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室町後期から安土桃山の戦場で武士が使うならこの長さが良い、ってなってみんなそうなったんでしょうけど、どこが(誰が)最初に二間がよい、と気がついたのかなぁ、ってね

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ハスケ@現代野試合連盟@has_k80

みんなのコメント

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何事にも流行り廃りがあるのかも。  徴用兵の促成栽培に効果的な動作との親和性や、間合いと取回しの兼ね合いとか色々な観点で考察してみたいですね。

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蜻蛉切や前田利家が使ってた槍が6mぐらいで、初めて知った時は使いにくいやろと思った。

船頭(ふなもと)@funamotoyoneda

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太平記だと長くて一丈でそれでも薙刀に対してアドバンテージはあったでしょうけど、更にもう少し長くした方がいいと誰か気づいたんでしょうね。軍役の持鑓で長いものとしては信玄晩年以降の武田の二間半がありますが、これは北条の数鑓と並ぶレベルで、いわゆる三間の鑓とも半間しか変わりません。

東国剣記@tougoku_kenki

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六尺の倍だからかと。

はちもんじ@8koudegozaru

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世界的に3.6〜4m多いよね。 人間工学的な感覚かね。

KK@ヘッポコ@Kz_K

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