- すべて
- 画像・動画
並べ替え:新着順
返信先:@starview1231他11人天武持統朝が記紀を編纂することで、中国皇帝からの独立を意味する継体創始の九州(倭国独自)年号と、「日出処天子」🌋阿毎多利思比狐を消さなければならなかった理由は、633年白村江の水軍全滅で思い知った超大国・唐皇帝への朝貢外交の障害だからです。
『古事記』と『日本書紀』で書かれている時代が異なるのはなぜ?【古代史ミステリー】─『古事記』は推古朝、『日本書紀』は持統朝まで #歴史備忘録deepblue3141592 rekishijin.com/36560
当時の支配者が過去を都合よく捏造するのは良く有る話だ。まあ、隣国ほどではないけどな。 『古事記』と『日本書紀』で書かれている時代が異なるのはなぜ?【古代史ミステリー】─『古事記』は推古朝、『日本書紀』は持統朝まで─(歴史人) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/39fac…
『古事記』と『日本書紀』で書かれている時代が異なるのはなぜ?【古代史ミステリー】─『古事記』は推古朝、『日本書紀』は持統朝まで─ 天武天皇・持統天皇の2代は、正統な天皇による統治であるという点を強調したい意図… news.yahoo.co.jp/articles/39fac…
『古事記』と『日本書紀』で書かれている時代が異なるのはなぜ?【古代史ミステリー】─『古事記』は推古朝、『日本書紀』は持統朝まで─(歴史人) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/39fac…
『古事記』と『日本書紀』で書かれている時代が異なるのはなぜ?【古代史ミステリー】─『古事記』は推古朝、『日本書紀』は持統朝まで─(歴史人) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/39fac…
古事記は推古朝まで 日本書紀は持統朝まで 古事記は「万世一系」のための辻褄合わせ。 日本書紀は「日本」「ヤマト」の国号制定キャンペーン書ってことか 倭=ヤマトと読ませ印象操作 後漢書の誤字「邪馬臺国」から「ヤマタイ・ヤマト」に持ってった #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/39fac…
『古事記』と『日本書紀』で書かれている時代が異なるのはなぜ?【古代史ミステリー】─『古事記』は推古朝、『日本書紀』は持統朝まで─(歴史人) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/39fac… >天武天皇・持統天皇の2代は、正統な天皇による統治であるという点を強調したい意図 それが編纂された目的!
『古事記』と『日本書紀』で書かれている時代が異なるのはなぜ?【古代史ミステリー】─『古事記』は推古朝、『日本書紀』は持統朝まで─ | 歴史人 rekishijin.com/36560 @rekishijin_magより
『古事記』と『日本書紀』で書かれている時代が異なるのはなぜ?【古代史ミステリー】─『古事記』は推古朝、『日本書紀』は持統朝まで─(歴史人) news.yahoo.co.jp/articles/39fac…
古事記と日本書紀の違いはいろいろな話あるけど、 古事記にかかわってるのに持統朝の十八氏纂記に含まれない氏族がいくつかあるので日本書紀でボツにされたものの寄せ集めかもね 古事記は上中下の三巻それぞれ別の氏族の伝承で無関係なバラバラの書物だった可能性も
そう言う事じゃないんよなー 基本的には日本書紀の方が異伝を載せてるんで実は朝廷というか皇室贔屓では「ない」 あからさまに豪族に配慮している 古事記は逆に遺伝に乏しく謡の形式で こっちの方が天皇家の内部文書である可能性は高い。
"日本書紀がいろいろ疑わしいことはその通りで、いわゆる天武・持統朝の政治状況から解読するという作業の重要性は門外漢のワタシにでも分かります。だから、大化改新に関する記述の諸矛盾を掘り起こして検討するという意図そのものには共感" amazon.co.jp/%E5%81%BD%E3%8…
坂東眞砂子氏「朱鳥の陵」#読了 百人一首にある持統天皇の「白妙の歌」がモチーフ。 白妙の正体は冒頭から明かされ、ある人物の意外な正体は最後に明かされるが、こっちも最初の段階でピンときた。 しかし「白妙の歌」の真相は作者らしい雰囲気に満ち、茫然となった。持統朝の大胆解釈も面白い。 pic.twitter.com/oN51SYAiWl
そこで倭国は百済との合意なく(する必要は既に無く)完全に百済切り離しを決定した。 ……なんだけど、なんか強気な条件を唐と新羅にのませて、その見返りがもう一段階あったはずなんだ。そうしないと歴史が繋がらぬ(´・ω・`) ……持統朝から遡って見た方が早いのかな。
返信先:@RexRicardvsIIIバフ…氏族の誰かを後援できる財力とか社会的な人脈ということでしたら、持統朝の蘇我氏はそれなりにはあったかもしれませんが、そういった部分は相対的なものですし、序列を越えられる程ではなかったのでは。
テュルク祖語がそうで、言語変換という現象。 どうも古代のリンガフランカだったようで、言語的にはサハ・ブリヤートからのアジア要素があるはずだけど、アナトリアのトルコ人はコーカソイドだったりと。 ハンガリーもそうみたい。 神道が統一された天武持統朝の時代はまだそういうのがあったかも。