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#西郷隆盛 の従弟 #大山巌 は江川坦庵直伝の洋式大砲術で戊辰戦争に活躍。西南戦争では城山攻撃を陣頭指揮し #西郷従道 と共に薩摩閥を承継。軍事調査団団長として薩摩の川上操六と長州の桂太郎を握手させ独流陸軍建設を後援,16年も陸軍最高位を占め日清,日露戦争の司令官に pic.twitter.com/OcSNi5uNi8
日帰りですが、楽しい中伊豆の旅でした。 韮山反射炉(世界遺産)→蛭ヶ小島(富士山を仰ぐ頼朝と政子)→韮山高校 正門(令和5年に150周年)→江川邸(韮山代官・江川坦庵の邸宅、江戸にお台場を作った男)→狩野川→江間いちご狩り pic.twitter.com/3V0B7xRrnc
「幕末の農兵」(樋口雄彦、現代書館)を購入。幕末期の韮山代官・江川坦庵(太郎左衛門英龍)は農兵採用論の先駆者だった。韮山代官は韮山を拠点に伊豆・駿河・相模・武蔵の幕府支配領を担当。江川は農兵採用の建議した(嘉永2年/1849年)。農兵取り立てが許可されたのは江川の没後。 pic.twitter.com/tDEETL4ksD
江川坦庵公のことをわかりやすく掲載してくれてますのでシェアさせて頂きます。歴史の教科書にも出てない、書籍もほとんど見かけないと思いますが、立派な先生でした。 facebook.com/share/p/zkzdEz…
4月12日はパンの日。 ナゼか? 江川坦庵公が日本で初めてパンを焼いた日なのです。 坦庵公は、我が母校静岡県立韮山高校の学祖です。校訓の忍は、江川家の家訓です。 facebook.com/share/p/TrQUQL…
パンの作り方は、『御前菓子秘伝抄』(初版:享保3年(1718))にも見え、やはり甘酒を使っていますね。 ndl.go.jp/nichiran/data/… 江川坦庵の書状も「狩で使ったら便利だったけど教えてくれた人は詳しく知らないので専門家に教わってきなさい」という話で、江戸時代にも知ってる人は知ってた訳です。
周知のように「パン」はポルトガル語で、言葉の中に400年以上の歴史が籠もっています。江川坦庵も(オランダ語の「ブロート」ではなく)「パン」と言っているのですから、16世紀から長崎に伝来した「パン」の技術を学んだのですよ。幕末に初めて焼かれたというのは誤解なので、そこはどうぞよろしく。
江川坦庵とパンについて、図書館で『江川坦庵全集』(1954)を見た所、天保13年とされる四月二日付、江戸詰めの家臣宛の書状が引用されていました。「江戸に居る「長崎者」の作兵衛という人がパンの製法に詳しいそうだから習ってきなさい」というもので、やはり長崎で蓄えられた技術を学んでいます。
4月12日は「パンの日」だったんですか。冒頭の記事もこの日に合わせたのかな。「パンの日」おおいに結構ですし、江川坦庵が普及に貢献したことにも異論はないですが、「天保13年・・日本で初めてパンが焼き上げられた」は、それまでの歴史が消えてしまうので止めてほしい。twitter.com/NDLJP/status/1…
4月12日は #パンの記念日 です。天保13(1842)年のこの日、日本で初めてパンが焼き上げられたことから、パン食普及協議会が昭和57(1982)年に定めました。 #リサーチ・ナビ 「食品について調べる」では、食品や食材に関する事典類を紹介しています。 rnavi.ndl.go.jp/jp/guides/post…
だから、江川坦庵のレシピメモも、長崎のパン屋から得た情報などが含まれているはずで、その情報源を明らかにする必要があります。この時一から研究して日本で初めてパンを焼いた、とするのは事実に反します。日本のパンは、16世紀のキリシタン以来400年以上の歴史があります。twitter.com/kojima_sakura/…
⑦ 1842年にパンを焼いたという韮山代官江川太郎左衛門も、江戸に来た長崎のパン職人から製法を教わった由で、元はやはり長崎のパン屋。「パン祖」として顕彰されているのは、1953年に全国パン協会が江川邸に碑を建てたことによるそうですが、起源を個人に帰す説話と言うべきでしょうか。
念のためレシピをぐぐったら うどん粉(つまり、小麦粉)でつくったそうな。 論文があった。 【江川坦庵の「兵糧パン」とその復元】 淺川 道夫さん 橋本 敬之さん 2016年 日本大学国際関係学部 PDFです ir.nihon-u.ac.jp/pdf/research/p…
幕末、伊豆韮山代官の江川坦庵(太郎左衛門英龍)先生が若い頃に盟友の剣客・斎藤弥九郎と刀売りに化けて領地視察の旅に出て、関八州のヤクザ者と渡り合った話もしたい。しかもそれを「俺かっけーズラ?」と絵にしちゃう。 pic.twitter.com/wZxxxdkKtO