本家様は爽やかな憲仁様です✨私の画力ではなかなか爽やかさが出ませんが、お借りできてお絵描き楽しかったです!ありがとうございます😆 徳子ちゃん手抜きすいません💦 #おたくの主上お借りします pic.twitter.com/USPbInrF1s
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産経朝刊7P、高倉天皇と建礼門院徳子。二人の間の3才の幼帝は安徳天皇。建春門院の死後、清盛は後白河法皇と不仲になり法王を幽閉。以仁王 (法王の第2皇子) が平家追討の令旨を全国の源氏に送り、"源平争乱"の時代となった。高倉上皇は病床に伏し、後白河法皇の唱える念仏で往生したという。