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餃子が明代後期ゆえ、このような伝説まで生まれたりします😚笑 pic.twitter.com/QfHBy8hyMe
中華料理おなじみのメニューがいつからあるか(暫定版) 餃子:明代後期以降(これ以降名実ともに備わる) 炒飯:明代後期以降(蛋炒飯が文献によく見られるのは清代中期以降) 春巻:清代中期以降(揚げたもの。巻くだけの「春餅」は南宋代から) ラーメン:先に定義を下さい
尚賢王までが明代で、尚質王からは清代になります(清からの冊封)。 ちょうど境目の尚質王の御後絵がないのが残念ですが、明代と清代では、御後絵のスタイルや服飾が変わっているのが一目瞭然です。
→ ⭕️赤丸は鎌倉写真にある王様 🟡黄色マークは今回の返還御後絵 🟢緑マークは推定と、父王として見ると参考になるもの。 謎御後絵、明代のスタイルかつ、皮弁冠ではない(冊封されてない)のを鑑みると、尚宣威か尚賢に絞られる。
→ ⭕️赤丸は鎌倉写真にある王様 🟡黄色マークは今回の返還御後絵 🟢緑マークは推定と、父王として見ると参考になるもの。 謎御後絵、明代のスタイルかつ、皮弁冠ではない(冊封されてない)のを鑑みると、尚宣威か尚賢に絞られる。 pic.twitter.com/eLDthW2c9J
返信先:@KandaFuali日本国語大辞典的には『本草綱目』由来っぽいんで、そこ調べれば分かりそうですが、私は漢字と相性悪いのでどなたかにパスを繋ぎます🤞 なお日本語版Wikiにも明代の『本草綱目』由来とまでしかないですね(しかも薬の材料として...) pic.twitter.com/x17xQTihMF
中華料理おなじみのメニューがいつからあるか(暫定版) 餃子:明代後期以降(これ以降名実ともに備わる) 炒飯:明代後期以降(蛋炒飯が文献によく見られるのは清代中期以降) 春巻:清代中期以降(揚げたもの。巻くだけの「春餅」は南宋代から) ラーメン:先に定義を下さい
明代の随筆『五雑組』には金国の進士である田特秀という人物が、「5月5日に生まれ幼名を五児といい25歳で郷試に合格し科挙の四段階をすべて5位で通過し55歳で5月5日に亡くなった」という話が紹介されている←これ奇跡だよね😂
今日は王貴人からおはようございます。 中国明代の神怪小説「封神演義」に登場する琵琶の妖怪で、王朝を陥れるために暗躍していました。 女媧の配下で、妲己(狐)、胡喜媚(キジ)とともに三妖妃と呼ばれました。 #モンスト好きと繋がりたい #おはツイ #初リプ・初絡み・時差リプ大歓迎 pic.twitter.com/L1zDVtJtvP
空手などの武術に興味があり、剛柔流空手の源流について書かれた本を読了。 原典は現代中国語に近い白話の漢文。 「他」(かれ)、「也」(また)は明代から使われていたのか!と中国語の歴史の深さに感動🥹💕 でも最も気になったのは、本文と訓読文にかなりズレがあるところ🤔 pic.twitter.com/64YCsh2iMW
中国明代半ばごろからの善書の流行と紅楼夢、水滸伝・金瓶梅他四大奇書の長編小説の出現には時期の重なりがあって、小説にしばしば善書の引用が登場するんですが、この善書からよく引用された一句として「酒不醉人人自醉 色不迷人人自迷」というものがあり
「処世哲学を説いた中国・明代の書、『菜根譚』は警告する。10回のうち9回の成功をみても、1回失敗すれば批判が噴出すると」 5/7読売新聞「よみうり寸評」で、洪自誠『菜根譚』が引用されました。☞ iwnm.jp/320231 pic.twitter.com/D01FGoSbnD
北京市懐柔区にある黄花城水長城は、精緻な建築と立地の険しさなどから明代長城の精髄とされ、国家4A級観光地(上から2番目のランク)に指定されている。 pic.twitter.com/5Jgw7Brdln
自然の中で撮られたアジア映画で、私が昨年観て度肝を抜かれたのは、リバイバル特集で観たキン・フー監督の映画だろうか。明代のコスチュームに身を包み、歴史の中の業を背負った人々を熱演した俳優の方々には、インサートカットの渓谷のサンコウチョウに全くひけをとらない胸打たれるものがあった。
今日のよみうり寸評刺さった。助成哲学の中国・明代の書、菜根譚を用いて。 「〜はなから無敗を期待されない身の幸せをかみしめ〜 。ファンとは気楽な存在だとつくづく思う。」 筆者の文章の組み立てよう。日本語って感傷に浸り易いな、と。もっと学んで実践していきたい
『東洋古典を読む』 yama.kitashirakawa.jp/?p=13268 2024年度も、『剪燈新話』の中から一話ずつ読んでいきます。『剪燈新話』は明代の瞿佑によって著された伝奇小説であり、「伝奇」の名の通り、普通には起こりえないような不思議な物語を多数収録しています。 pic.twitter.com/AxR9BhrW3M
返信先:@hachika8888どうして?台湾は明代に漢化され始めたのに、なぜ中国ではないのか。ではアイヌと日本文化も違うので、北海道と日本も違うのでしょうか? twitter.com/bhf1112/status…
最近各種三国志モノを読み漁ってると ・シンプルすぎる陳寿の記述に満足できず注釈付けた強火三国志オタク ・正史/演技をベースにそれ以外や↑を取り入れまくったヤツ ・ロマンのトンデモ設定 ・まるで無関係な異世界転生関羽シリーズ が明代の頃からウヨウヨあったわけだが これ史実とウマ娘じゃんて
返信先:@lishein2他1人左は諸葛孔明の衣装に似ていますが、宋代~明代の士大夫の服装です。 三国演技を執筆した羅漢中は明代初期の作家で、三国志の諸葛亮の絵画もその影響を受けています。 ただ、よく見ると頭巾の形が違います! 通天冠の様にクルクルしているのが孔明の冠 (本当は三国時代には存在しないけど😓) pic.twitter.com/ce8CzKXiYj
明代中期においては、銭の使用そのものが限られた地域でのみ行われており、他の地域では金が基本の地域、銀が基本の地域、米や布が基本の地域などがあり、南方では貝貨が基本の地域もあった。 このような時代に、軍隊が駐留する地域では銭が流通していた。
銭の需要には地域差があった。 1453年、北京では銀一両が1000文であったのに対し、南京では2000文、寧波は3000文であった。 この一世紀後でもまだ地域差があったが、清代にはこれ程の地域差は見られないので、明代特有の現象であった。
石亨(せききょう、?-1460)明代の武官。土木の変で敗退して一時下獄されるも、間もなく赦免されて于謙に協力し、北京防衛に尽力した。1457年に曹吉祥らと図って奪門の変を起こし、その功績として忠国公の爵位を与えられる。功を恃んでの驕慢な振る舞いが多いため、やがて弾劾されて失脚し、獄死した。
返信先:@DBo2750puu0hfu3明代の中国人は日本刀を「メイスのように打つ」と表現しています。陰流が中国語に翻訳されたとき、その技法は中国の両手メイスにも使用されました。 pic.twitter.com/ltED4mWrYs
"本格"と言っていいくらいの正統派武侠『#六扇門』、滅茶苦茶よく出来てるなまだこんなの作れるんだと思ったら2016年作品で、なーんだとなった。(笑) 完全架空ではなく、明代(の制度)をちゃんと背景にしている緊張感もいいんだろうなという感じ。 baike.baidu.com/item/%E5%85%AD… bs11.jp/drama/rikusenm…
返信先:@naruseyanoken1袁崇煥という明代末期の武将・軍師。あの臥竜や伏龍で有名な諸葛亮孔明と準えるほどの人物。 常勝不敗の軍事の天才 奴児哈赤20万の兵に対し袁崇煥1万。殆んど勝ち目のない戦で尚且つ籠城戦で農民兵もいるなか大砲や鉄砲を用いた結果これを撃退した人物。 袁崇煥↓↓ pic.twitter.com/MVWpV43V4n