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木曾義仲・巴御前の大河ドラマ誘致応援イベントとしても注目されていた「メルヘンおやべ源平火牛まつり」 祭りは最後となりますが、#小矢部市 の観光の柱の一つとして、今後も、義仲・巴の魅力の発信に努めます。 ぜひ、源平合戦ゆかりの地にお越しください! #木曽義仲 #富山県 #Baahubali #火牛 pic.twitter.com/bRdkhge5dQ
特に楽しみにしてた「巴」 義高様ぁー!!のお父上木曾義仲と、共に戦った女武将、巴のお話。 メッタメタに強かったけど、最後は敵に追われて、義仲に「女のお前は俺の形見を持って木曾に帰れ」と言われて一緒に自害することが叶わず、霊としてさまよってる的な話を旅の僧侶が聞くって設定
井家範方 源氏軍、加賀国の住人 1183年 平家軍に攻められ敗走する木曾義仲を逃がすため源氏軍の殿(しんがり)をつとめる わずか17騎で奮戦したが多勢に無勢 平家軍10万の大群に取り囲まれ討ち取られてしまった 根城末での壮絶な最期だった pic.twitter.com/JMvPKlxyGE
鎌倉殿の13人は全話見た数少ない大河なんだけど、前半で「頼朝と木曾義仲の親世代からの因縁」に触れるべきだったなと。 義仲を従来のイメージ通りの脳筋として描かずに義理堅く冷静な男として描くなら、過去の因縁を捨てて頼朝に息子を差し出してまで共立姿勢を取った覚悟を描写して欲しかったなと。
中学校の近くに木曾義仲最期の地とされる場所があったり、まんま義仲寺(ぎちゅうじ)があったりで、わりと丁寧に授業があったんだけど、巴御前の敵の首をねじ切ったとか馬ごとぶん投げとかのエピソードくらいしか覚えてない
この物語の中なら蔭腹切った久直も自分の刀を使っただろうし、 木曾義仲に最後まで付き従った今井兼平の最期もそうじゃん、己の太刀を、ってことはきっと愛刀を、口に含んで「日の本一の剛の者の自害のや手本よ!」つって逆しまに馬から飛び降りて果てたわけでしょう。名を知らぬ今井兼平の愛刀よ…😭
樋口兼光 以下に『平家物語』巻第九「樋口被斬」における兼光の最期の様子を記す。 樋口は源行家を紀伊国名草に向かっていたが、都に戦ありと聞いて取って返したところ、大渡の橋で弟の今井兼平の下人に会い、木曾義仲も今井兼平も既にこの世にないことを知った。樋口は涙を
倶利伽羅県定公園の桜 倶利伽羅県定公園 2024-04-21〜2024-05-10 倶利伽羅県定公園には、源氏の武将木曾義仲が奇襲作戦「火牛の計」を用いて平家の大軍を打ち破ったことで有名な古戦場や日本三大不動に数えられる「倶利迦羅不動寺」などがあり、春には60.. #北陸 #イベント → twimo.jp/event.html?tit… pic.twitter.com/hEhmB93Ptr
【終演】 #悪来義経 とうとう4ステ全て完走しました!! これも、キャスト・スタッフさんたちと見てくださったお客様のおかけです。これからも、様々なジャンルのお芝居をお届けしたいと思います。(木曾義仲執筆中) 次回はミステリー、その次は大正ロマンガンアクション! よろしくお願いします❤ pic.twitter.com/QOeyGfKQq1
返信先:@namisuimo_bl木曾義仲って人がいるんだけど、色々あって狙われます。でも敗戦が濃厚になって兵を引き上げて逃げようと思ったんだけど、「どこに逃げたらいいのか分からへんねん!」ってことで昔からの幼馴染で乳母子で1番の家来の「死ぬ時は二人一緒に同じところで」って昔約束した今井四郎(兼平)の所に逃げた
返信先:@shousei0000毛呂山の資料館に行ったならば、そのまま鎌倉街道を北上して、笛吹峠、笛吹峠は山の中に本来の鎌倉街道跡があるらしいのですが、よくわからんかっです。峠を下って 源義賢墓 〒355-0222 埼玉県比企郡嵐山町大蔵66 この人は木曾義仲の父です。県内最古の五輪塔だそうで、ここは行こうと思って場所が
平清盛や重盛、木曾義仲や源頼朝、義経、俊寛、那須与一など、お馴染みの多くの歴史上の人物の物語を、わかりやすく、楽しく読むことが出来ます。人間の気高さ、力強さ、哀しさがしのばれ、また躍動する文と、第一級の美術家による画とで、読者の胸は、より高いものを望む#冨山房インターナショナル pic.twitter.com/ZDQ3Ne8I1T
返信先:@Xephyr2009木曾義仲も同じタイプだと個人的には思っているのですが、対朝廷、対皇家のアドバイスができるブレーンが欲しかったですよね。 義仲にも義経にも、役に立つより足を引っ張ってくる事に定評がある、行家叔父さんくらいしか、武家貴族としてのノウハウ持ってる協力者居ないし。
返信先:@haraten1978木曾義仲もそうですが、京で武家貴族として、どう振る舞うのかその手のノウハウを持ってない、頼朝にとっての大江広元の様な対朝廷のアドバイスができるブレーンを欠いたのは痛かったですよね。
その治世は【保元・平治の乱】【治承・寿永の乱】と戦乱が相次ぎました。 息子・二条天皇・平清盛・木曾義仲との対立により、幾度となく幽閉・院政停止に追い込まれますがその度に復権を果たします。 pic.twitter.com/WqiMtgwL39
1192年の今日、後白河天皇の忌日。 第77代天皇。その治世は戦乱が相次ぎ、二条天皇・平清盛・木曾義仲との対立により、幾度となく幽閉・院政停止に追い込まれるがそのたびに復権した。新興の鎌倉幕府とは多くの軋轢を抱えながらも協調して、その後の公武関係の枠組みを構築した。 pic.twitter.com/rE2lyIZDt0