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今日は仕事で尼崎へ行った帰りに天牛書店へ。 百均より3冊。 奥泉光『蛇を殺す夜』、これ文庫になってないのかな。 金子光晴『下駄ばき対談』、田中小実昌・稲垣足穂の鼎談読も思たら吉行淳之介の頁やった。目次が間違うてたで。 杉本秀太郎・甲斐扶佐義『夢の抜け口』、百均故に線引き多かったよ。 pic.twitter.com/GBIhD9isKg
[メルカリ] 菓子祭/吉行淳之介(1979年初版) ・美本 挿画/池田満寿夫・リトグラフ ¥3,750 招待コード【RNSZUT】でアプリから新規会員登録すると500円分お得に購入できます。 jp.mercari.com/item/m82022974…
【新刊:6月6日発売】 吉行淳之介、司馬遼太郎、和田芳恵……文人たちの素顔と背中、そして文学が文学であった時代の痕跡!半世紀以上にわたるわが編集者人生を振り返り、作家との交流、文学論から書評までを収録した回顧録。 久米勲『黒衣の歳時記 文藝編集者という生き方』 hanmoto.com/bd/isbn/978480… pic.twitter.com/ltat03zRto
吉行淳之介掌篇全集を買った。 シュルレアリスムの影響を汲んだ詩人としての側面にばかり注目していたような気がするのでこれを気に長編も追いたいところだが果たして。 pic.twitter.com/aj8s4Hny5P
吉行淳之介エッセイ・コレクション ①紳士 萩原魚雷 編 南伸坊 カバーデザイン 2004 ちくま文庫 ‥「気に入らぬ風もあろうに柳かな」 気に入らぬ事は毎日のように起きる 爆発前に、「気に入らぬ‥」を思い出すようにしている。思い出そうとするのは気持ちに余裕がある状態で、効果がある、と pic.twitter.com/rbB8NC5Ugt
作家の吉行淳之介さんはなぜモテるのか? かつて編集者として吉行氏を担当した詩人の清水哲男さんは、「相手の話を聴く名手だから」だという。 吉行氏本人いわく「間というのかな、距離を保って深く突っ込まない。それでいてじっと相手を観察している」のだという。 どうやら『距離間』が大事らしい。
新しい本棚に入るサイズの吉行淳之介と遠藤周作を並べてみた📙 #吉行淳之介 #遠藤周作 #読書好きな人と繋がりたい #読書好きと繋がりたい 吉行『鞄の中身』は文芸文庫に入る前のハードカバーには三島由紀夫を意地悪く描いた短編が入っていて、らしくない吉行の一面がみれて貴重。削った事実も含め。 pic.twitter.com/77FeOMs5Zb
(吉行淳之介の本の引用(しかも、内容もどこかの本の引用)で喧嘩してるのやばすぎるし、線引いてあるところだけ見て死ぬほどどういう内容か分かってないのになぜそんな論争ができるのか……大本の本読んで喧嘩してんの? それともガチでそこの曖昧な一文で喧嘩してんの? どゆこと?)
雑誌【新出品】『絶体絶命 6号』 1978年3月号 憎みきれないジュリー グラフィティ 森茉莉/白石かずこ/山口晴美/沼田早苗/F・モレシャン/朝倉摂/吉田ルリ子/中島梓/吉行淳之介/長谷川和彦/湯川れい子/伊藤文学/中村とうよう/美輪明宏 私たちのアリス6 荒木経惟 rojiura-s.o.oo7.jp/products/Magaz… pic.twitter.com/lfdShAgvdW
「感じ過ぎる人」の時代は戦中で吉行淳之介はまだ学生。学徒出陣目前でまわりは進め一億火の玉だ!(ダイヤモンドのように頑丈な人たち)と盛り上がってる。が自分一人どうしても熱狂に乗れず「それでも文学をやるんだ」という矜持から出たのがあの言葉だが本と違ってネットは文章の背景は消えるからな
『Horizon』を初めて聴いたときに若干感じた冷たさは距離感だと今はおもう。それはもうやさしいんだけれど若干対象と距離を間をとってる感じがある。だからこそ周囲が見える見えないとすべきやさしさが見えない。ベタベタしない、けどおもっている。そういうおもいやりは吉行淳之介と近いとこある。
吉行淳之介、真面目でいい子ちゃんだから かわいくなってきますよね。 学部四年の時あたりから だんだんかわいく見えてきましたもん。
こういう「感じすぎる人」の大半が、大した繊細さ才能もなく、能をつけるための人一倍の努力もせず、尊大な自意識と理想的な救済への憧れとモラトリアムを許す実家だけを持ち、中途半端な哲学知識を披露しながら芸術や人文に触れない人をルサンチマン的に脱価値化するカスということを私は知っている。
返信先:@totti__totti引用RTにも書いたがこれ時代は戦争中で吉行淳之介は当時学生。学徒出陣目前でまわりは進め一億火の玉だ!と盛り上がってる(ダイヤモンドのように頑丈な人たち)。しかし自分一人乗れず「こんな時代に俺はなんで文学なんてやってんだ?」という自省から生まれたのが傍線の言葉。知られざる名文と思う。
古本屋から届いた 吉行淳之介「私の文学放浪」の角川文庫版 書名は同じだが中のある一文が少し違うらしいと聞いて確認するため(そのためだけに買った)。目次を見ると3つの収録作うち1つが丸っきり別なこともわかった(これは僥倖 開くと乱暴な書き込みを見つけて項垂れたが著者の草稿印刷でした pic.twitter.com/sE1kJshXWA
返信先:@CheapTigerこれ時代は戦争中で吉行淳之介は学生。学徒出陣目前でまわりは進め一億火の玉だ!と盛り上がってる(ダイアモンドのように頑丈な人たち)。しかし自分一人は乗れず「こんな時代に俺はなんで文学なんてやってんだ?」という自省から生まれたのが傍線の言葉。名文だよ。
先ほどのツイートに、読むに堪えないリプが多数ぶら下がっている。 早逝の家系で、「病気のデパート」と言われた吉行淳之介がどんな気持ちで生涯、文章を綴ったのか、考えてほしいな。 pic.twitter.com/o4ZQoXbfjC
吉行淳之介は存命の頃から叩かれる作家ではあったし「第三の新人」らが戦時中に青春を過ごしてルサンチマン拗らせているのは確かにそうなんだけど、俺はそんな吉行と彼が描く主人公の、神経質で臆病で懐疑的で「感じ過ぎる」ところが大好きなんだよな。
吉行淳之介が惹かれたという実は存在していないトマス・マンの一節が、エモ文体をつけてスクショでツイッターで引用されて、更にそれを引用RTでがやがや言うのはもうメディアが複雑すぎて何がなんだかわからんな。>RT
これ時代は戦争中で吉行淳之介は学生。学徒出陣目前でまわりは進め一億火の玉だ!と盛り上がってる(ダイアモンドのように頑丈な人たち)。しかし自分一人は乗れず「こんな時代に俺はなんで文学なんてやってんだ?」という自省から生まれたのが傍線の言葉。名文だよ。
こういう「感じすぎる人」の大半が、大した繊細さ才能もなく、能をつけるための人一倍の努力もせず、尊大な自意識と理想的な救済への憧れとモラトリアムを許す実家だけを持ち、中途半端な哲学知識を披露しながら芸術や人文に触れない人をルサンチマン的に脱価値化するカスということを私は知っている。
芸術云々より、吉行淳之介の探してるのに出てこない一節が気になった。確かにそのテの事、ある。
こういう「感じすぎる人」の大半が、大した繊細さ才能もなく、能をつけるための人一倍の努力もせず、尊大な自意識と理想的な救済への憧れとモラトリアムを許す実家だけを持ち、中途半端な哲学知識を披露しながら芸術や人文に触れない人をルサンチマン的に脱価値化するカスということを私は知っている。