- すべて
- 画像・動画
並べ替え:新着順
おはようございます☀ 1633年9月24日(旧暦)、堀尾忠晴が没。 堀尾忠氏の子で出雲松江藩2代藩主。 大坂の陣で鴫野の戦いなどに出陣、軍令違反を咎めた徳川家の軍奉行を器量で圧倒し黙らせた。 幕府から丹波亀山城の天守破却を命じられるが、間違って伊勢亀山城の天守を解体した。 本日も良い1日を✨️ pic.x.com/ithwmfufq1
大坂の陣での兼続と幸村の会話どのタイトルのも好きなんだけど一番は3の「私は桜が嫌いだ」ってやつかな… 兼続も本当はそっち側で居たかったんだろうけどそれは叶わなくて、幸村の義に殉じる姿を見てカタルシスを得られたのかな…というのもあり
『孤剣の涯て』#読了 大坂の陣を舞台にした宮本武蔵が主人公の伝奇小説です。 探偵ものを読んでいるようで続きが気になってしまいました笑 調査を進んでいく過程もですし何より実在の登場人物たちのキャラも立っていて面白かったです あ、大坂の陣なので真田信繁を登場してますよ笑 pic.x.com/pwialqlgza
ちなみに、マリア観音である可能性じたいはもちろんゼロではなくって、たとえば筒井家中にも信仰が広まっていた形跡がありますし、大坂の陣のあとに畿内近国に潜伏してそのまま定住したキリシタンがいた可能性もあります。まずはこういう可能性をひとつずつ潰していかないといけない。
後の仙石騒動にも似た事件であり有力外様大名家の内紛とあって改易されてもおかしくなかったが吉晴が健在であったためか難を逃れている 祖父が死去すると親政を開始したがこれといった治績は伝わっていない大坂の陣では鴫野の戦いなどに出陣して武功を立てたほか
最近「情報の重み」を感じたのは、NHKBSで再放送していた VRを使った関ヶ原と大坂の陣の検証ドラマだった。 検証に検証を重ねた情報の濃さ、 VR映像で再現された合戦の迫力、 戦国でも変わらない人と人との友情や信頼の温かさなど、 観た後に感動と「知識がより良く更新された」という喜びを感じた。😊
歴史を面白く学ぶコテンラジオ「『この鐘、やってんな』大坂の陣 開戦~家康のイチャモンに豊臣てんやわんや~【COTEN RADIO 秀吉・家康編11】」 podcasts.apple.com/jp/podcast/%E6…
大坂の陣も良かったけどやっぱり昌幸中心に真田一族の話が進んでいく所が見てて1番楽しかった ってか草刈正雄の安心感がやっぱり凄すぎて 豊臣全盛期の小日向文世 内野聖陽 遠藤憲一辺りが出てると見応えあったし、あと一瞬だったけど吉田鋼太郎の信長はズルい面白さだったww
真田丸全50話 23日で視聴完了 主役が負ける側だから後半の展開はやっぱ辛いし大蔵卿のババアが胸糞過ぎて😫 でも大坂の陣で新しく出てくる牢人方もキャラクター濃くて見てて楽しかった ただこのドラマは一年通して見てたらまた違う想いがあったかもなぁともね
#本屋が選ぶ時代小説大賞 受賞作✨ どんでん返しの連続‼ ⚔#孤剣の涯て⚔ 大坂の陣前夜、天下統一を果たした家康を呪詛した「呪い首」が発見される🔍 呪いをかけた者を突き止め、生け捕りにする依頼を受けた武蔵。 滅びゆく者たちの最後の戦いが始まる🔥 #木下昌輝 さん #文春文庫 pic.x.com/cfbfzdgbww
1614、15年 大坂の陣 ×(西)豊臣秀頼vs徳川家康(東)○ 1837年 大塩平八郎の乱 ×(西)大塩平八郎vs江戸幕府(東)○ 1868〜69年 戊辰戦争 ○(西)新政府vs旧幕府、他(東)× 1937年秋 ○(西)大阪タイガースvs巨人(東)× 1938年春 ○(西)大阪タイガースvs巨人(東)× #阪神タイガース pic.x.com/ak8ga1uc21
天正壬午の乱で弱小勢力ながら周囲の大名を巻き込み領土拡大に成功した真田昌幸、大坂の陣で世俗的利益を捨ててでも武士の意地を貫き幕府軍に強い印象を残した真田幸村のような、そういうオタクを心がけたい。 戦国武将の生き様が今のオタクに通ずるものがある。
・1614年(慶長十九)9月23日 秀頼が島津家久に大坂の陣への加勢を要請 ・1926年(大正十五)9月23日 広島県安芸中野駅付近で山陰線特急転覆により73人死傷 ・1930年(昭和五)9月23日 内務省の調査で虐待児童が年間1万2000人余りと判明
人違いで襲われた事から徳川と豊臣の争いに巻き込まれて行く。この才蔵、行く先々で女性から慕われることで鉄火場に首を突っ込むも持ち前の腕っぷしで切り抜けて行くのがスリリング。 佐助との奇妙な関係性も心地良いです。時代に取り残されそうな忍者たちは大坂の陣を如何に闘うのか。良作。
大坂の陣の記載もあって、こんなん千銃士の火縄銃推しテンション上がると思う 銃以外のアイテムもいっぱいあって、作り方とか保管方法も書いてあって大変勉強になりました 人が多くてあまりじっくり見れなかったけどとても幸せ
大河ドラマ「黄金の日日」で知られる秀吉による堺の堀の埋め立ては、近年の調査では徹底したものではなく、大半の堀は、大坂の陣で焼けた後に埋め立てられたものが多いようです。国内やアジア各地の焼物は堺の繁栄を物語っています。個人的には旧南宗寺の位置の鍵となる木簡が興味深いです。
まあ、大坂の陣の判断の誤り等を見ても、秀頼を差し置いて事実上の豊臣のトップだったことは確かだろう。 それを、徳川家が自らの治世のためにさらに上書きして、悪く広めたというのが実態といったところでは? news.yahoo.co.jp/expert/article…
歴史カードゲーム「Hi!story(ハイストリー)」 シリーズ新作 関ヶ原デッキカード紹介🔥 「歴戦の東軍」ランク1 〜戦乱は終わらず〜 大野治長 関ヶ原の後、大坂の陣の豊臣方を中心となって指揮したことから、不穏な空気を纏って、何かを企んでいるような… #関ヶ原2024 #歴史カードゲーム #ハイスト pic.x.com/lpwh2rxenc
徳川頼宣(暴れん坊将軍の祖父)が大坂の陣で先陣を飾れなかったときに臣下から慰められて「我に14歳の時が2度あるか!」と返した名言がある。 同じようなイベントはいくらでもあっても、推しと時間を共有できる今日という大切な一瞬は2度と来ない。 x.com/kamira_p/statu…
先週のデレのライブ行った時、宗教勧誘のオッサンに捕まって言われた言葉で1番腹たったセリフ オッサン「ライブはこの先何回もあるかもしれないけど、このチャンスは今日しかないよ!!」 俺「(今日のライブは今日しかないんじゃボケ!!!!!!😡😡😡)」
ただ、実際には大坂の陣で徳川方が築いた「仕寄道」が数十年残り続け、兵法に疎い庶民たちが「真田の抜け穴」と合点して受け継がれてきたというのが真実らしい。藤堂家の『元和先鋒録』に記述あり。 参考:北川央『大坂城をめぐる人々 その事績と生涯』(創元社、2023年)
大坂の陣における真田幸村の伝承地の一つ「三光神社」にある「真田の抜け穴」だが、戦前まで大阪市中央区や天王寺区、阿倍野区等の広い範囲に抜け穴が存在したという。『大日本寺院総覧』の天王寺区六万体町の「月江寺」項によると佐久間信盛が在陣した時に築いた空壕が抜け穴といわれていたらしい。