- すべて
- 画像・動画
並べ替え:新着順
返信先:@ruruonthebridge広島8・6の惨憺たる姿といまを思う中で、反核反戦以上に、反天皇、反米を喪失しその上、廣島自身の加害性がより直視されない状況は歳を追うごとに酷くなっている。 岩松氏の著作が何処でも購入出来ず悩む中で知れた秀作と素晴らしいツイ主に深謝。 フォローいたします。
返信先:@McnFLrnMHNcXPzVおはロサ~ 北畠義郎、新田岩松氏の末裔で男爵・新田忠純の長男で北畠氏の末裔・北畠克通の養子です、霊山神社は北畠親房、北畠顕家を祭神にして神社の所在地・霊山は親房以降の北畠氏の本拠地で顕家が陸奥国府を置いた地です、ちな兵庫県出身の冒険家・植村直己は明治大学山岳部OBです。 pic.twitter.com/9R7CnjCI62
◎新田氏一門及び新田荘総鎮守 岩松八幡宮[郷社]⚔️ 新田氏始祖 新田義重(義国の子)が石清水(男山)八幡宮を勧請, 山城國男山の小松を持ち帰り植え, 猪沼郷と呼ばれた当地を岩松郷に改めた✨ 南北朝期に岩松氏が新田宗家の後継となり当八幡を新田総鎮守社とした 摂社に義貞公を祀る新田神社が鎮座🙏 pic.twitter.com/eGLMPbE95G
◎岩松山義国院青蓮寺[時宗/ 阿弥陀如来] 岩松氏の帰依寺, 源義国による開基で院号は義国院卍 義国孫 足利義兼の子の義純を祖とし岩松新田氏を名乗り新田義貞没後は新田氏後継となる ◎義国神社 義国公(義国天神)を祀る ◎籠宮稲荷神社と御嶽神社 新田一門 細谷氏が義貞公没後に籠神社の分霊を祀る pic.twitter.com/taKtEnTl1g
▲ブー爺『AM氏来訪』①結城合戦への過程 応永23年(1416)上杉氏憲(禅秀)と対立関係にあった山内上杉憲基が管領職に任命されたことを契機に、上杉禅秀のもとには下総の千葉氏、上野の岩松氏、下野の宇都宮氏・結城氏、常陸の佐竹氏、大掾氏、甲斐の武田氏等、鎌倉府に不満を抱く武士たちが集結。 pic.twitter.com/DXRH6EaHZj
下田島城(群馬県太田市) 岩松氏が家綱より百石加増され交代寄合となり世良田より移動してきた城跡(陣屋跡) 計120石となったが、参勤の義務が発生し更に貧乏となり猫の絵を描き売っていたのは有名 現在高校の敷地内となっておりグラウンドの端に堀と土塁が僅かに残っているのを確認したのみ pic.twitter.com/X3CpbMP0kv
岩松陣屋跡(群馬県太田市) 室町幕府より新田氏本流と認められた岩松氏の陣屋跡 由良成繁に金山城から追われた岩松守純がこの地に建てたとのこと。 家康との面会の際に余計な事をして20石のみしか貰えなかったとのこと。 空堀のみ残る。 pic.twitter.com/Jd8W7GDN7p
世界遺産 高山社跡 交流センター情報館で館長の説明を受講、ボクが長野県うへだ市の出身とわかり“猫瓦”の話で盛り上がりました 他にも“世良田の殿様”新田岩松氏の「猫絵」の話でも盛り上がり 高山社跡は残念ながら母屋は解体修理中、眼前の山は世界遺産の修景保存地域に含まれ当時のままとの事 pic.twitter.com/SeKwX0FLzK
久保田順一『上野武士と南北朝内乱ー新田・上杉・白旗一揆』(中世武士選書47) 鎌倉幕府の滅亡、南北両朝の分裂、観応の擾乱の勃発と、次々に上野武士たちを襲う未曾有の内乱。新田氏、上杉氏、岩松氏、白旗一揆に参加した諸氏をはじめ多くの上野武士たちの動向を活写。 ebisukosyo.co.jp/item/675/ pic.twitter.com/qG2AhYQCd0
かつて養蚕が盛んであった近世~近代、鼠による蚕の食害を防ぐため猫の飼育が推奨されましたが、諸般の事情で飼育が出来ない農家では鼠除けの猫の御札を蚕室に貼りました。また、中でも上州新田郡の領主・新田岩松氏の当主が4代に亘り描いた「新田猫絵」は特に人気を博しました。#猫の日 #猫の日2024 pic.twitter.com/HA5tgmKUvX