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三島海雲(みしまかいうん)が最晩年に手掛けた『仏教聖典』。 海雲にとってカルピスという事業は、大乗仏教の「自分と他人の両者の幸福を目指す」という自利利他(じりりた)行の実践だったと言える。 pic.twitter.com/I1HJQZpb1T
宮沢賢治は亡くなる時に『法華経』を知人に配る様に遺言し、カルピスの創業者で実家が浄土真宗の寺であった三島海雲(みしまかいうん)は、経典を集めた『仏教聖典』を刊行した数ヶ月後に亡くなった。 自分も寿命が尽きる時は、親しい人に中村元氏の『龍樹』を贈りたい。
宮沢賢治は亡くなる時に『法華経』を知人に配る様に遺言し、カルピスの創業者で実家が浄土真宗の寺であった三島海雲(みしまかいうん)は、経典を集めた『仏教聖典』を刊行した数ヶ月後に亡くなった。 自分も寿命が尽きる時は、親しい人に中村元氏の『龍樹』を贈りたい。
教員、ゼミ生たちの新しい研究テーマへのヒント探しも兼ねて親友と「阪急能勢ラリー」に挑戦。午前は川西市、午後は箕面市を巡り、三ツ矢サイダー発祥の地、多田神社、カルピス生みの親である三島海雲の実家「教学寺」を訪問しました。ロゲイニングの企画・設計・実施はゼミ活動としていいかも。 pic.twitter.com/GGyuXTXwXg
返信先:@kinagomasan和田堀廟所には、元職場の創始者の墓があるので、毎年(業務として)墓参していました。創始者は三島海雲とも親交があったようで、「カルピス」の名を提案したのも創始者だそう(釈迦に捧げられた乳粥にちなむ)。
本日は、アサヒ飲料さんにお邪魔いたしました カルピスの産みの親、三島海雲と同じ誕生日でご縁を感じました 内モンゴルへ行かれた際に、海雲の体調を助けた飲み物 動物の乳を乳酸で発酵させた🥛酸乳🥛に出会い、カルピスの発想へ至ったそうです パイオニアはいつの時代もかっこいい pic.twitter.com/9VA4wVzQxw
返信先:@sanspo_wsftblおめでとうございます!!!今後ともよろしくお願いいたします! 今年読んだやつから一部を↓ ・山川徹『カルピスをつくった男 三島海雲』 ・佐藤彰宣『スポーツ雑誌のメディア史』 ・岸井ゆきの『余白』 ・中川一徳『メディアの支配者』『二重らせん』
父が昔三島海雲研究所(カルピス食品工業の祖)のはちみつを扱っていて、蓮華の花は固まりやすかったかな?🤔 昭和40年代50年代の当時2000円くらいしたかな。 固まるのは腐っている等と理解できないお客も居だけど、比較的富裕層のお客さんは理解してくれてたな。 結局売れないから、自宅で食べていた。😅
先日、お店で「白く固まるはちみつは、砂糖混ぜるから固まるんだよね!」と高齢のお客様に大声で言われました。 「いいえ、ブドウ糖の割合が多い本物のはちみつは結晶しやすいという特徴があります」と、説明してみたけど。 自分が正しいと、怒られました。客のが偉い、目上の人間に逆らうなと…。…
創業者の三島海雲は、浄土真宗の家系で、英語教師をし、日露戦争前に北京で日本語教師、なぜか行商会社を立ち上げ、日本陸軍の軍馬の買い付けをしたり、モンゴル王公への銃の仕入れ、中国とモンゴル高原を行き来して様々な事業をし、清朝滅亡後に、日本に戻り、カルピスを作り、日本の国民的飲料となる pic.twitter.com/62HpuevFLC